ブランコ・ミラノヴィッチ「ロシア経済の展望:長期の問題」(2022年3月11日)

[Branko Milanovic, “Long term: Difficulties of import substitution and delocalization,” Global Inequality and More 3.0, March 11, 2022]

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輸入代替と国内生産への移行という困難

ロシア経済の長期展望を考えるときには,いくつかの想定から手をつけつつ,歴史上の事例にも目を向けると役に立つ.2つの仮定が立てられる.第一に,現在のロシアの体制は,なんらかのかたちで今後10年,20年存続するかもしれない.

第二に,アメリカと西洋諸国による制裁は,ここで考える50年の期間のあいだずっと継続されると仮定できる.この仮定を支える論証は,次のとおり.アメリカによる制裁は,ひとたび実施されると解除するのはきわめて難しい.今日,すでにロシアに対して 6,000もの制裁が西側によって実施されている.この数は,イラン・シリア・北朝鮮に対する既存の制裁の合計よりも多い.歴史を見れば,アメリカによる制裁はほぼなんらの時限もなく継続されうることがわかる:キューバに対する制裁はすでに60年を超えているし,対イラン制裁は40年以上続いている.さらには,ソ連に対する制裁(e.g. ジャクソン・ヴァニク修正条項)は,ソ連崩壊後の20年のあいだ,書類上で存続している.そもそも制裁を科す発端となった理由(ユダヤ人移民)が完全に消え去ってしまったにもかかわらず,いまなお続いていることになっているのだ.

プーチン後の政権が制裁を解除させようと試みた場合に直面するだろう各種の譲歩のリストは,政治的に実行しがたいだろう.このため,ここでいう長期(50年間)の間ずっと制裁が存続すると予想しうる.いまとまったく同じかたちでの制裁が続くのではないかもしれないが,なんらかの制裁が続くと予想するのに無理はない.

こう考えると,ロシアの長期的な経済政策は,2つの目的を追求するものとならざるをえなくなるだろう:すなわち,輸入代替と,欧州からアジアへの経済活動の移行,この2点だ.これらの目的は明快ではあるものの,実現はきわめて難しいだろう.

ここでも,歴史上の前例を考えておこう.ソビエトの工業化は,強力な国内産業基盤を創出することで輸入を代替しようとした試みだと考えうる.ただ,このプロセスを支えた2つの要素は,ロシアの将来では失われていることだろう.

第一に,西洋テクノロジーをソ連が入手できたこと.西洋テクノロジーをソ連が取り入れることができたことで,クリボイ・ログのような大規模コンビナートやツァリーツィン(のちのスターリングラード)の世界最大のトラクター工場がもたらされた.集団農場化から得られた余剰,飢餓,数百万人の死者,さらにはロシア正教会から没収された金すら,西洋テクノロジーの購入費に充てられた.レーニンからトロツキー,スターリン,ブハーリンまで,ボルシェビキのあいだで,次の点に疑いは抱かれていなかった――「ソ連が発展するには工業化が欠かせないし,そのためにはもっと発展した諸国からテクノロジーを輸入する必要がある.」 (ロシア・マルクス主義者たちはみな近代化支持者であり,彼らのあいだで,「ロシアの相対的に未発展だ」という意識はきわめて強かった.) 同様に発展した西洋のテクノロジーを輸入できれば,下流での輸入代替の基礎がもたらされうる.だが,制裁を受けている体制のもとで,テクノロジーの輸入はできない.したがって,そうしたテクノロジーを自国で発明しなくてはならくなるだろう.

だが,当時といまとでは,大きなちがいがある.1990年代に誰かが〔ロシアでの〕輸入代替アプローチを提案したとして,その実施は困難ではあっても不可能ではなかっただろう.90年代には,ソ連は(そしてロシアは)広範な産業基盤を有していた(航空機・自動車・白物家電の生産,世界最大級の鉄鋼生産,などなど).工業部門は国際的に競争力をもってはいなかったとはいえ,改善は可能だったし,しかるべき投資によって競争力をつけることもできただろう.だが,そうした産業複合体の大半は,その後に民営化され清算・解体されていった.そうならなかったものも,いまでは技術的に時代遅れだ.「体制移行」がはじまってから30年のあいだ,ロシアは技術的に先進的な産業をなんら発展させられなかった.例外は軍事分野だけだ.

旅客飛行機を例にとろう.1970年代,ソ連はまちがいなくブラジルの先を行っていたし,ヨーロッパにすら先んじていた.ヨーロッパがエアバスの開発をはじめたのは,ようやく1972年になってのことだ.だが,航空機産業は体制移行期に破壊された.わずかな残滓といえば,いまいくつかのロシアの航空路で使われているスホーイ・スーパージェットくらいのものだ.そのスホーイ・スーパージェットにしても,ロシアの外では(ほぼ)どこでも売れていない.これと対照的に,ブラジルのエンブラエルは60ヶ国で事業を展開している

こうした代替の基盤を創出しなおさなくてはならず,より先進的な国・地域からの投資による多くの入力なしに新産業を起こさなくてはならないという条件下で輸入代替を行うのは,不可能に近い.中国もこの問題に直面していたが,それが解決できたは,1970年代中盤に外交政策を劇的に転換して以後だった.だが,ロシアの場合,その選択肢は問題の定義からしてとりようがない.

