マーク・ソーマ 「大学で使われる教科書は何であんなにも高価なのか? ~その背後に潜むプリンシパル=エージェント問題~」(2014年10月16日)

●Mark Thoma, “‘Thoughts on High-Priced Textbooks’”(Economist’s View, October 16, 2014)


大学の講義で使われる教科書ってどうしてあんなにも高価なんだろうか? ティモシー・テイラー(Timothy Taylor)がこの疑問に対する答えを探っている。

Thoughts on High-Priced Textbooks”:

大学の講義で使用される教科書は、多くの大学生にとって、靴の中に入り込んだ小石のように厄介の種となっている。かなり値が張るのだ。高価な教科書は、大学生が抱える金銭面の問題の中でも最大の問題だとまではさすがに言えないが、多くの学生にとっては、学業の妨げとなる何とも厄介で迷惑な頭痛の種の一つとなっていることは間違いない。

・・・(中略)・・・

つい最近のことだが、デヴィッド・ケステンバウム(David Kestenbaum)とジェイコブ・ゴールドシュタイン(Jacob Goldstein)のタッグが、ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)の番組の一つである「プラネット・マネー」のポッドキャストで、この問題(「大学で使われる教科書はどうしてあんなにも高価なのか?」)に真正面から切り込んでいる。・・・(略)・・・経済学者にとっては、ゲストとして登場するグレッグ・マンキューへのインタビューが番組のハイライト(一番の聴きどころ)ということになるだろう。マンキューといえば、ベストセラーとなっている入門経済学の教科書の執筆者でもあるが、番組の中での情報によると、マンキューの教科書はAmazonで286ドル(日本円だと3万円近く)の値が付いているという。この問題については、私は中立的な観点から意見できる立場にないとそろそろ断っておくべきだろう。というのは、私も入門経済学の教科書を執筆しているからだ。ちなみに、最新の版である第三版はTextbook Media経由でも購入可能だが、一番安くて25ドル(オンライン版)、一番高くて60ドル(白黒印刷のペーパーバック+オンライン版)という価格設定になっている。

番組の中では、大学で使われる教科書が高価な理由について、いく通りかの説明が候補として挙げられているが、その中でもよく聞かれる説明は次のようなものだ。出版社は、教科書を売り込む対象として、学生ではなく教授に狙いを定めており、売り込みのターゲットとなる教授連は、教科書の価格がいくらかを細かく気にするわけでは必ずしもない(教科書の価格が大幅に値上がりして今のように高価になる前の時代であれば、教授連のそのような(教科書の価格をそれほど気にしない)態度もそれなりにもっともなところがあったとは言えるだろうが)。教科書のマーケットは、限られた数の大手の出版社が取り仕切る競争の少ない市場であり、大手の出版社は、教授連の気を引くことを狙って、あれやこれやのオプションを取り揃える。多彩な色を使って印刷されたカラフルなハードカバーの教科書には、DVDや(教科書の内容を補足する情報が提供されているウェブ上のページにアクセスするための)オンラインアクセスキーが付いてくるだけではなく、テストバンクまで用意されている(ウェブ上で学生にクイズを解いてもらって、教科書の内容をどれだけ理解しているかを確かめられるというわけだ)。多くの大学では、経済学入門の講義は大教室を使って行われるのが普通だ。何百人、場合によっては千人単位の学生が受講することもあり、何人ものTA(ティーチング・アシスタント)の手を借りないとやっていけない。そのような実状を踏まえると、成績評価や(講義内容についての質疑応答やクイズの出題などといった)フィードバックの一部を、コンピューター(インターネット)に委ねざるを得ないという話にもなる。出版社から教授のもとに、「この教科書の草稿をチェックしていただけませんか? もちろん謝礼もお支払いします」との依頼が舞い込むことがあるが、これもまた教授に対する売り込みの一つだ。その教授にも、自分の講義でその(草稿のチェックを引き受けた)本をテキストとして使用してもらいたいというのが出版社の魂胆なのだ。

