ノア・スミス「やっぱりもしかしてスマホがわるいのかも」(2023年3月2日)

画像
By Matthew Yohe, CC BY-SA 3.0

十代の子たちの不幸を説明するもっとも有望な要因

「テレビなんてぶち壊せ / 新聞なんて投げ捨てろ / 田舎に行こう / 家を建てよう」――ジョン・プライン

アメリカで広まっている十代の不幸について,興味を引く議論が続いている.発端は,疾病対策予防センター (CDC) の調査報告だ.これによると,アメリカの高校生たちのあいだで,哀しみや無力感が増えてきている.とくに女の子で顕著だ.たんに,聞き取り調査に対してみんながこれまでとちがう回答をしているあだけじゃない――十代の自殺者も増えているし,不安や鬱の症状も増えている.2012年~2013年ごろから,事態が悪化しはじめている.

画像
Source: Twenge (2020)

考えうる理由のひとつは,「2011年よりも世の中がずっとひどくなってしまったから」というものだ.テイラー・ローレンツが言うように,気候変動・格差・雇用不安・コロナウイルスなどなどのせいで世の中がわるくなったら,十代の子たちがかつてより不幸になっているという説も考えうる.でも,先週の記事で指摘したように〔日本語版〕,そうしたことの大半は,10年前の方がよほどひどかった(もちろん,コロナウイルスは別だ).

画像
Source: Gimbrone et al. (2022) via Matthew Yglesias

エリック・レヴィッツの指摘によると,アメリカでの暮らしはいまの方がずっとよくなっている.十代の自殺件数がいまよりずっと少なかった時期よりもいまの方が物質的な基準でみた暮らしはよくなっている.それどころか,豊かだから十代の子たちがかつてほどしあわせでなくなっているように見える.Rudolf & Bethmann の新しい論文によると,豊かな国々ほど大人たちはよりしあわせである傾向があるものの,思春期の子供たちは生活の満足度は低くなる傾向がある.

さらに,最近の記事でマット・イグレシアスがこういう見方を提案している――進歩的な政治にも,いくらか非難されるべき部分があるかもしれない.リベラルな十代の子たちのあいだで不幸の増加は早期にはじまっていて,その度合いも少しだけ大きい点をイグレシアスは指摘している:

イグレシアスはこう論じている.2010年代の進歩的な政治では,なんでもかんでも破滅的な観点で考えるよう進歩派の人々はうながされていた.そのせいで,彼らはあまりしあわせでなくなっていたのだと彼は言う.ようするに,十代の子たちは,テイラー・ローレンツみたいな人たちが抱いているのと同類の終末的な世界観を採用するように政治やメディアの人々にうながされていた,というわけだ.

悲観的で絶望した論調は長期的にみて政治的な意欲をそこなうという話は,イグレシアと同じく,ぼくも長らく主張してきた.だから,「進歩派は怒りや憤慨から決然とした楽観主義に切り替える努力をすべきだ」って点には同意する.でも,その上で言うと,イグレシアス説にぼくはちょっとばかり懐疑的だ.因果関係は逆向きになっていてもおかしくない――もしかすると,みんながふしあわせだから進歩的な政治がああいう悲観的な論調になっているのであって,その逆ではないのかもしれない.もしかするとイグレシアスが正しいのかもしれないけれど,もっとずっとあからさまな説明要因があると思う.疑惑追及の出発点にすべき候補がいるじゃないか(あるいは,お好みなら「ベイズ事前分布での最有力候補」と呼んでもいい).

その候補とは,スマートフォンだ.

「犯人はスマホ」を最有力候補にすべき理由

スマートフォンこそを最有力候補にすべき理由の1点目は,タイミングが見事に合っていることだ.スマートフォンという発明は2007年に登場した.でも,広く普及し始めたのは2010年代になってからで,まさにその時期に十代の子たちの幸福度が崖から滑り落ちるように下がっている:

画像

年配の人たちにくらべて,若いアメリカ人ほどスマホというテクノロジーをすばやく使いはじめた.2010年~2011年は,とくに重要な時期だ.それにもちろん,スマートフォンの「キラーアプリ」といえばソーシャルメディアだった.Facebook や Twitter をのぞくのにいちいちパソコンに向かわなくちゃいけないようでは,ソーシャルメディアを断続的にしか体験できない.でも,ポケットにスマートフォンがあって,通知をオンにしてあれば,どんなアプリだろうといつでも即座に開ける.