ソ連の工業化を支えていた第二の要因は,労働力の増加だ.労働力を増加させていたのは,農業労働力の余剰の供給であり,総人口の増加であり,重要な点として教育水準の改善だった.1930年代のソ連は,多岐にわたるエンジニア・科学者・医師その他を毎年数十万人も輩出していた.こうした要因のどれひとつとして,〔ロシアでは〕今後半世紀には存在しないだろう.ロシアの人口は都市化され,規模は縮小中であり,すでによく教育されている.したがって,1930年代とちがって,これら3つの要因による労働力の増加はありえない.

もちろん,教育水準の高い労働力はプラスではある.だが,その労働力が最大限まで生産するためには,先端テクノロジーを使ってはたらく必要がある.上で解説した理由で最先端テクノロジーが利用できない場合,教育水準の高い労働力も無駄に使われることになる.人口が縮小しているため,そうした労働力のプール全体も毎年小さくなっていく.ロシアではふさわしい使われ方をせず相応の賃金もえられそうにないとなれば,教育水準の高い人々はロシアから国外に出て行く傾向がでてくるだろう.そうなれば,ロシア国内で雇える高度な技能をもつ労働者の数はいっそう縮小する.自由な移住をゆるさないソ連時代の政策にロシアが復帰するのもありえない話ではない――もっとも,今回は経済的な要因の圧力による国外移住の禁止だが.東ドイツがベルリンの壁を建設したそもそもの理由は,まさしく高度な資質をもつ労働者たちの流出を食い止めるためだった.

以上から,次の結論を導ける――すなわち,1930年代と1950年代のソ連で輸入代替を実行可能にした要因は,今日のロシアでははたらかないだろう.

経済活動の重心を西から東に移す見通しについては,どうだろうか? 技術的にできるかどうかで言えば,ピョートル一世式の方針をとることも想像できる.ただし,門戸を開くのはヨーロッパにではなく(サンクトペテルブルクがその窓口になるはずだった),東アジアにだ.たとえば,資本をウラジオストクに移転し,人口もろとも,できるかぎり多くの経済活動と官僚制の機能を東に移すわけだ.法令で人やモノを移転させうるのであれば,そうした動きもまずまず理にかなっていると言っていいだろう.東アジアは世界でもっとも急速に成長している地域であり,今後もそれは変わりそうにない.いろんな点で衰えつつある大陸であるヨーロッパに背を向けるのは正しい動きと考えてもおかしくない.そうした急進的な動きをとれる国は,世界でも合衆国とロシアだけだ.他の国々は,みずからのおかれた地理がおおよそ運命のようなものだ.政治的にも,いまイギリス・フランス・ドイツから受けているような制裁や政治的圧力を中国・インド・ベトナム・インドネシアからロシアが受けることはありそうにない.最後に,太平洋側へと導かれるのは,150年前のアメリカが新たな開拓地を開いていった動きの再演とみることもできるだろう.また,気候変動も,ロシア北部の領土をいまより住みやすくすることにつながって,助けになるかもしれない.

そうした〔東アジアへの〕転換は,どれほど実行可能だろうか? これには,インフラへの巨大な投資が必要となるだろう.そうしたインフラ投資には,ロシア東西の遠く離れた両端での交通・通信をいまより大幅に改善させることもふくまれる.モスクワからウラジオストクへの飛行機便は10時間近くかかる.列車での移動となれば,1週間以上だ.東端までの各地に新たな都市を開発し,既存の都市を拡大させるなどの事業に必要となる投資を,縮小しつつあるロシア経済は提供できない.そればかりか,そうした都市に新たな雇用をつくりだすことも必要となるだろう.新たな雇用がなければ,ヨーロッパ方面のロシアからアジア方面のロシアに人々が移り住むはずがない.ソ連は,シベリアに多くの北方開拓地を開き,移住すれば労働者たちにより高い給与を支払うことで,人々を移り住ませようとした.これは,限定的ながらも多少の成功をみた.もっとも,そうやってつくられた町や居住地は,過去30年間でほぼすべて死滅した.巨大な投資や,なんらかの包括的な都市計画・生産計画なしに,こうした大規模な活動の移転がいったいどうやって達成しうるのか,理解しがたい.

したがって,輸入代替と東方への移転,どちらの政策も,およそ乗り越えがたい障害にいきあたる.だからといって,これらの政策に着手できないわけではない.どうしても必要とあれば,その一部は達成されるだろう.たとえば,いま,自動化されたロシア企業(ロシア系新聞の発行母体)で用いられているソフトウェアの 95% は,西洋からもたらされたものだ.これらを置き換えるべく,ロシア製ソフトウェアがつくられねばならなくなるだろう.中国との経済的なつながりがいっそう緊密になれば,企業や人々もいくらか東へ動くだろう.シベリアや太平洋側の都市が第二の首都になることもありうる(トルコでアンカラがそうなったように).だが,輸入代替と東方への移転のどちらかで顕著な成功は――今日の視点から見えるかぎりでの最良の成功は――まったく達成しがたいように思える.

では,どうなるだろう? 数年前,『大不平等』のロシア語版によせた序文で述べたように,ユーラシア大陸の未来は,その過去とだいたい同じに見える:つまり,大西洋・太平洋それぞれの沿岸地域はかなり豊かになり,その中間にある内陸の広大な地域との差はいっそう大きくなるだろう.すると,そんなに経済活動の分布が不均等にするのが,政治的にどう実行可能なのかという問いが出てくる:移住・移民や政治の再編がそうした非均衡を「解決」するだろうか?

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