NPRの件の番組では、教科書市場を突き動かしている以上のような事情が、「プリンシパル=エージェント問題」の枠組みを使って読み解かれている。「エージェント」(代理人)に仕事ないしは課題の遂行を委ねた「プリンシパル」(依頼人)は、その「エージェント」がこちら(依頼人)の利益を第一に考えて振る舞ってほしいと願っているが、「プリンシパル」には「エージェント」がその仕事なり課題なりにどれだけ真剣に取り組んでいるかを完全には観察も評価もできない。そのような状況で生じる様々な問題を総称したものが「プリンシパル=エージェント問題」であり、その問題を分析するための道具立てが「エージェンシー理論」と呼ばれているものだ。エージェンシー理論は、経営者(「プリンシパル」)と従業員(「エージェント」)との間で起こる問題(従業員に怠けずに精を出して働いてもらうためには、どのような動機づけを与えればいいか)の分析によく持ち出されるが、教科書選びをめぐる教授と学生との駆け引きを分析するためにも援用可能だ。「プリンシパル」である学生は、「エージェント」である教授に、講義で使う教科書の選択を委ねているが、学生側としては、教授に価格や質といった要因をすべて事細かに考慮した上で、学生のニーズに一番合った教科書を選んでもらいたいと思っているわけだ。NPRの件の番組の中で紹介されている専門家の話によると、高校で使われる教科書の利幅は5~10%程度に過ぎない一方で、大学で使われる教科書の利幅は20%近くに及ぶという。どうしてそのような違いが生まれるかというと、高校の教科書は、それぞれの学区や州ごとに自治体が事細かな検討を経た上で選ばれているが、大学で使われる教科書は、その値段がいくらなのか知りもしない可能性もある教授連にその選択が一任されることが多いからだ。

NPRの件の番組では、「プリンシパル=エージェント問題」の枠組みを使ってこの問題(大学で使われる教科書が高価な理由)を説明できるかどうかが、マンキュー(「286ドル」するベストセラー教科書の執筆者)に面と向かって問われているが、「プリンシパル=エージェント問題」は取り立てて大騒ぎするような問題ではなく、あちこちの場面で遭遇するありふれた問題だとはマンキューの弁だ。例えば、あなたが手術を受ける場合は「エージェント」である医者にお世話になることになるが、手術の費用を払うのは「プリンシパル」であるあなた自身だ。自家用車が故障した場合は「エージェント」である整備士のお世話になるが、その費用を払うのは(「プリンシパル」である)あなた自身だ。家の傷みを修理したいということになれば、「エージェント」である業者のお世話になることになるが、そのための費用を払うのは(「プリンシパル」である)あなた自身だ。このようにいくつか例を挙げた上で、マンキューは指摘する。教科書選びを委ねられた(「エージェント」である)教授は、(「プリンシパル」である)学生のためを思って、「時間」と「お金」との間で賢明なトレードオフを図らねばならず、学生のためを思うなら、安価な教科書(例えば「256ドル」の教科書)を選んで「ちょっとしたお金の節約」に貢献するよりも、「質の高い」教科書(「286ドル」の教科書)を選ぶ方が大事だ、と [1] … Continue reading。つまりは、30ドル分のお金を節約するために、『「286ドル」の「質の高い」教科書』の代わりに『「256ドル」の「質の低い」教科書』を選ぶというのは賢い判断だとは言えない(「エージェント」である学生の利益に反する)というわけだ。

言うまでもないが、世に出回っている教科書は、『「286ドル」の「質の高い」教科書』と『「256ドル」の「質の低い」教科書』の2種類に限られるわけではない。非営利組織である「公益調査研究団体」(PIRG)が大学生を対象に行った調査結果によると、調査に回答した学生のうち3分の2は、いい成績がとれないかもしれないとびくつきながらも教科書を買わずにいるか、テキストとして指定されている教科書の値段が安めの講義を履修するようにしているという。例えば、一人の学生がアルバイト(週に10時間勤務)をしていてその時給が(税引き後で)8ドルだとすると、「286ドルの教科書」を買うか、「60ドルの教科書」(私が執筆している入門経済学の教科書)を買うかで、アルバイトの勤務時間に換算して28.25時間分――およそ3週間分――の違いがある。講義の進め方も成績の付け方も同じだが、教科書だけは学生ごとに別々の本をランダムに割り振る。そして、学生には毎日のスケジュールも記録しておいてもらう。そのような準備を整えた上で、高価な教科書にどんな効果があるかを検証した例というのはあるのだろうか? 値段が高い教科書ほど、学生の「時間の節約」にもなるし、学業成績を高める効果もある。そのことを示す証拠というのはあるのだろうか? 少なくとも私は知らない。大手の出版社から出されている「高価な教科書」の方が、「安価な教科書」(例えば私が執筆している教科書)よりも学生のためになるかというと、決して自明ではないのだ。人によってはもっと言葉を強めて語るところだろうが、今回はこのくらいにとどめておくとしよう。

