サイモン・レン=ルイス「たしかに政府支出は税収や借り入れに制約されてはいないけれど,経済の生産能力にも制約されていない」(2022年5月31日)

[Simon Wren-Lewis, “Government spending is not limited by tax revenues or borrowing, but it isn’t limited by the productive capacity of the economy either,” Mainly Macro, May 31, 2022]

「もっと公共支出を増やせ」という世間の要求に対して大臣たちは言う,「お金がなる魔法の木などないのです.」 彼らはウソをついている.文字どおりのウソだ.自国通貨を使って支出をする政府は,家計とはずいぶんちがっている.その相違点のひとつは,そうした政府はお金をつくりだす独自の能力があるという点だ.これは,べつにご大層な経済学上の啓示などではない.経済学部が世の中にできていらい,経済学部の1年生に教えられつづけているふつうの話だ.

支出・課税・借り入れ・貨幣創出のあいだには,ごく単純な関係が成り立っている.政府債務の利払いを政府支出の一部に含めた場合,その関係はこんな方程式であらわせる:

政府支出 – 税金 = 新規借り入れ + 新規の貨幣創出

マクロ経済について書かれている一般向けの文章に見られる混乱の相当な部分は,ただこの方程式を覚えておくだけで避けられる.この式は,恒等式だ.つまり,ここにはなんの因果関係もかかわっていない.ここに出てくる4つの数のうち3つを,政府は自由に選べる.だが,4つすべては選べない.なぜなら,恒等式(政府財務の恒等式)は必ず成り立たないといけないからだ.[1]

「政府の支出を増やしたとき,その分は税収を増やすか借り入れを増やすかしてまかなわれる(あるいはそれを財源とする)」と経済学者たちが言うとき,彼らが語っているのは,たんにこの恒等式が満たされなければならないということだ.同じく,「国民健康保険への支出を増やす余裕はない」と政治家たちが言うときにも,彼らが言わんとしているのは,「増税したり借り入れを増やしたりお金をもっとつくりだしたりする用意がない」ということだ.

MMT 学派の経済学者たちは,好んでこう指摘する――「政府が支出を増やすことを選びつつ他にはなにもしなかったなら,この支出はお金をつくりだすことでまかなわれるのです.」 だが,実際になにかするにあたって,この話の意義はゼロだ.たんに,政府ならお金をつくりだせることを確認しているにすぎない.なぜかと言えば,一般に,政府は政府支出の増加とその追加の貨幣創出に対応して,増税か借り入れ増加のどちらかを行うからだ.

「なぜ,そのどちらかをやるんです? 国民健康保険サービス (NHS) や教育その他への支出を増やしつつ,それを貨幣創出でまかなえば,イギリス政府は大いに国民の人気を得られるだろうに,どうしてそうしないんですか?」 これに短く答えるなら,こうなる――「インフレを高めてしまうので.」 このタイプのインフレが起こる原因を,ときに経済学者はこう表現する.「あまりにわずかなモノをあまりにたくさんのお金が追いかけてるんですよ.」 だが,私じしんの考えを言えば(マネタリストには異論があるかもしれないが),「あまりにたくさんのお金が」というと,誤解のもとになる.このタイプのインフレがどうやって引き起こされるかと言えば,政府によってモノへの需要(国内で算出されたモノの需要)や労働者への需要が増加する一方で,国内の民間部門には自分たちの需要をへらす理由がひとつも思い当たらないのに,(国内で)供給されるモノや労働者の数量には限度があるからだ.この場合,超過の貨幣創出ではなく,モノ(あるいは労働者)の総需要が総供給を上回っているところに,インフレの本当の原因がある.

このタイプのインフレを考える際に,こちらの方がすぐれている理由はなんだろうか?[2] いちばん基本的な理由は,次の点にある.かりに政府が支出を増やした分を貨幣創出ではなく外国からの借り入れでまかなったとしても,問題は生じるのだ.この場合にも,どこかの時点で,国内生産されたモノや労働者への総需要の超過が生じて,インフレ率が上がっていく.