「で,なんでそれでふしあわせになるの?」 すぐ思いつく理由があるじゃないか:社会的な孤立だ.

ほぼ誰でも知っているように,社会的に孤立すると幸福度は下がる.研究結果も,これを強く支持している.社会的孤立が自殺リスクにもなることもわかっている.刑務所で科される最悪の罰は,独房での監禁だ.人によっては,これを拷問の一種だととらえたりもする.社会的孤立とふしあわせに因果関係があるのかあやしんでる人は,ぜひ思い出してほしい.ぼくらはつい最近,社会規模でその自然実験をやったばかりじゃないか.コロナウイルスのパンデミックにともなう社会的孤立の結果は,明らかにマイナスだった.

「でも,スマホみたいにみんなのつながりを広める機械が,どうして社会的孤立をもたらすの? 逆じゃない? ポケットにある機械を使えば友達や知り合いの誰も彼もとすぐに接触できるおかげで,昔よりも孤立しにくくなったんじゃない?」

それがそうでもないんだよ.パンデミックの自然実験で立証されたように,物理的なやりとりは重要だ.テキストは,すごく薄められた媒体だ――テキストは遅くてぎこちないし,ありとあらゆるニュアンスや調子や情動の大海が,テキストでは失われてしまう.動画チャットですら,物理的なやりとりの代替としてはすごく不完全だ.生きて呼吸している肉体が物理的にそこにいるという体験は,スマホでは実現できない――何十億年もかけて進化をかさねて慣れ親しんでいる体験のかわりにはならない.それに,もちろん,言うまでもなく,セックスみたいな活動は物理的な接触があった方がはるかにすばらしい.

たしかに,スマートフォンそのものが,みんなに対面での人付き合いをやめさせるわけじゃない.でも,そういう人付き合いをスマートフォンが減らす理由はいくつかある.第一に,スマホは注意をそらす――スマートフォンの隆盛は,「スマホ傍若無人」(“phubbing“) の隆盛でもあった.つまり,そばにいる人たちに注意を払わずに手元のスマートフォンにばかり気をとられる人が増えた.第二に,スマートフォンは行動への「ナッジ」をもたらす.ジャンクフードが山盛りになったカゴがあればついついお菓子を食べ過ぎてしまうのと同じように,スマートフォンがポケットにあれば出かけて人付き合いするかわりにくだらないテキストを友達に送る方がかんたんだ.誰かと出かけた方がずっと満足度は大きいとしても,ついついかんたんな方に流れてしまう.第三に,対面でのやりとりにはネットワーク効果がある.人々の 20% がスマートフォンとにらめっこしていたら,誰もが対面での人付き合いの選択肢をとる機会を 20% 減らすことになる.

「スマートフォンはふしあわせを引き起こす」説を主張している中心人物である心理学者のジーン・トウェンギは,こういういろんな機序をうまくまとめてくれてる

ともあれ,データからは,孤立が増えていることがはっきりと見てとれる.十代の子たちは10年,20年かけて徐々に孤立を増してきている――もしかすると,一昔前より住宅が広くなった結果かもしれないし,自宅で愉しめる娯楽の選択肢がかつてよりもよくなった結果かもしれない.でも,対面でのやりとりが本当に急減したのはいつかと言えば――お察しのとおり――2010年からだ.

画像
Source: Jean Twenge

(余談:興味深いことに,十代の子たちの孤独感は1996年から2006年ごろまでの短期間には下がっている.これは,「旧来のパソコン中心のインターネットは対面でのやりとりを補完するものだったのであってそれに取って代わるものではなかった」という考えと整合する――あの頃のインターネットは対面でのやりとりと別個に人付き合いの輪をつくる場所だったんだ.ぼくがいつも言っているように,かつてのインターネットは現実世界からの逃避先だったのに,いまや現実世界がインターネットからの逃避先になっている.)

