ラルス・クリステンセン 「キューバ危機の痕跡はどこ? ~キューバ危機時の株式市場の反応は何を物語っているか?~」(2014年4月17日)

●Lars Christensen, “The Cuban missile crisis never happened (or at least the stock markets didn’t care)”(The Market Monetarist, April 17, 2014)


歴史書を紐解くと、冷戦時代に起こった最も戦慄的な出来事の一つとして、「キューバ危機」(キューバミサイル危機)が挙げられているのがよく目に付く。キューバ危機は、全世界が核ハルマゲドン(核戦争という名の最終戦争)の瀬戸際に立たされた瞬間だというのである。

しかしながら、歴史書は間違っているかもしれない。少なくとも、当時の米国の株式市場の反応に照らす限りでは。第三次世界大戦の一歩手前まで迫っていたのだとすれば、キューバ危機の最中に株価が急降下していてもおかしくないはずである。石が坂を転げ落ちるように。

実際のところはどうだったか? S&P500指数(株価指数の一つ)は急降下なんてしなかった。1962年10月のあの13日の間に――米国とソ連との間で緊迫したにらみ合いが続いたあの13日の間に――、S&P500指数には何の波風も立たなかったのだ。もう少しのところで第三次世界大戦にまで発展していたかもしれないことを踏まえると、驚くべきことであるように思える。

米国とソ連がにらみ合いを続けていた間に株価が急落しなかったのは、なぜなのだろうか? いくつかの理由が考えられる。キューバ危機がいわゆる「相互確証破壊」(MAD)の実例だったからかもしれない、というのがそのうちの一つだ。米国の上層部もソ連の上層部もよくわかっていたのかもしれない。どちらか一方が先制的な核攻撃を仕掛ければ、その先には核兵器の撃ち合いが待っていて、そうなってしまえばもう勝者などいないことを。それゆえに、どちらの国も核戦争を本気で始める気などなかったのかもしれない。投資家たちはそのことを見抜いていて、第三次世界大戦が勃発するかもしれないと世界中のメディアが騒ぎ立てても、パニックに陥らずに平静だったのかもしれない(世間に流布している通説とは違って、株式市場は、政策当局者よりもずっと冷静でパニックに陥りにくいのだ)。

株式市場は、ケネディ政権の上層部よりも地政学的なリスクに通じていたという可能性もある。株式市場は、ケネディ政権の上層部よりも先に、キューバ危機が発生するリスクを察知していたという可能性である。その証拠に、ソ連がキューバに核ミサイルを持ち込んでいることが政府によって国民に知らされるよりも数ヶ月前の段階で、株価は20%以上も下落していたのだ。

結局のところ、株式市場の判断は正しかった。第三次世界大戦は起きなかったし、13日間に及ぶ緊迫したにらみ合いを経て危機も終息に向かったのだ。

ところで、キューバ危機は、米国経済にどのような影響を及ぼしたのだろうか? 米国の消費者や投資家がキューバ危機に気付かなかったわけがないのは言うまでもないが、キューバ危機のような地政学的なリスクは、(総需要ショックというよりは)総供給ショックの一つとして捉えるべきだというのが私の考えだ。地政学的なリスクは、ロバート・ヒッグス(Robert Higgs)の表現を借りると、「レジーム不確実性」を高める効果を持っているのだ。教科書的なAD-ASモデル(総需要・総供給モデル)で言うと、AS曲線(総供給曲線)を左方にシフトさせる効果がある(「負の総供給ショック」)と考えられるのだ。金融政策のスタンスに変化が無い限りは、AS曲線が左方にシフトするのに伴って、実質GDP成長率は低下する一方で、インフレ率は上昇することになる。1962~63年の段階ではまだそうならずに済んでいたが、1960年代後半に入ると、「レジーム不確実性」が高まったせいで実質GDP成長率が押し下げられたことがはっきりとしてきたのだ。