大学で使われる教科書の価格を高めている別の要因としては、「古本市場」が絡む悪循環の存在も挙げられるかもしれない。NPRの件の番組が伝えるところによると、3年ごとに新版が出る教科書の場合、2年目の売り上げは1年目(新版が出たばかりの年)の売り上げの半分になり、3年目の売り上げは2年目の売り上げの半分になるのがよく見られるパターンだという。そうなるのは、新版が出たばかりの年に教科書を買った学生が、講義の全日程が終了するとともに「古本市場」でその本を(次の年にその教科書を使う学生に)売るためだ。ところで、「古本市場」があるおかげで、新品の教科書を買う学生たちは、実質的にはその教科書を「定価」以下の値段で手に入れていることになる。新品を手に入れるために支払った金額(新品の「定価」)と「古本市場」で売り払って得られた金額(古本の「売値」)の差額分しか支払っていないことになるのだ [2] … Continue reading。さて、「古本市場」が一体どのようにして(大学で使われる)教科書の価格を高める働きをしているかというと、こういうことだ。新品の教科書の価格が高まるほど、「古本市場」は活況を呈する(古本の売買が増える)ことになる。新品を買った学生たちが、古本として売って少しでもお金を回収しようと試みるからだ。「古本市場」が活況を呈すると、それと並行して新品の売れ行きは年とともに落ち込んでゆくことになり、出版社は売れ行きの悪化を埋め合わせるために、新版が出るたびにその値段を引き上げることになる。しかし、新版の値段が上がると、「古本市場」はますます勢いづくことになり、・・・と悪循環にはまり込むことになるわけだ。

教科書が抱える今後の課題に話を転じることにしたいが、重要な課題の一つは、教科書のデジタル化の行方がどうなるかということになるだろう。「デジタル教科書」の導入が進むにつれて、機能性も高まり、値段も安くなる可能性もあるにはある。しかしながら、そのような明るい未来の到来は必至かというと、そうではない。少なくとも今のところはだが、「デジタル教科書」は、文字を読んだりメモを書き込んだりといった機能性の面で、「紙の教科書」に追いつけていないというのが私の意見だ。スクリーン技術の開発が今後も進めば、「デジタル教科書」が機能性の面で「紙の教科書」を追い抜く日もやがてはやってくるかもしれないが、長時間スクリーンで字を読んだり、スクリーン上にメモを書き込んだりといったことに伴う問題はひとまず脇に置いておくにしても、ちょうど今読んでいるページから見直したいページに行きつ戻りつしたり、グラフや表を読み飛ばしたりといった面については、今のところ「紙の教科書」の方が「デジタル教科書」よりも依然として優れている。つまりは、今のところは、勉強するには「デジタル教科書」よりも「紙の教科書」の方が色々と便利な面があるということだ。

教科書の出版社がオンラインの世界に進出するのに伴って、顧客にお金を出させるための手練手管も一緒にオンラインの世界に持ち込まれることになるだろう。イーサン・セナック(Ethan Senack)は次のように指摘している。

「デジタル化された教科書のマーケットは拡大を続けており、消費者である学生の選択肢はこれまでになく広がっている。『デジタル教科書』は、ラップトップやタブレットで読むことができるデジタル化された文書である。『デジタル教科書』にはPDF文書と同様の機能が備わっている。注釈を入れたりラインマーカーを引いたりできるだけではなく、文字検索もできるのだ。金額は『紙の教科書』の40~50%程度とお手頃だが、閲覧期限(例えば180日)が設けられている。『デジタル教科書』の分野に足を踏み入れた出版社は、これまでの『紙の教科書』とほぼ変らないラインナップを取り揃えている。KindleやiPadといった電子書籍リーダーの登場やデジタル教科書のレンタル(貸し出し)サービスの開始も追い風となり、『デジタル教科書』は大学の教科書市場の今後に明るい展望を開いてくれているように思える。明るい兆しが見えるのは確かではあるが、『デジタル教科書』には、閲覧期限や一回きりしか使えないアクセスコード、印刷枚数の制限といった妙技が織り込まれている。そのような妙技は、消費者にとっては使い勝手を悪くしてコストを高める役割しか果たさない。学生にとっては不幸な話ではあるが、『デジタル教科書』の分野でも、『紙の教科書』の分野と同じように、市場を独り占めするための(出版社による)巧みな試みが繰り返されることだろう。」

References

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1 訳注;同じ時間だけ勉強するにしても「質の高い」教科書で学んだ方が学習効率が高く、それゆえ「質の低い」教科書を使って学ぶよりも時間を有効に使うことができる。そういう意味で、『「質の高い」教科書(「286ドル」の教科書)を使って学ぶか、それとも「質の低い」教科書(「256ドル」の教科書)を使って学ぶか』という問題は、『「時間」を有効に使うか、それとも「お金」を節約するか』という問題であり、「時間」と「お金」との間のトレードオフの問題と読み替えることができる。「質の高い」教科書(「286ドル」の教科書)を使って時間を有効に使う機会を提供する方が、「質の低い」教科書(「256ドル」の教科書)を使って学ばせる(30ドル分のお金を節約する機会を提供する)よりも学生のためになる、というのがマンキューの見解ということになる。
2 訳注;例えば、「286ドル」で購入した新品の教科書が古本として「100ドル」で売れたとすると、その教科書を買うために支払った金額は186ドル(=286ドル-100ドル)ということになる。
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