Ernesto Dal Bó, Pablo Hernandez-Lagos, Sebastián Mazzuca, “Failed states and the paradox of civilisation: New lessons from history“, (VOX, 26 July 2016)
国家破綻の事例がここ十年間に相次ぎ、この傾向は特に中東やサブ-サハラアフリカで目を惹くものとなっている。しかし国家破綻は何も新しい現象はではないのだ。歴史的実証データは、近代早期をはじめ、青銅時代まで遡るものであっても、形成国家の大半が繁栄ではなく破綻しきたことを明らかにしている。本稿では 『文明のパラドックス』 というものを導入し、定住状態に達した集落が文明の確立に際して直面する障碍の特徴付けを試みる。同パラドックスは一文明の成功を、経済的余剰を生み出す能力とそれを守り抜く能力とのトレードオフとして定義する。したがって救援を送る際には軍事支援と経済支援の間のバランスを正しく保つことが重要になる。
『破綻国家』 はポスト冷戦時代における喫緊の国際政策課題である (Fund for Peace 2015)。破綻国家は、大飢饉 (チャド・エチオピア・ブルキナファソ)、荒廃的内戦 (リビア・マリ・ニジェール)、或いはそれが同時に起きた事例 (スーダン・ソマリア・コンゴ民主共和国) などの人道的大惨事の原因となっている。国際コミュニティが破綻国家に関心を寄せるのは単なる利他主義からではない。それには安全の問題もまた決定的重要性をもっている、というのは破綻国家がアフガニスタン・パキスタン・イラク・シリア・イエメンにおける国際テロ組織、とりわけイスラム急進主義者の温床になっている例が散見されるからだ。
疑問の余地の有る2つの戒め
破綻国家に対するこれまでの政策的対応には慨嘆を禁じ得ない。外国干渉に関する現行の取組みはジョージ・W・ブッシュの 『テロとの戦争』 を通して強化されているが、その有効性については現在も白熱した議論が絶えない。2003年のイラク侵攻以来、国家破綻事例はその数から言っても被害規模から言っても着実に激化している。外国軍が干渉を控えていた場合、反実仮想的な中東、或いは反実仮想的なサブ-サハラアフリカが今日いかなる姿を取っていたか、それは全く定かではない。しかし、近年の経験が発している1つの大きなメッセージは否み難いものである: 悪い政府を取り除くのは簡単だ、良い政府をパラシュート投下するのと比べればずっと。
『復興』 に関しては、これよりもっと具体的な2つの戒めが在り、それが新しい政策コンセンサスを作出している。しかし両者とも再検討が必要だ。第一の戒めはもはや一種の呪文と化した、所謂 『制度が大事』 説である。復興には人道的支援であれインフラ支援であれ単なる経済支援以上のものが関わっている、それゆえ紛争管理や政府正当性を確保する為の政治ルールおよび社会慣習も必要である (Fukuyama 2006)、云々。第二の戒めは、復興の成功には一定の 『政策順序』 が必要とされるというもの。国家破綻は多面的問題 – 政治的暴力・民族紛争・経済崩壊・基本的な健康および移動運搬サービスの瓦解など – であるから、復興には文明生活における多様な要素の構築が関わっている、そして、こういった要素を実現してゆく順序も最終的結果に影響を及ぼすことになる (Herbert 2014)、云々。
より広い歴史的視点から
『国家破綻』 という言葉は新しいが、政治的・経済的崩壊の劇的な事例は国家そのものと同じくらい古くから在る。だから21世紀の展開に分析を限定する理由は無いのだ。実際のところ、歴史的事例群をもっと広く取れば、現代の体験のみに由来する制度・順序についての戒めに修正を加えるのもやり易くなる。歴史が明らかにしているのは、先ず第一に、強制力 [force] の方が制度より重要だということである。第二に、経済的繁栄と政治的秩序の間のバランスの方が、その順序よりも関連性の有る問題だということである。
破綻国家が新奇に映るのはそれを冷戦のもたらした二極化世界との関連において見たときだけだ。この二極化世界では合衆国とソビエト連邦が衛星国 [client countries] の崩壊阻止を帝国優先事項としたのだった。しかし国家破綻の系譜は長い。チャールズ・ティリー [Charles Tilly] によれば、近代早期のヨーロッパ、(ヴェーバー的) 国家が誕生したまさにその地だが、そこでは「[1500年から1850年に掛けて] 国家として認識可能な存在形態を獲得するまでに至った単位であっても、その圧倒的多数は依然として消滅を続けていた」という (Tilly 1975) 1 。国家破綻は近代以前には殊更に顕著だった。ホモサピエンスの登場は20万年前まで遡るが、これに対し文明の勃興は6千年前という最近のことで、しかも半ダースにも満たない限られた地域での話なのだ。メソポタミア文明とエジプト文明の登場以前は、経済低迷と紛争の蔓延が一種の特徴となっていた。そのうえ文明は不可逆的成果からは程遠いものだった。青銅の時代が終わるまでには、主要な西部地中海文明が彼らより発展度の劣る諸社会、即ち 『海の民』 からの侵略の重圧に拉がれつつ崩壊する。それから地中海ヨーロッパに文明的秩序が再び勃興するまでさらなる5百年を待たねばならない。この新たな秩序の絶頂期を体現するローマ帝国もまた、ゴート族・フン族・ヴァンダル族・その他蛮族による侵略の犠牲に倒れたのだった。