株価がどうなりそうかを評価する時に覚えておくといい大事なことがある。株価というのは、(貨幣単位で測られる)名目値だということだ。それゆえ、地政学的なリスクが高まったりして「負の総供給ショック」が生じても、中央銀行が金融政策の舵取りを誤らずに総需要(名目支出)が安定しているようなら、株価は下落するとは限らない。「負の総供給ショック」のせいでリスクプレミアムが高まるようなら株価の下落圧力になるのは確かだが、(株価を左右する要因の一つである)企業収益の伸び率にどういう影響が及ぶかはわからない。「負の総供給ショック」のせいで企業収益の伸び率が落ち込むとは限らないのだ。

つまりは、地政学的なリスクが株価にどんな影響を及ぼすかを理解するためには、地政学的なリスクに対する金融政策の反応を考慮に入れる必要があるのだ。この点は、目下のウクライナ情勢が持つ意味を理解する上でも大いに関係してくる。

ああ、おそろしや。ロシア中銀&ウクライナ中銀による追い討ち

ウクライナ情勢をめぐって地政学的な緊張が高まっているが、そのことはロシア経済にとってもウクライナ経済にとってもかなり大きな「負の総供給ショック」の発生を意味している。どちらの国の通貨も大幅に減価している(通貨安の方向に触れている)ことにそのことが表れているが、1962年10月のアメリカと違うところもある。ロシアの株価もウクライナの株価も揃って急落しているのだ。

「レジーム不確実性」の急激な高まりを考えると、投資家たちがロシア株やウクライナ株を手元に持っておきたがらなくなったとしても何ら不思議じゃない。しかしながら、見逃してはならないことがある。どちらの国でも、中央銀行が追い討ちをかけているのだ。ロシア連邦中央銀行(CBR)は、ルーブルの防衛に向けて金融引締めに転じた。ルーブルの減価を食いとどめるために、為替市場に積極的に介入するだけでなく、政策金利を1.5%も引き上げたのだ。政策金利がさらに引き上げられる可能性も残されている。ウクライナ国立銀行もロシア連邦中央銀行の例(悪例)に倣った。政策金利を3%も引き上げたのだ。

つまりは、どちらの国の中央銀行も「負の総供給ショック」に対して金融引締めで応じる格好になってしまっているわけだ。中央銀行のための教科書の1ページ目に「これだけはやっちゃダメ」と書かれているまさにそのダメなことやってしまっているわけだ。悲しいことに、世のセントラルバンカーの多くは、教科書なんて読まない。だからこそ、「負の総供給ショック」に金融引き締めで応じて「負の総需要ショック」を付け足すなんていう所業――事態を悪化させるだけでしかない所業――を平気でやれてしまうのだ。

株価が急落しているのも当然なのだ。金融政策が引き締められると、総需要(名目支出)が落ち込む。総需要が落ち込むと、企業収益の伸び率が鈍る。株式市場にとって悪い報せであることは言うまでもないだろう。

地政学的なリスクの高まりが株価にプラスに働くような逆説的なケースもあり得る。地政学的なリスクの高まりが景気を冷え込ませるのではないかと懸念して、中央銀行が金融緩和に乗り出したとしたらどうなるだろうか? ユーロ圏でそのような方向に(ほんのちょっとではあるが)舵を切ろうとする気配が感じられるのだ。少なくともECB(欧州中央銀行)のドラギ総裁の発言から判断する限りだと、ウクライナ危機がユーロ圏の景気の足を大きく引っ張る可能性があると考えている節があるのだ。ウクライナ危機が勃発してからというもの、ECBが若干ハト派寄りになってきているように感じられるのだ。ポーランド国立銀行の上層部にしても、少なくともその発言に限ればハト派寄りになってきているようだ。