こうしたことから,政府支出の総額を制限するのは国内経済が供給する用意のあるモノの量,別名「生産能力」なのがうかがい知れる.[3] これもまた,MMT 学派の結論として人気を博している.Josh Ryan-Collins が New Statesman書いているように:「公的支出にかかっている主な制約は,次の点にあるはずだ.すなわち,超過の物価上昇につながることなくそうした支出を吸収できるだけの生産リソースと生産能力が経済にあるかどうか,これが主な制約となっているはずだ.」

こういう考え方にも,用途はある.たとえば,景気後退期には政府が支出を増やし,借り入れや貨幣創出を増やしてその支出をまかなうべき理由は,こう考えるとはっきりわかる.一般に,景気後退ではモノおよび/または労働者の超過供給が生じるため,こうしたリソースを使ってモノを産出すると,失業が減る(し機械の休眠も減る)だけでなく,誰も彼もの境遇を改善できる.なぜなら,政府支出の増加から誰もが便益を得られるからだ.別の選択肢を挙げれば,景気後退期に支出を増やさずに減税する手もある.これはインフレを促進しない.

このように,景気後退期において,財政赤字に上限を設けるのは経済学的たわごとのなかでも危険なたぐいに該当するとわかる.これも,べつにご大層な経済学的な啓示ではない.80年ほど前から理解されていることだ.追加の支出や減税を政府がどうしてもまかないきれないという(非常にありそうもない)事態になったときには,政府はお金をつくりだせばいい.それでインフレが後押しされはしない.なぜなら,モノおよび/あるいは労働者の余剰の供給があるからだ.この基本的なマクロ経済学の事実が,2010年から数年にわたって短い間ながらも多くの国々で無視された.その件については,これまでにさんざん書いてきたとおりだ.

こうした事実があるにもかかわらず,生産リソース・生産能力こそが政府支出にかかっている主な制約だというわけではない.政府は,民間部門に支出を減らすよう誘導することでみずからの支出を増やせる.現代の経済では,政府がそうする方法は 2とおりある.第一に,増税するという方法.超過の総供給も超過の総需要もなくインフレが一定な状態から出発したとしよう.この状況でも,増税することで民間部門に支出を減らすよう促すことで,政府はみずからの支出を増やせる.[4]

第二の方法として,金利を引き上げることで,政府は民間部門のモノ需要を減らせる.金利が上昇すると,人々は貯金を増やして支出を減らすよううながされる.すると,インフレ率を上げることなく,政府は追加の支出をする余地がつくれる.独立した中央銀行があってインフレ目標を設けている国々では,これが起こる.なぜなら,中央銀行はインフレを一定に保たなくてはならないからだ.

政府が支出を増やせる(あるいは減税できる)この2つ目の方法だと,独立した中央銀行のある国々では政治問題が生じるおそれもある.無責任な政府は,支出を増やしたり減税したりすることで人気を得る誘惑にかられるかもしれない(とくに選挙前には).その支出増や減税は借り入れでまかないつつ,中央銀行による利上げでインフレ昂進の帰結も避けようとするかもしれない.金利上昇は一部で(借り手たちのあいだで)不人気かもしれないが,他の人たち(貯蓄者たち)のあいだでは人気が高まるだろう.そして,どっちにせよ,それで非難を受けるのは中央銀行であって政府ではないかもしれない.

為替レートが固定していたブレトンウッズ体制崩壊後,インフレ制御の通常の方法として金利が用いられるようになった1970年代以降に,おおおそこうした事態が多くの国々で起きたようだ.これを,財政赤字バイアスという.政府の財政赤字や債務の規模を定める財政ルールや,〔イギリスの〕予算責任局 (OBR) のような財政諮問機関が採用された理由も,この赤字バイアスにある.ここで,次の点をぜひとも理解しておきたい.すなわち,政府が無責任でないなら,そうした財政ルールは無用なのだ.また,赤字バイアスの害は長期的なものであって,超低金利が長く続いているいまのような時代には,その害はささやかなものであるか(つまり必要以上に金利を高く引き上げる害があるか),あるいは,おおよそどうでもいいものだ.「財政赤字〔を一定以下に抑える〕目標を設ければ,どういうわけか年々の政府の支出額や税額が制限される」という発想は,経済学的にばかげている.それにもかかわらず,一部の政府やメディア人の多くがこの発想を受け入れ続けている.

