マイルズ・キンボール 「『スライディング・ドア』 ~ヒラリー・クリントン vs. バラク・オバマ~」(2014年5月15日)

●Miles Kimball, “Sliding Doors: Hillary vs. Barack”(Confessions of a Supply-Side Liberal, May 15, 2014)


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『スライディング・ドア』のウィキペディアのページはこちら〔日本語版のウィキペディアのページはこちら〕:心の目を使って想像してもらいたい。ポスターの上半分にはバラク・オバマの姿が写されており、下半分にはヒラリー・クリントンの姿が写されている。上半分と下半分とで二通りの別々の歴史が描き出されている。上半分に描かれているのは「現実の歴史」であり、下半分に描かれているのは「2008年の民主党予備選挙でヒラリー・クリントンが勝利を収めたと仮定した場合のその後」である。

『スライディング・ドア』(“Sliding Doors”)は私も妻もお気に入りの映画の一つだ。地下鉄のドアが閉まる寸前に電車に無事乗り込めた場合と電車に乗り込む寸前にドアが閉まってしまった場合(電車に乗り込めなかった場合)とでその後の人生の成り行きにどういう違いが生まれるか? この作品ではそのような「代替的な(あり得た)歴史」(alternate histories)――「もしもあの時ああなっていたらその後の展開はどうなっていただろうか」(“what if”)という問いへの答えとして想像された「反実仮想」(“counterfactual”)の歴史――といういつでも古びることなく魅力的なテーマが追求されている。

2016年に行われる予定の大統領選挙戦についてそれなりに真面目な議論をはじめるには(2014年5月現在の段階では)まだ時期尚早だろうが、2008年に行われた民主党予備選挙――ヒラリー・クリントンとバラク・オバマとの間でたたかわれた熾烈な民主党候補者指名争い――について「反実仮想」的な問いを検証してみるには早過ぎるということにはならないだろう。仮にヒラリーが民主党側の大統領候補になっていたとしたら本選挙で(共和党側の大統領候補である)ジョン・マケインに(オバマがそうであったように)勝利していただろうというのが専門家の大方の意見のようだ。そうだとすると、歴史の分かれ目となったかもしれない「ドアがスライドする(閉まる)」瞬間と呼ぶにふさわしいのは本選挙よりも民主党予備選挙のほうだと言えるだろう。フォトショップをうまく使いこなせるようならエントリーの冒頭に掲げた『スライディング・ドア』の宣伝ポスターの画像を加工していたところだ。上半分には金髪のグウィネス・パルトロー(Gwyneth Paltrow)の代わりにバラク・オバマの画像を貼り付け、下半分には髪色がダークブラウン(焦げ茶色)のグウィネス・パルトローの代わりにヒラリー・クリントンの画像を貼り付けていたことだろう。

2008年の民主党予備選挙でオバマではなくヒラリーが勝利していたとしたらその後の展開にどういう違いが生まれていただろうか? 読者の皆さんはどういう意見だろうか? 思うところをお聞かせ願いたいところだ。これから私自身の考えを2点ほど述べさせてもらうが、異論なり何なり意見を寄こしてもらえたら幸いだ。

まず一点目。2008年に勃発した金融危機は予備選挙が行われていた段階で既に避けられないところまできており、それゆえ誰が大統領になっていても取り組むべき問題の性質に違いは無かったことだろう。その見立てに間違いが無いとすると、民主党予備選挙でヒラリーが勝つかそれともオバマが勝つかの違いは重要な意味を持った可能性がある。おそらくヒラリーも大統領になっていたら(オバマがそうであったように)医療制度の改革を目指しはしたことだろう。しかしながら、ヒラリーは過去に(ビル・クリントン政権下で医療保険制度改革作業委員会の議長として)医療保険制度の改革を試みて苦い思いをした経験がある。その時のトラウマもあってオバマほどには医療制度の改革には乗り気になれず、その結果として景気回復の促進をはじめとしたその他の目標と比べると医療制度の改革という目標の優先順位はオバマの場合よりも低かった可能性がある。前にも指摘したことだが(“What Should the Historical Pattern of Slow Recoveries after Financial Crises Mean for Our Judgment of Barack Obama’s Economic Stewardship?”)、オバマ大統領は景気回復を促すために財政刺激策の規模の拡大に向けて政治資本(大統領として持てるだけの政治力)のすべてを捧げるべきだったにもかかわらず、そうしなかった。それは間違いだったというのが私の考えだ。医療制度の改革という目標に気をとられるあまりに景気回復を促すという別の目標から目が逸らされてしまったことは間違いだったのだ。

