Yann Algan, Elizabeth Beasley, Daniel Cohen , Martial Foucault, “The rise of populism and the collapse of the left-right paradigm: Lessons from the 2017 French presidential election“, (VOX, 07 September 2018)
2017年フランス大統領選教は、伝統的な左派右派政治軸からの離脱のほんの一例に過ぎない。本稿では、この変容を理解する鍵は主観的変数であることを論じてゆく。伝統的な左派右派軸上の投票は、再分配に関する見解と相関しており、所得や社会的地位といった社会経済変数から予測される。しかしフランスの2017年選挙における投票は、個人的かつ主観的な変数に駆動されていたようであり、幸福感の低さは 「反体制 (anti-system)」 的意見と (左派にせよ右派にせよ)、対人信頼感の低さは右翼ポピュリズムと、それぞれ結び付いている。
ブレクジットからドナルド・トランプの選出に至るまで、西側およびヨーロッパ諸国の多くでポピュリスト政党が勢いを増している (Dustmann et al. 2017)。そうした国を幾つかあげれば、ポーランド・ハンガリー・スイス・デンマーク・オーストリア・フィンランド・フランス・イタリア・ドイツ。事態の進行は、2017年フランス大統領選挙でのマリーヌ・ル・ペンの第二回投票進出や2018年イタリアでのポピュリスト連立政権において頂点を向かえた1。
とりわけ2017年フランス大統領選挙は、第二次世界大戦終結以降健在だった、伝統的な右派左派の政治軸の崩壊を如実に示すものとなった。2002年の例外を除いては、2012年に至るまでのすべての大統領選挙において、フランスの投票者は最終的に第二回投票で左翼候補者か右翼候補者かの選択ができた。しかし2017年、フランソワ・フィヨンが第一回投票で三位に、かたや左派のリーダーで、よりラディカルな装いで登場したジャン=リュック・メランションも四位に終わった。第二回投票はエマニュエル・マクロン (そのモットーは 「右でも左でもなく (neither right or left)」) とマリーヌ・ル・ペン (極右政党 「国民戦線」 のリーダー) の対決となった。結局マクロンが余裕のある得票差をつけて勝利することになったが、フランスの政治風景はラディカルな変貌を遂げたのである。
そんななか我々の新たな論文では、この新しい政治空間を分析するため、パリ政治学院のフランス政治研究センターが収拾した独自データセットを活用している。2015年11月から同2017年選挙に至るまで、月毎の質問紙が約17,000名のパネル構成員に配布された (Algan et al. 2018)。本データセットの規模と射程のおかげで、従来は不可能だったようなやり方で投票選択を精査することが可能になった。本データセットには、諸般の社会経済変数・地理的所在・経歴に加えて、多岐にわたる主観的情報 – 人生満足度・対人信頼感・対制度信頼感・イデオロギーに関わる種々の側面 – が含まれている。
変わりゆく政治選択の構図
標準的な投票者選択モデルでは単一の左派右派軸が設定されるが、これは基本的に再分配問題をめぐるものである。左派 – 貧者の政党 – はより多くの再分配を、右派 – 富裕者の政党 – はより少ない再分配を、それぞれ追求する。そしてメディアン投票者が両者のあいだの均衡点を決することになる。だが現実世界の政治は、ちょうどフランス2017年選挙で明らかになったように、投票者の選択がもはやその様に機能していないことを明らかにする (かつてそのように機能していた時があったとしても)。それはひとつには、相対的に貧しい投票者であれば必ず再分配を追求し、また相対的に富裕な投票者であれば必ずそれに反対する、というわけではないからだ。ル・ペン投票者 (極右) は、平均的にみて、メランション投票者 (ラディカル左派) と同じくらい貧しいのだが、フランス政治研究センターに対するかれらの回答に従うかぎり、ル・ペン投票者はメランション投票者ほど再分配を追求していない2。対称的に、マクロン投票者は、平均的にみて、フィヨン投票者 (保守右派) と同じくらい富裕なのだが、再分配に対してはさほどまで敵対的でない。
自らの財政的利益から逸脱するような一部投票者の行動に説明付ける主要因子は何か。それは教育かもしれない。教育と所得は明らかに相関しており、両者は古典的なミンサー型関数の曲線によって関係付けられている。この曲線上に位置しない者の稼得額は、その教育水準から期待されるようなところを上回るあるいは下回っていることになる。興味深いことに、この種の乖離が最大である二集団は、旧来の左派右派軸に属する人達なのだ (図1を参照)。メランションとフィヨンの投票者は、平均的にみて、似通った教育水準をもっているが、メランション投票者は所得がその教育水準から予測されるところを下回るとともに、再分配を強く支持している。かたやフィヨン投票者は、その教育水準を条件とした期待所得を上回るとともに、一般的に再分配に反対する。メランション投票者の側には独特の不公平感が存在し、これがかれらを再分配の追求へと導いている – かれらの稼得額は、自らの教育水準に鑑みれば当然手にすべきと感じる水準を下回っているのである。フィヨン投票者にはこのちょうど正反対があてはまる。