他の主な説明要因も,大半がスマートフォンに関わるものばかり

ともあれ,「容疑者はスマホ」こそが事前確率での最有力候補であるべき最後の理由は,次の点にある――他の説明の大半も,実のところはスマートフォン利用にもとづいているんだよ.たとえば,「Facebook や Instagram などのソーシャルメディア・アプリによって,一部の人たち,とくに十代の女の子たちは自分の評価をつきつけられすぎるように感じるというのは,よくある考えだ.いつも冴えてる Derek Thompson が,この説をを2022年4月に要約してくれてる

[Instagram で]2020年に実施された社内の研究では(…)十代女子の3分の1が「Instagram で気持ちが沈むことがある」と回答している.そう回答した女子たちは,それでも「ログインせずにいられない」と回答している.(…)また,ケンブリッジ大学の大規模な新研究も[ある].これによれば,84,000名を対象に調査したところ(…)ソーシャルメディアは,11歳から13歳の女子を含む多感な年代での心の健康の悪化と相関していた(…).ひとつの説明としては,十代(とくに十代女子)は友人・教師・デジタル世間からの評価にとりわけ敏感だということが考えうる.

そうは言っても,これはつまりスマートフォンの話だ.スマートフォンがなければ,Instagram から何日も遠ざかっているしかない.ポケットにスマートフォンがあれば,自分の仲間たちの評価なんてちょっと画面をスワイプすればいつでも目に入ってくる.

また,悪いニュースに若者が圧倒されているという考えもある.ふたたび Thompson のまとめを引こう:

十代の子供たちは,世間の認識によってストレスをより多く感じているようだ(…).「過去10年間に,十代の子供たちは,銃暴力・気候変動・政治状況についての懸念でいっそうストレスを覚えるようになっている」と[臨床心理学者の Lisa Damour が]書いている.(…)「パンデミックが収まりそうなところに突如としてロシア戦争がはじまった.毎日,またなにかが起きそうな気持ちでいる.世界についてとても陰鬱な物語がつくりだされている.」 この破滅の感覚がどこからもたらされているかといえば,(…)私たちであり,ニュースメディアであり,私たちの書いたものが拡散されるソーシャルメディアの経路だ.ニュースソースはかつてないほどにありあまっているし,かつてなく見聞きしやすくなっている.だが,周知のとおり,ジャーナリズムには悪いニュースを多く伝えがちな偏りもある.「一般に,よくないことほど人々の注目を集めやすい」ということを,不幸にしてニュースメディアが正確に理解しているために,そういう偏りがある.ニュースフィードに脳を接続するとき,現実をわるい方向にかたよらせた姿ばかりを眺めるのをみずから選んでいるにひとしい.(…)十代の子供たちが世の中について悲観的なのは,世界に哀しみが満ち満ちているからというだけでなく,気持ちを落ち込ませて当然だと絶え間なく年中無休で伝えるウェブサイトに若者たちがいつでもアクセスできるからでもある.

つまるところ,これは悪いニュースへの偏りと「思い出しやすさヒューリスティクス」の合わせ技だ.報道機関も,ソーシャルメディアで声高に書き散らしている人々も,みんなに悪いニュースを見せるインセンティブがある.なぜって,そうすることで影響力および/またはお金が手に入るからだ.それに,一日中悪いニュースばかり目にしていたら,テイラー・ローレンツみたいに,「この世界は破滅寸前だ」と思うようになる.

でも,これも実はスマホの問題だ.スマートフォン以前には,人々はニュースからたいてい切り離されて過ごしていた――それがいまでは,絶え間なくニュースをチラチラ確認している.Twitter みたいなスマートフォンで可能になったソーシャルメディア・サイトは,たんにニュース消費を増やしただけじゃない――自分の影響力を強めたくてこの世の災厄や破滅の話ばかりを声高に伝える人々の供給も増やした.

政治状況にもとづくイグレシアスの説すら,実のところはスマートフォンの問題だとぼくは思う.進歩派の政治家が昔よりも怒りや絶望を表明しやすくなったわけではないし,バーニー・サンダースやアレクサンドリア・オカシオ=コルテスにいたっては,完全に夢想家のように聞こえることすらある.でも,彼らと対照的に,スマートフォンがあるおかげで,若い進歩派たちは進歩的なソーシャルメディアの声高な人々に接触しやすくなっている.そうした声高な人々から,若い進歩派たちにはこんな話が絶え間なく浴びせかけられている――「民主主義の死」だとか,「貧困と格差のスパイラル」だとか,「金持ちに支配された政治」だとか,「止められない気候変動」だとか,「遍在するヘゲモニー的人種差別とシス異性愛家父長制度」だとか.