医療保険制度の改革法案を議会で通過させるためにごり押ししないといけないようであれば、ごり押しなどしないで法案の通過を諦めていた方がよかったのではないか。私としてはそういう考えだ。医療制度の改革を試みたところで全般的にどういう効果が表れるのか正直なところ大してわからないことを踏まえると(このことについては私の論説 “Don’t Believe Anyone Who Claims to Understand the Economics of Obamacare” を参照のこと)、「医療改革連邦主義」(Medical Reform Federalism)こそが最善のアプローチだったに違いなく、オバマ大統領がオバマケアをごり押ししていなければ最終的には「医療改革連邦主義」の線に沿った妥協案におそらく落ち着いていたことだろう。「医療改革連邦主義」とは何か? かつて語ったことがあるように(“Evan Soltas on Medical Reform Federalism–in Canada”)、その一例として次のような案が考えられるだろう。

現在のところ免税扱いとなっている雇用主提供医療保険の保険料に課税し、その結果として新たに生まれる税収を各州政府に(細かい使途をあらかじめ限定しない)一括補助金(ブロックグラント)として交付する。そして各州政府はその補助金を使って州民の誰もが平等に医療サービスを受けられるように独自のプランに乗り出すのだ。

二点目。ヒラリーはオバマ政権下で2013年2月まで国務長官を務めたわけだが、仮にヒラリーが大統領になっていたらシリアの反体制派に対する支援を国務長官として可能であった以上に強めていた可能性がある [1]訳注;この点については例えば次の記事も参照されたい。 ●Janet Hook, “綱渡り演じるヒラリー氏 … Continue reading。そのようにして強気な姿勢(タフな姿勢)を示していればロシアをけん制することになり、その結果としてプーチン大統領はクリミアをロシアに編入しようという気を起こさなかったかもしれない。ウクライナがクリミア(やセヴァストポリ)を失わずに済んでいたかもしれないわけだ。仮にそういうことになっていたとすると、二通りの歴史(「現実の歴史」と「2008年の民主党予備選挙でヒラリー・クリントンが勝利を収めたと仮定した場合のその後」)の間の違いは時間の経過とともにますます大きくなっていく一方という結果になっていた可能性がある。

「2008年の民主党予備選挙でヒラリーが勝利していたら」という反実仮想について頭を捻ってみようと思い立ったきっかけは本日付のワシントン・ポスト紙の記事を読んだことにある。フィリップ・ラッカー(Philip Rucker)とザカリー・ゴールドファルブ(Zachary A. Goldfarb)の二名の記者が共同で執筆している次の記事がそれだ。

The Clintons fight back, signaling a new phase in 2016 preparations

印象深かった箇所をいくつか引用しておくことにしよう。

1. 「ヒラリー前国務長官は2012年の秋頃に脳に損傷を患ってしまった可能性がある」。(共和党の選挙戦略家である)カール・ローブ氏のそのような発言に対して夫であるビル・クリントンはおどけた調子で鼻であしらうように対応した

・・・(中略)・・・

ローブ氏の発言に対してビル・クリントンは笑顔を浮かべながらユーモアを交えた反論を加えた。

「私の妻が脳震盪の症状で入院した直後は『仮病だ』という声が共和党陣営から漏れ聞こえてきたものですが、今回は『ヒラリーは「ウォーキング・デッド」に出演するためにオーディションを受ける準備をしている』とでも言いたげなようですね」。「ウォーキング・デッド」というのはゾンビが登場するテレビドラマだ。「仮に妻が脳に損傷を負っているとすると、私なんかはかなり危険な状態にあることになりますね。彼女の方が私よりも相変わらず頭の回転が早いんですから。」

2. 「ヒラリーは依然として政治の世界を彩る口げんか(political fray)から超然とした位置にいる政治家なのだろうか?」 [2] 訳注;ヒラリーは2008年の民主党予備選挙の際に“totally above the fray”(口げんかには我関せず)というスローガンを掲げていた。という質問に対して共和党の選挙戦略家であるマーク・マッキンノン氏はメールで次のように答えた。「政治の世界では『口げんかから超然としている』という選択肢はありません。政治の世界にあるのは『口げんか』だけなのですから。」

3. 「クリントン政権下の1990年代にアメリカ国内では所得格差が広がったではないか」。そのような批判に対してビル・クリントンは自らが大統領を務めていた間に経済全体で見ると所得はプラス成長を記録した事実を指摘しつつも、富裕層と貧困層との間で所得格差が広がっているのは深刻な問題だと認めた。

ビル・クリントンは語る。「『その通り。所得格差の拡大は今も続いている』。確かにそう言えるでしょうね。しかしながら、その理由は上位1%の富裕層の稼ぎが増えているためだとしたら一体どのような対策がとれるでしょうか? 富裕層を刑務所にぶち込むというなら話は別ですが、それ以外に打てる手は大してないのではないかというのが私の考えです。」

References

References
1 訳注;この点については例えば次の記事も参照されたい。 ●Janet Hook, “綱渡り演じるヒラリー氏 -オバマ大統領と微妙な距離感”(ウォール・ストリート・ジャーナル日本語版、2014年8月12日)
2 訳注;ヒラリーは2008年の民主党予備選挙の際に“totally above the fray”(口げんかには我関せず)というスローガンを掲げていた。
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