政府が支出を増やす余地を提供しうるこの2つ目のケースについて,MMT の経済学者たちはめったに論じていない.なぜなら,彼らの考えでは,〔中央銀行による〕金利〔のコントロール〕ではなく財政政策(あるいはその他の手段)こそがインフレを制御すべきだからだ.もしも政府が MMT の考えにしたがってそのとおりに実行すれば,赤字目標の必要はなくなるだろう.だが,今日のほぼすべての政府はそうせず,独立した中央銀行が(可能なときには)金利操作でインフレを制御している.[5] その結果,適切な財政赤字目標 [6] にはいくらかの出番がある.だが,景気後退や気候変動と戦うにあたって,これが邪魔をしてはならない.

政府の財政を家計になぞらえる類推のたわごとを攻撃するとき,MMT は天使の側にいる.だが,そのために新しいマクロ経済学の学派は必要ない.昔ながらのものであれ最近のものであれ,主流のマクロ経済学のアイディアと証拠によって,このたわごとはかんたんに暴露できるし,現に暴露されてきた.

さらに,「赤字目標は無意味だ」と MMT 論者たちが言うとき,次の点をぜひ理解しておきたい.赤字目標が無意味だという結論は,そもそも彼らが主流マクロ経済学者の大半がとっている考え方から袂を分かったことからただちに導き出されるのだ.主流マクロ経済学者の考えとは,「インフレ制御のためには,財政政策ではなく金利の変更によって総需要を管理すべきだ」というものだ(ただし,金利がゼロ下限に達した状況では話がちがってくる.金利が下限にあるときには,財政政策が金融政策にとってかわるべきだいう点に主流マクロ経済学者たちの大半は同意するだろう.)

最後に,MMT は財政による安定化政策と組み合わせて超低金利の維持を好んで採用する.もし,証拠から強く示唆されるとおりに金利上昇で総需要が減少するのだとしたら,(金利がゼロ下限にあるときをのぞいて)主流マクロ経済学の政策でも,所与の課税水準や借り入れ水準での政府支出(あるいは他の政策手段)を増やす余地は,MMT 政策で許容されるものよりも大きくなるだろう.なぜなら,金利上昇によって総需要が減少することで,インフレを促進することなく政府支出を増やす余地が生じるからだ.この点で,マクロ経済安定化のために金利ではなく財政政策を MMT が選ぶと,政府が支出できる額は増えるどころか減少することになる.

原註

[1] 「制約」ではなく「恒等式」と呼ぶ方が好ましいと私は考える.これは支出や課税や借り入れにかかる制約ではないからだ.これらの制約にならない理由は,ほかでもなく,政府はお金を作り出せる点にある.この点で,家計とは対照的だ.家計の場合,貨幣創出は合法な選択肢にならない.だが,これは経済学の問題というより言葉の問題だ.

[2] もちろん,ある国でインフレ率が上がりうる理由は,その国内の総需要超過だけではない.石油や天然ガスなど資源価格をはじめ,さまざまな輸入価格の上昇によってインフレ率が上がることもある.

[3] 生産能力も,誤解の元になりかねない用語だ.「生産能力」と聞くと,既存の労働力と資本ストックで生産できる最大限度のようなものを思い浮かべる人もいるだろう.現実には,大半の企業は平時に余分な生産設備を好んで維持しておく.予想外の需要の短期的な急変に備えるためだ.ここで重要な数値は,目下のインフレ率で供給してもよいと企業が考えている量だ.

[4] どれくらいの増税が必要かは,その増税がどれくらい長期にわたって続くと信じられているかに左右される.「ずっと永続する」と信じられている場合には,追加の政府支出を増やした分とだいたい同じだけの増税が必要となる.だが,「増税は一時的だ」と人々が信じている場合には,貯蓄を減らして増税分をまなかう方を人々は選ぶかもしれない.その場合,総供給と総需要の均衡を保つためには,政府支出の増加分を上回る増税が必要となるだろう.

[5] (ゼロ金利状況をのぞいて)インフレ制御には政府の財政政策ではなく独立した中央銀行による金利操作を割り当てるべきと 大半のマクロ経済学者たちがなおも考える理由については,こちらを参照.

[6] 残念なことに,多くの財政赤字目標の設計はおそまつなものとなっている.そして,おそまつな財政ルールは,ルールがなにもないのよりもひどくなりうる.これは,とくにユーロ圏で顕著だ.ユーロ圏では,国それぞれの金利で各国のインフレを制御できない〔欧州中央銀行がユーロ圏全体を扱っているため〕.そのため,財政政策がその任につかなくてはならない.だが,財政赤字目標が設定されていると,これがいっそう困難になる.

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