中央銀行は、「総供給ショック」――「負の総供給ショック」であれ、「正の総供給ショック」であれ――に応じて金融政策のスタンスを変えるべきじゃないというのが原則だ。しかしながら、「負の総供給ショック」に対して金融緩和で応じれば、名目GDP成長率が高まることになるだろうし(実質GDP成長率も高まるかというと、そうとは限らない)、そのおかげで株価に(実質GDP成長率が高まろうがそうでなかろうが)プラスに働くことだろう。今まさにそうなっていると言いたいわけではない。地政学的なリスクが高まると、株価が必然的に下落するとは限らないと言いたいのだ。地政学的なリスクの高まりが株価にどんな影響を及ぼすかは、金融政策がどう反応するかにかかっているのだ。

1960年代の教訓:株価は名目的な現象である

キューバ危機に話を戻すとしよう。キューバ危機の最中とそれ以降の(米国の)株式市場の動きを理解しようとするなら、当時の名目GDPがどう推移していたかに目を向けるのが一番だ。

米国では、1961年以降に名目GDP成長率が加速した。1961年第1四半期の名目GDP成長率は年率換算でわずか0.5%に過ぎなかったが、1962年第1四半期には年率換算で9%を記録するまでになっていたのである。名目GDP成長率の加速を牽引したのが大規模な金融緩和だ。しかしながら、1962年に入ってすぐに金融政策が引き締められて、名目GDP成長率が大きく減速し始めることになる。これ(金融引締めとそれに伴う名目GDP成長率の落ち込み)こそが、「ケネディ・スライド」(Kennedy Slide)として知られている(1961年12月から1962年6月にかけての)株価暴落を引き起こした真の犯人だというのが私の考えだ。ここまではキューバ危機が起こる前までの話だ。

キューバ危機が起こると、FRBは再び金融緩和に転じた。はじめのうちは踏み込みが甘かったが、緩和スタンスが徐々に強められていった。それに伴って、名目GDP成長率が加速し始めることになる。そのおかげで、キューバ危機が終息して以降の1962年の残りの期間に株価が下支えされることになったというのが私の考えで、確信を抱いている。

注目に値するのは、1960年代全体を通じて、米国の金融政策の方向性が地政学的な要因によって強く規定されたということだ。金融政策だけではない。ケネディ政権の政策にしても、その後を継いだジョンソン政権の政策にしてもそうだ。特に、ジョンソン政権による福祉国家の強化に向けた試み――「偉大な社会」構想――も地政学的な要因によって突き動かされていた面がいくらかあるのだ。FRBは、1960年代全体を通じて、政府支出の拡大を積極的に側面から支援し続けた。かの有名な(悪名高い?)「オペレーション・ツイスト」がいい例だが、債券市場に積極的に介入して国債の利回りを低い水準に抑えつけようと腐心したのである。そのせいで、インフレが徐々に加速することになったのだ。

1960年代前半に関しては、FRBによる金融緩和は、名目GDP成長率を高めると同時に、実質GDP成長率も高める効果を持った。しかしながら、1960年代後半になると、戦争向けの支出(軍事支出)や社会福祉向けの支出が経済全体の生産性にマイナスの影響を及ぼして、生産性の伸びが大幅に鈍化した。その結果として、金融緩和に伴う総需要の拡大が物価の急騰というかたちをとって表れることになったのである。

米国の株価に関しても注目に値することがある。1960年代全体を通じて、株価の変動と名目GDPの変動がシンクロしているのである。米国の株価は、1960年から1970年までの間に80%~90%くらい上昇しているが、名目GDPもそれと同じくらい増えているのだ。以下のグラフをご覧いただきたい。

ngdp-sp500-1960s

地政学的なリスクが高まったからといって、株価が下落するとは限らない。しかしながら、地政学的なリスクが高まると、中央銀行による愚かな過ちが誘発されるかもしれない。1960年代のFRBがいい例だ。ウクライナ情勢をめぐる地政学的な緊張が今後ますます高まったとしたら、世界各国の金融政策にどんな影響が及ぶだろうか? どうなりそうかを占うために、1960年代のアメリカの経験から何らかの指針を引き出せるだろうか? そう簡単には答えられない難問だ。

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