図 1 平均的な所得と教育水準
注: 2012年 (左) と2017年 (右) における各候補の投票者に関する教育水準と所得の加重平均 [訳註1]。教育年は申告学位から推定したものだが、結果は教育水準変数について別様の特定法を用いて頑健性を保っている。Abst/Blanc/null は、投票しなかった者または無効票となった者。
ル・ペンとマクロンの投票者はその教育水準から期待されるようなところに近い所得を得ている。また両集団には再分配に関する強い選好が欠落している。貧しいル・ペン投票者は、なぜ増税が自らの利益になると考えないのか、富裕なマクロン投票者は、なぜ減税が自らの利益になると考えないのか? 以下でこの決定的な謎を検討してゆく3。
人生満足度と対人信頼感
我々は人生満足度および対人信頼感 (制度ではなく、人に対する信頼をさす) を用いて、右派左派軸にみられる不具合の理由、そして恩恵を受けられそうなのに一部投票者が再分配政策を支持しないのは何故か、その説明を試みる。
図 2 投票選択ごとにみた、対人信頼感と人生満足度
注: 2017年第一回投票における各候補者の投票者による、対人信頼感 (y軸) と人生満足度 (x軸) に関する回答の加重平均。どちらも、平均を0、標準偏差を1に標準化している。
人生満足度により投票民はふたつの集団に分かたれ、対人信頼感によってそれぞれの集団がさらにふたつの集団に分かたれる4。ル・ペンとメランションの投票者は、平均的にみて、自らの人生への満足度が最も低い。対してマクロンとフィヨンの投票者は、平均的にみて、人生に最も満足している。対人信頼感により選挙民は横軸上で分かたれる: マクロンとメランションの投票者は高い水準の対人信頼感を共有しているが、フィヨン投票者はそれより低い水準、ル・ペン投票者は極端に低い水準となっている。
これら主観的変数はイデオロギーと投票選択の双方と呼応している: 人生満足度が低い投票者は反体制的であるとともにラディカルな左右のポピュリストを支持しており、対人信頼感が低い投票者は社会契約に懐疑的である。メランション投票者は、高い対人信頼感をもっているので、社会正義を信じているし再分配にも好意的だ。ル・ペン投票者にはその正反対があてはまる – かれらは、たとえ再分配から恩恵がえられる可能性が原理的にはあるとしても、それが解決策として機能するとは信じない。ル・ペン投票者は対人信頼感が低いので、社会契約に懐疑的であり、再分配政策から恩恵を受けるのは自分達ではなく誰か別の人達だろうと感じているのだ。マクロン投票者となると、前述の両側面でル・ペン投票者の正反対となる: マクロン投票者は対人信頼感が高いので、原則的には、再分配制度に反対ではない; かれらは、それが求められる場面では、再分配制度も上手く機能するかもしれないと考えている。ただし、富裕であるとともに自らの人生に満足しているマクロン投票者は、要するにそれが求められているとは考えていない。これらの効果は互いに打ち消し合い、結局かれらは再分配に対し概して無関心となっている。最後に、この呼応の系を完成させるフィヨン投票者だが、かれらは人生満足度が高く (従って再分配が必要だとは信じない)、また対人信頼感は低い (従って再分配が求められていたとしても、それは上手く機能しまいと信じている)。
人生満足度と対人信頼感は、個人的変数と社会的変数の両方と関連付けることができる。人生満足度は個人的な社会経済特性、とりわけ所得と、緊密に関係している。対人信頼感のほうは、人生の比較的早い時期に決定してしまう因子により説明される: 両親の職業階級、とりわけ両親のかつてよりも成功しているかいないかとの質問、また育った土地の文化などである。Le Bras and Todd (2013) は詳細な歴史データを活用して、フランスにおける地方の歴史的差異がル・ペンを是とする投票と高度に相関していることを証明している。具体的には、拡大家族が共働する伝統をもち諸般の地域慣習を形成しているフランス南西部では、対人信頼感が高く、ル・ペンへの投票は少ない。かたや核家族と個人主義が優勢な北東部では、対人信頼感は低く、ル・ペンへの投票は多い。
イデオロギーの異なる家族