べつに,増大するふしあわせの説明要因になりうるものはなんでもかんでもスマートフォンの普及に帰せられると言いたいわけじゃない.たとえば,「郊外化が社会的孤立をもたらす要因になっている」という説もある.この説は,豊富実証的証拠矛盾している――都心に比べて郊外の方がもっと孤立しがちというわけじゃない.ともあれ,スマートフォンなしに成立する説明もわずかながらあるにはある.

でも,主要な仮説のほぼすべてが,スマートフォン利用の拡大と直接に関連づけうる.ということは,現代の十代の子たちに広がっているふしあわせの「決定的な答え」「大統一理論」を探し求めるなら,おそらく,スマートフォンこそがその模索の出発点だ.

挙証責任

さて,スマートフォンこそが有力候補だからというだけでは,「スマートフォンが犯人だ」と結論を下すわけに行かない.事前確率分布と結論のあいだには,「証拠」という名の広大な隔たりがある.言い換えると,挙証責任がある.

だいたいどんな新テクノロジーも,どこかの時点で反発を受けるものだ.だから,この挙証責任はとくに重要だ.テレビだって,何世代にもわたって教育水準の高いアメリカ人たちには軽蔑されていた――テレビなんて「バカ製造箱」だ,あんなものを見ていたら注意が続く時間が短くなるし,脳が腐るぞ,なんて言われていたものだ.テレビゲームをやっていると暴力的になってしまうというパニックも数世代続いた.「工業化社会は人間を土地から切り離し人間の存在を商品にしてしまう」と考える人たちにとっては,工業化社会そのものが,何世紀にもわたって恐怖と嫌悪の対象になっていた.それでいて,こういうパニックのうち,長期的な試練に耐えたものはほんのわずかしかない.人類は,新テクノロジーに自分の生活を適応させてきた.ぼくらはうまいことやってきた.

でも,そのうえで言うと,スマートフォンとふしあわせをつなぐリンクを支持する証拠がそこそこたくさん積み上がってきている.

たとえば,Allcott et al. による2019年の有名論文がそうだ.これによると,Facebook のアカウントをしばらく休眠させた人たちは幸福度が上がる一方で,同時に社交の機会は増え,政治についての心配は減る:

本研究の無作為化実験では,2018年のアメリカ中間選挙の4週間前に Facebook での活動を休止してもらった人たちでは (i) オンラインの活動が減少する一方で一人でテレビを視聴したり家族や友人と交際したりするオフラインの活動は増加し; (ii) 事実に関するニュース知識と政治的分極化はともに減少し; (iii) 主観的な幸福度は上昇し; (iv) 実験終了後にも Facebook 利用の長期的な減少が引き起こされた.

また,Lambert et al. (2022) の論文でも Facebook とは別のソーシャルメディア・プラットフォームで同様の実験を行って,同様の結果を得ている:

本研究では無作為に 154名の実験協力者を次のいずれかに割り振った(…).一方のグループは[ソーシャルメディア]の利用を1週間休止し,もう一方のグループはこれまでどおりに利用を継続してもらった(対象のソーシャルメディアは Facebook, Twitter, Instagram, TikTok).1週間後のフォローアップでは,2グループで幸福度(…)と不安とに有意な差異が見られた.いずれも,処置を行ったグループに改善が認められる.(…)処置による鬱や不安への影響は,自己申告してもらった Twitter と TikTok の合計利用時間の減少に媒介されている部分がある.本研究からは,ソーシャルメディア利用を1週間やめてもらうことで,幸福度・鬱・・不安に有意な改善が生じることが示される.

(追記: Thomholt (2016) の研究は,デンマークで Facebook 利用を制限する実験を行って,これも同じように幸福度にプラスの影響を見出している.また,Brailovskaia et al. (2022) も同様の実験を行って,ドイツでソーシャルメディア利用を制限して同様の結果を得ている.さらに,Sagioglou & Greitemeyer (2014) による一連の実験では Facebook 利用を制限して,やっぱり同様の結果を得ている.Hunt et al. (2018) の実験は Facebook, Instagram, Snapchat を対象にして,これまた同様の結果が得られている.)