斯くして、時間的フォーカスを広く取れば破綻国家は例外どころか人類の歴史の通例であったことは歴然となる。
文明のパラドックス
初期文明から現代国家に至るまでの様々な社会の成功を計る共通基準は、余剰 (繁栄) を生み出し、その余剰を守り抜く (安全) 為の二重の能力である。現代の国家破綻事例はしたがって、余剰を生み出し守り抜くことに失敗した諸社会から成る巨大な集合における数例に過ぎないのである。同集合はじつに巨大で、人類発展史の98%がここに含まれ、さらに現代の世界の5分の1以上をカバーするほどなのだ。
国家破綻の恒常性、ならんで国家形成の例外性は、単純だが手強い或るパラドックスに根を持っている。発展途上にある社会はみな繁栄と安全の間の根源的なトレードオフに直面する。もし新たな繁栄が敵対集団 (問題となる社会領域内部のそれにせよ、外部のそれにせよ) による略奪的襲撃を招くのならば、富の創出をめざす社会の努力はその社会の主権を切り崩すことになる。さて、最近の論文で我々は 『文明のパラドックス』 というものを導入し、シュメールやエジプトにおける原初的文明の登場に先立つ何千もの初期農業集住体をはじめ、中世ヨーロッパや植民地支配を脱した後のラテンアメリカの数百に及ぶ港市・都市・村落、また中東とサブ-サハラアフリカにおける現在の復興活動に至るまで、あらゆる所で共有されているこのジレンマの特徴付けを試みている (Dal Bó et al. 2015)。
こうした社会の大部分は、その存続期間のこれまた大部分で、絶望的な二者択一の板挟みに捕らわれていた。一方に在るのは危険な 『自己破壊的繁栄』 という選択肢、即ち略奪的襲撃を誘発しかねないような投資的活動であり、もう一方に在るのは比較的安全だが停滞的な 『計画的後進性』 という選択肢で、こちらは略奪行為の予防にはなるだろうが、その代償として経済活動を辛うじて生存可能な水準に留め置くので、したがって文明への道は閉ざされる。歴史書を紐解けば、読者は難無く自己破壊的繁栄の事例を幾つも見出すだろう。そこには生産力に富んだ政体が、その様々な発展段階において、経済的な洗練は無いが軍事活動には積極的な社会の貪欲の餌食となる様があまた記されている。これとは対照的に、計画的後進性の事例は謂わば『吠えなかった犬』 だ。この様な発展の中絶はその歴史的痕跡の希少性を暗示している。しかしながら、アメリカ独立前夜というかなり現代に近い時期のウッドメイソン [Woodmason] という英国国教会の聖職者がサウスカロライナでみられた絶好例を伝えてくれている。というのも彼は 「当州における最良の土地は無人 [のままであり]、富める者はその地の開墾を躊躇 [している] 」 、それは彼ら富裕者が 「ならず者の餌食に」 なりたくないと思っているからだ、という言葉を残しているのだ (Sayre 1994) 2。
前制度的原因
この文明パラドックスに考察を加えるべく、我々は、経済的余剰を創出する潜在能力をもった社会 (現任者 [incumbent]) がその産出物を奪取する力の有る敵対的集団 (挑戦者 [challenger]) と直面する、という形式モデルを作成した。現任者は、余剰の生産と、略奪的奇襲を見越した余剰の防衛との間にどのように資源を割当てるか意思決定しなければならず、一方で挑戦者がもつ襲撃へのインセティブも現任者の獲得した繁栄 (防衛) 水準に伴って上昇 (下降) することになる。人類学と歴史学の文献を参考にし、我々は前制度的強制力、とりわけ地形的周辺環境という物理的側面を重視しているが、こういった側面によって、初期段階で現任者がもつ資源 (本論文中のパラメータv)、およびこの初期段階資源を将来の所得に変換する能力 (成長能率ρ) ならびにそれを防衛力に変換する能力 (防衛能率κ) が定義される。
本モデルは数多くの示唆を生み出しているが、そのうちの幾つかは政治的秩序の起源や経済的繁栄に関する通説とかなり食い違う所が有る。同示唆はさらにシュメールとエジプト – 繁栄と安全を共に確保した社会としては初のもの – の興亡について再解釈を促し、現代破綻国家に由来する戒めに修正を加えるものとなっている3。
本モデル第一の貢献は、社会が様々な水準の経済的な繁栄と安全を確保する諸条件 – 様々な値をとったパラメータv・ρ・κの組合せ – の特定にある。次に挙げる4つのアウトカムが重要だ。
- 破綻国家
防衛能率κが低く、かつ、成長能率ρがκとの比較でみて高い場合、社会は経済停滞と軍事的脆弱性という状況に捕らわれることになる。殊に初期段階所得 (v) が高い場合、現任者に該当する社会は敵対的集団を吸い寄せる磁石と化してしまうが、κが低い為に効果的抑制が阻害される。この様に将来を見越して、現任者社会は経済成長に向けた努力は一切しなくなるだろう。
- 繁栄なき秩序
ρが低く、κがρとの比較で見て高い場合、社会は経済成長への機会を放棄して安全を確保することが出来るかもしれない。経済を貧弱に留め置くならば敵対的集団も遠くに留め置かれる。
- 秩序なき繁栄
ρがκとの比較で見て不釣り合いに高い場合、社会は敵対的襲撃に対しては極めて脆弱に留まりながらも経済を成長させようとする。これはまさに反ホッブズ的アウトカムだが、例えば差し迫ったヴァイキング・モンゴルによる侵略に直面したアングロサクソン族・中国 (それぞれ10世紀・13世紀のこと) のように、敵対的襲撃が強く見込まれているのにも関わらずなおも社会が投資行為を継続した数多の場面を把捉するものでもある。
- 文明
κとρの両者が比較的高くしかもバランスが取れている場合、社会は安全と繁栄の双方を共に確保しようとする (文明)。こうした状況なら、社会は自らの初期段階資源の一部を経済成長に割当てることが出来るし、その軍事的能率のおかげで、残余の資源は抑止力を創出しつつ生産活動の成果を守り抜く目的に十分足りる。
示唆
本モデルは文明および国家の興亡に関して新しい理解を提示するものであり、また現代の破綻国家に由来する戒めに修正を加えるのにも役立つ。一大パラダイムを画したシュメールとエジプトにおける文明的躍進は、人類学者や歴史家が現在認めているところよりも軍事的色彩の濃いプロセスだったのであり、国家破綻の解決のプロセスも国際コミュニティによる現代的推奨案において仮定されているところより制度的色彩の薄いものだと考えられる。
V・ゴードン・チャイルド [V. Gordon Childe] (1950) の仕事以来、考古学者の間では、文明の主要な原動力となったのは食糧生産に関して自然的恩恵およびテクノロジー双方の観点から例外的に恵まれた潜在力だったという考えが受け入れられている。肥沃な土壌、食用に適した動植物の豊穣、そして灌漑技術の発展。これら全てが合わさって農業革命が可能となったのだが、これは多くの点で産業革命より根源的な経済的変容だった (Diamond 1997)。相当量の余剰が無ければ、有形的な文明の要素を経済的に下支えすることは不可能だ。しかしながら、余剰の生産だけではまだ話は半分しか終わっていない。残りの半分は余剰の防衛である。本モデルが示すように、適切な余剰の防衛が無い場合、繁栄は実のところ自己破壊的ともなり得る。歴史学者ウィリアム・マクニール [William McNeil] の見る所、農業革命の創出した『相対的に見て莫大な富』 こそが、余剰を生み出し始めた最初期の社会を 『武装外部勢力にとって襲撃するだけの価値の有る対象』 に変えたのだった。しかしシュメールとエジプトの登場を文明のパラドックスという視点から分析した仕事を我々は寡聞にして知らない。BC8千年からBC2千年に掛けて世界に散在していた幾千もの農業村落のうち、略奪的襲撃の阻止を成し遂げ、十全たる文明に到達したのは、限られたごく少数のみだ。本モデルも、文明の登場には高度の生産力と強固な防衛力が手を携えて進む必要があることを予測する。砂漠がエジプトに与えた自然の守りも、人の手により築かれたシュメールの防衛施設も、それぞれの発展過程で決定的な役割を担う要素だったのだ。シュメールやエジプトでは、灌漑機構が生産の余剰をめざすにあたって唯一無二の重要性をもった投資対象だった。シュメールの灌漑はもう一つの大規模公共財である周辺防壁と相合わさっていたが、これは余剰の防衛の観点から見てエジプトにおける砂漠の部分的な代替物となった。
本モデルは破綻国家への政策的介入に関して幾つかの具体的な戒めを与える。第一に、軍事支援と経済支援の間のバランスの方が、その順序よりも関連性の有る問題であるという点。経済支援単独では実のところ国家形成という目的にとって反生産的になり得る、というのは所得が高いほど略奪的集団の貪欲を刺激することになるだろうからだ。新たな経済的資源には必ず一定の守りを備える為の新たな能力が、それが自国のものであれ外国のものであれ、ともかく相伴わねばならない。第二に、強制力の方が制度よりも重要である点。制度設計が国家破綻への解決案をもたらすという考えは、政治経済学の領域における或る基礎的発見の誤った政策的応用に由来する。その発見というのは、所有権・法の支配・選挙を通した問責可能性 [electoral accountability] などといった自由主義的制度が近代における発展の支柱をなしているというものだ。しかしながら、破綻国家には、どのようなタイプの制度的仕組みであれ、自由主義的なのか反自由主義的なのかとも無関係に、それを施行するだけのリソースが不足している。破綻国家にとっての優先事項はより優れたルールというよりも、より強い力なのだ。
自由主義的制度は西ヨーロッパや北アメリカにおける産業革命の重要な先駆けとなった。それでもなお、先史時代此の方、諸政体の存立を可能にした肝心の大規模経済変容はなんといっても農業革命だったのであり、その成功は略奪的集団に対する物理的な抑止力に掛かっていた。ヨーロッパその他の地域における農業革命は自由主義的制度の登場に数千年も先立つものであったとはいえ、それは熱帯アフリカの相当部分では大まかに言って今まさに取組まれている最中だし、中東地域の大部分では実質的に元の木阿弥と化してしまった。破綻国家が陥っているのは、北大西洋経済諸国が産業革命前夜に直面したものよりもっと基礎的な発展段階における落とし穴なのだ: 破綻国家が繁栄しないのは、安全が確保されないならば、他でもない繁栄が、紛争を悪化させるからなのである。
参考文献
Dal Bó, E, P Hernández, and Mazzuca, S (2015), “The Paradox of Civilization: Pre-Institutional Sources of Security and Prosperity”, NBER working paper 21829
Diamond, J (1999), Guns, germs, and steel: The fates of human societies, WW Norton & Company
Fukuyama, F (2006), Nation-Building. Beyond Afghanistan and Iraq, Baltimore, Johns Hopkins University Press
Fund for Peace (2015), Fragile States Index 2015, Washington DC.
Childe, V G (1950), “The urban revolution”, Town Planning Review, 21 (1), 3
Herbert, S (2014), Sequencing reforms in fragile states: Topic guide, Birmingham, UK GSDRC, University of Birmingham
Herz, J H (1950), “Idealist internationalism and the security dilemma”, World politics, 2 (2), 157-180
Jervis, R (1978), “Cooperation under the security dilemma”, World politics, 30 (2), 167-214
McNeill, W H (2013), The pursuit of power: Technology, armed force, and society since AD 1000, University of Chicago Press
Sayre, R F (1994), American lives: An anthology of autobiographical writing, University of Wisconsin Press
Tilly, C, and G Ardant (1975), The formation of national states in Western Europe, Volume 8, Princeton University Press.
原註
[1] きちんとした歴史の記録は生き残った国家にしか無いので、破綻国家と成功国家の比率は甚だしく過小に推定されたままである。 [2] ここで文明のパラドックスと国際関係論における古典的な 『安全保障のジレンマ』 との違いを明確にしておくのが有用だろう。後者がいうのは、より高い安全性を備えようとする国家の努力は残余の国家の安全にとって脅威となるので、これら国家も同様の努力を以て応酬し、結果、全ての者に紛争激化と不安定性の高まりが生じるという現象である (Herz 1950, Jervis 1978)。文明のパラドックスでは、社会は自らの軍事力を向上させる力が無いだけでなく、経済成長の為の生産的投資をする力も無い。重要なのは、この2つ目のタイプの投資は、繁栄の増進が近隣集団に侵略のインセンティブを与える為に、決して安全性中立的ではない点だ。最後に、繁栄が創出する地政学的危険を見越して、社会が経済的投資を避け、軍事的安全性の代償に成長への潜在能力を放棄することも考え得るだろう。 [3] 歴史の皮肉というべきか、現在ISISは、最も劇的な破綻事例、即ちシリアとイラクを切り分け、自らの領土区画 [territorial domain] としているが、これらの国が占める地理的領域こそ最初期文明が嘗て花開いたまさにその地だった。