これらの社会学的・経歴的な違いは諸般のイデオロギーに反映されている。投票者集団のあいだで異なる組み合わせを取る、よっつの変数群が存在する。倫理上の価値観 – 同性愛的ライフスタイルの承認など – は概して伝統的な右派左派軸に落とし込まれ、メランションとマクロンの投票者は、フィヨンとル・ペンの投票者と正反対のところにいる。財政上の価値観 – 連帯や前述の再分配など – は、マクロンとル・ペンの投票者にとっては大きな関心事ではない。メランションとフィヨンの投票者にとっては大問題だが、お互いの方向性は正反対である。
図3 投票者選択ごとにみた、イデオロギー的グループ分け (合成変数)
注: 2017年第一回選挙における各候補者の投票者による回答の加重平均。各イデオロギーの構成に使用した質問はAlgan et al. (2018) の表1で確認できる。
ポピュリズムは、例えばエリート層への不信という形式を取ったそれについていえば、一方をル・ペンとメランションの投票者、他方をフィヨンとマクロンの投票者とする分断の存在を明らかにする。最後に、開放性の価値観 – EU支持であるなど – は、マクロンとル・ペンの投票者のあいだでは正反対の方向性が強く表出されているが、フィヨンとメランションの投票者はこの種の論点に相対的に無関心である。
新たな脱階級化?
伝統的な右派左派軸の変容については、旧来の階級制度の瓦解というものがひとつありうる説明となろう [訳註2]。本データからもこの前提に対する一定の支持が得られている。伝統的な左派右派軸上でみると、メランション投票者のあいだでは、かれらの敵対者たるフィヨン投票者とちょうど同じように、階級意識の感覚が共有されている。どちらの階級においても、その社会的および職業的な階級が投票に関係しており、このことは個人所得について調整したあとでも変わらない。ところがル・ペンとマクロンの投票者のあいだにはもっと個人主義的な視座が共有されており、所得について調整してしまうと、階級および隣人の所得はその投票にさほど関係していない。従って、伝統的な右派左派軸の崩壊の理由については、フランス階級制度の漸次的崩壊と伝統的な社会構造の浸食によって、多数の個人が散り散りのまま社会から弾き出された状態に置かれていることがひとつのありうる説明となる。1930年代における全体主義の勃興に対するハンナ・アーレントの分析に擬えて、「階級 (classes)」 から 「大衆 (masses)」 への移行とでもいえようか。
参考文献
Algan, Y, E Beasley, D Cohen and M Foucault (2018) , “The rise of populism and the collapse of the left-right paradigm: Lessons from the 2017 French presidential election”, CEPR Discussion Paper 13103.
Dustmann, C., Eichengreen, B., Otten, S., Sapir, A., Tabellini, G., & Zoega, G. (2017). Europe’s trust deficit: causes and remedies, CEPR Press.
Le Bras, H. and E. Todd (2013). Le Mystere Français. Paris: Le Seuil.
註
1 本稿では 「ポピュリスト」 の語句を、ラディカル右派 – 同盟 (Liga) や国民戦線のような – の性格付けとして用いている。ラディカル左派も同じくらい反体制的であるが、我々が明らかにするように、マイノリティに対する同種の偏見は共有されておらず、支持する経済綱要も全く別物である。
2 注意してほしいのが、投票者選好への言及はフランス政治研究センター質問紙に対する回答から確保したものであり、候補者の発言から得たものではない点だ。ル・ペンの綱要が再分配政策を含んでいた可能性はあるとはいえ、投票者に選好について尋ねた時、ル・ペンに投票した人達の再分配に対する選好は、メランションに投票した人達よりも遥かに弱かったのである。
3 幾つかの論文がこの決定的な問題を取り上げている; そのうち数点については我々の論文で批評している。
4 人生満足度の質問は、「あなたは自分が歩んでいる人生にどれくらい満足していますか? (How satisfied are you with the life you lead?)」 で、尺度は0から10まで。対人信頼感 (質問は、「一般的にいえば、ほとんどの人は信頼できるといえるでしょうか。それとも、他人と関わるときには注意してし過ぎることなどないでしょうか? (Generally speaking, would you say that most people can be trusted, or that you can never be too careful when dealing with others?)」 などといった信頼感に関する質問群の線形結合からなる)。
訳註1. : 元論文の関連個所には次の図が掲載されている:
出典: Algan et al. 2018より引用