Yuen et al. (2019) の実験では,インターネット閲覧に比べて Facebook 利用では有意に気分の悪化が引き起こされることが見出されている.「ソーシャルメディア以前の『旧式インターネット』の方が心の健康にはずっといい」というぼくの仮説を少しだけ支持する結果だ.(他方で,Braghieri et al. (2022) の研究では,大学ごとに Facebook がやってきた時期が異なっているのを自然実験に利用して,Facebook 利用によって心の健康が低下しているのを見出している.これはスマートフォン登場よりも前の時期だ.〔初期の Facebook は学生どうしの交流の場で,ハーバード以外の大学には徐々に開放されていった.〕)

また,Kushhlev & Leitao (2020) の実験では,ソーシャルメディア利用が親子のつながりを弱める結果につながることを見出している:

科学博物館でのフィールド実験において(研究1),我々は無作為に親たちを2つの集団に割り振った.一方でスマートフォンを頻繁に使用する集団,もう一方はあまり頻繁に使用しない集団である.頻繁にスマートフォンを使用した親たちは,より気が散りやすくなり,これによって対人的なつながりの感覚が損なわれ,自分の子供といっしょに過ごすことから親がひきだす意味が薄まった.(…)こうした研究から,インターネットに絶え間なく接続していることにより,人とのつながりが織りなす生活に気づきにくいコストが生じるかもしれないことがうかがえる.

さらに,Dwyer et al. (2018) の研究では,「スマホ傍若無人」が現実に行われていて酷いものだということを見出している:

本研究では,300名を超える地域住民と学生に参加してもらい,レストランで友人または家族といっしょに食事をとってもらった.実験協力者は無作為に2つに分けられた.一方はテーブルについてもスマートフォンを使い続ける集団,もう一方は食事中にスマートフォンをしまう集団である.スマートフォンが手元にある場合,実験協力者は注意散漫な感覚を覚えた.これにともなって,友人や家族といっしょに過ごす時間からえる楽しみの度合いが低くなった(スマートフォンをしまった集団と比較して).研究2の経験サンプリング法から得られた研究結果も,これと整合していた.対面でのやりとりの最中に,スマートフォンを使用していると,そうでない場合に比べて気が散りやすい感覚をより強く覚え,本人が申告した楽しみの度合いは低くなった.

実はこの論文へのリンクを見つけられていなくて,Elaine Guo による2022年の雇用市場論文から上記の要旨を孫引きした.Guo の論文では,自然実験を利用して無線経由のインターネット利用によって十代女子の精神状態が悪化することを示している:

本論文では,ソーシャルメディアが十代の子供にとってどれほど有害なのかを検討する.カナダのブリティッシュコロンビア州の豊富な行政データと,無線接続のインターネット利用の導入に関連する実験に近い変異を利用した.本稿では,Google 検索件数データから,高速無線インターネットが利用できる地域では優位にソーシャルメディア利用が増加したことを示す.(…)20年にわたる学生たちの記録にブロードバンド利用可能地域の空間データを関連づけることにより,学生個々人の健康所帯に関する詳細な情報がもたらされるこの新たなデータ関連づけを用いて,本研究では,視覚的ソーシャルメディアの普及の前後,高速無線インターネット接続ができる地域とできない地域,学校で報告された心の健康診断結果で,十代女子と十代男子とを比較するトリプルディファレンスモデルを推定する.本研究の推定では,視覚的ソーシャルメディアが十代のインターネット利用の大半を占めるようになった時期に,高速無線インターネット接続によって,十代男子に比べて十代女子の心の不調の重い症状が有意に増加したことが示される(90%の増加).十代の男女をさらに下位区分したときにも,あらゆる下位区分で同様の影響が認められる.同じ方法を応用することで,プラセボ健康状態では(ソーシャルメディアが影響するはっきりした経路がない場合には)なんら影響が認められない.

いま見てきた研究はどれも因果関係の研究だってことに注意しよう――どれも,対照実験か自然実験による研究だ.スマートフォン使用と幸福度の純粋に統計的な関係を見ようとしてる相関関係の研究なら山ほどある.そうした研究のなかには,相関を見つけてるものもあるし,見つけてないものもある.でも,総じて,因果関係の研究こそが絶対的な基準であるべきだ.研究文献を総ざらいして健闘したなんてとても言えないけれど,それでも,ぼくが見つけられた因果関係の研究はどれもこれもスマートフォンを利用したソーシャルメディアが情動的な幸福度および/または健康的な社交のやりとりにマイナスの影響を及ぼすことを示している.

(追記: Richard Hhanania が,研究文献についてもっと行き届いた検討をしている.あちらの方が,因果関係の研究も他国に見られる各種の傾向もより多く見ている.実のところ,影響を見出していない因果関係の研究もわずかながらある.でも,影響を見出しているものの方がずっと多いし,そうした研究の方が標本サイズもずっと大きい.また,2010年代に先進国の大半で幸福度が低下に向かう傾向が現れている.Hanania の記事で言及されている研究の大半を,上のパラグラフに書き足しておいた.ただし,関連性が十分でなかったり実際には因果関係を調べる研究デザインになっていなかったりすると思った研究は2つほど除外した.)

とはいえ,これは単純明快な論拠というわけではない.挙証責任をきっちり果たすには,13件の因果関係の研究では足りなくて,もっとたくさん必要だ.「スマートフォンは情動面の幸福度に悪い」という実証的な事実を決定的に打ち立てる必要があるし,その影響が正確にいってどういう機序で生じているのかを突き止める必要もある.

それに,そういう研究がすっかりなされて,十代の子たちのふしあわせをもたらしている筆頭要因が――あるいは有力な要因のひとつが――たしかにスマートフォンだと判明したとしても,そのことをふまえてなにをするのか決める必要がある.

新しいテクノロジーに人間が適応するには時間がかかる

十代の子たちの不幸度が上がっている背後にあるのはスマートフォンだとわかったとしても,それだけでは,スマートフォンが全面的に悪しきテクノロジーだとは言えない.どんなテクノロジーにも,なんらかのコストがついてまわるものだ――車や列車は自然生息地を切り開くし,発電には環境汚染がともなうし,工場が稼働すれば有害な廃棄物が出る.たいていの場合に,「しかじかのコストがある」とわかってもそのテクノロジーを禁止したりはせずに,テクノロジーを管理してコストを軽減する方を選ぶ.だから,スマートフォンについても禁止を取り沙汰するべきじゃない.最悪のシナリオであってもだ(もっとも,子供がスクリーンとにらめっこする時間を親たちは制限したがるかもしれないけど).

それどころか,最善の手は,社会が適応するのをただ待つことかもしれない.これまでにも,新テクノロジーによってつくりだされた世界で繁栄するために自分たちの社会・文化・制度を変えるめざましい能力を人間は発揮してきた.印刷機がつくりだした政治的・社会的な混沌も,初期の産業革命のもたらした薄汚れた環境も,まぎれもない現実だったけれど,そうしたことの結果としてぼくらの生活はずっとよくなった.昔のような暮らしに戻りたいと夢見る人なんて,めったにいない.ぼくらはラジオやテレビやゲームやコンピュータやウェブサイトに適応してきたし,車や列車や飛行機にも適応してきたし,洗濯機や冷蔵庫や電子レンジにも適応してきた.きっと,いずれスマートフォンやソーシャルメディアにも適応できるはずだとぼくは思ってる.

適応の第一歩は,対面でのやりとりを意識して優先することかもしれない.これまでのように対面で人とやりとりする機会が訪れるのを待つのではなくって,すすんでその機会をもつようにするんだ.Dan Kois が Slate で Sheila Liming についてすばらしい記事を書いてる.Sheila Liming の新著『おでかけ:ひまつぶしの過激な威力』 (Hanging Out: The Radical Power of Killing Time) は,みんなが大いに必要としてるスマホ中毒への代案を提示している.もしかすると,誰かと会いにでかけるのは,いままでとちがったものになるのかもしれない.つまり,他人と接触する方法がそれしかないから必然的にやることではなくなって,よく考えて時間を捻出して自分のカレンダーに予定を入れておくことになるのかもしれない.

他にも,ソーシャルメディアにいまほど入れあげないという適応もあるかもしれない.Twitter は,ヒーローたちが国の命運をかけて戦う戦場なんかじゃない――たんに,みんながお互いに怒号をぶつけあったりウソをしこたまついたりする馬鹿げた部屋でしかない.Instagram で「映え」てみせたり,TikTok でバズらなくても,すてきな人間になったり友達をつくったりできる.たぶん,Z世代はそのうちこういう真実を認識して,ミレニアル世代がついに達成できなかったゴキゲンなスマホ離れを歓迎するんじゃないかな.

子どもたちはこれまでもずっと大丈夫だったし,きっと,また大丈夫になれるとぼくは思ってる.いくらか時間はかかるとしてもね.

[Noah Smith, “Honestly, it’s probably the phones,” Noahpinion, March 2, 2023]
Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts