イギリス保守党は2017年〔総選挙〕の教訓に学んで,有権者に政府支出の増加を提示すべく,緊縮を放棄した.保守党としては,これで財政の分野で二大政党に大したちがいがないように思ってほしいわけだ.だが,「なるほど大差ないな」と有権者が思ったなら,それはまちがいだ.労働党の場合,追加分の支出は持続可能なのに対して,保守党の場合は持続可能でない.これには2つ理由がある.
第一に,保守党は大幅な増税を提案していないのに対して,労働党はほぼ確実に提案する――前回の選挙では,法人税の引き上げと高所得者への増税を労働党は訴えた〔e.g. 2017年の労働党マニフェストでは大企業と上位5パーセントの高所得者への課税は引き上げられると記している〕.(2017年に財政研究所 (IFS) は,こう述べていた――追加の経常支出の増加分と増税分は完璧には釣り合わないが,それによって労働党が自らの財政ルールから逸脱することはない.重要なのは,この後者の方だ.) この2つの増税により,財政についてどんなスタンスをとるにせよ,投資以外の公共支出に使えるお金は保守党よりも労働党の方が多くなる.さらに,この先しばらく需要が瓦解することはないと仮定した場合,両者の財政スタンスは似たものになる.(需要が瓦解した場合については後述.)
第二の理由は EU 離脱だ.保守党は交渉で関税連盟と単一市場から離脱するというかなりの強硬路線を続けてきた.労働党政権では EU 離脱は起きないだろうし,かりに起きるとしてももっと穏健な離脱になって経済への打撃が比較的に弱いものにとどまるだろうと私はこれまで論じてきた.労働党のもとで EU 離脱がなされないか,より穏健なものにとどまれば,〔強い離脱案に比べて〕所得は増え,しかも労働党は上記のような増税をすることになるので,政府支出は増える.
保守党が当てにしているのは何かと言えば,財政研究所 (IFS) その他による両党のプラグラムの分析でこの第二の相違点が無視されて,共通点が利用されることだ(ちょうど Resolution Foundation がここでやっているように).EU 離脱を計算に入れると,保守党がいう追加支出は持続可能になりそうにない.自分たちが言っている財政収支目標を維持するために増税または支出削減を余儀なくされるだろう.もしも,過半数を確保しようとダメ元で最後の最後にジョンソンが減税案を持ち出してきたら,これがいっそう悪くなる.なるほど予算責任局 (OBR) はこうしたことをすべて財政予測で示してある.だが,予算案の採決は都合よく延期された〔参照〕.
労働党の方が日々の政府支出を多く出すばかりでなく,労働党の方が公共投資支出のいっそう急進的な増加プランをもっている.これをいい考えだと思うかどうかを左右するものをさまざまあるだろうが,そのなかでも,グリーンニューディールの必要度合いがどれくらい深刻だと考えるのか,地域格差の縮小をどれくらい望むのか,そして,公共住宅をどれくらい政府に建設してもらいたいと考えるのか,という点がものを言いそうだ.だとすると,労働党のもとでいっそうの借り入れがなされることになる.だが,この種の公共投資は借り入れによってまかなわれるべきでない.
ここまでは,昨日のヘッドラインニュースの話.このあとは,財政ルールについて懸念している人たちに向けた話をしよう.両党がそれぞれでしている新しいルールの詳細については,Resolution Foundation によるこちらの解説を参照している.
#1: 保守党も労働党も,財政収支について目標を設定している:つまり,赤字額から正味の公共投資を差し引いた分について目標を設定している.財政赤字の総額について目標を設定するというオズボーンの愚かな策を,保守党は放棄している.労働党の財政信認ルールと同じく,赤字に関するルールで投資を制限しないことにしているのだ.両者には2つのちがいがある.労働党は,目標の繰り越しをもちいて5カ年で財政収支均衡を目指している.他方,保守党は繰り越しなしで3カ年の目標を設定している.ジョナサン・ポーツとの共著論文で,OBR のような財政諮問機関がある成熟した経済では,繰り越し型の5カ年目標の方が理にかなっていると私は論じた.そちらの方が目標期間の終わり頃に〔景気後退につながる〕ショックが発生した場合にも頑健だからだ.
#2: 労働党の財政信認ルールは,ポーツと私の論文で提案した内容とちがう点がある.それは,債務について目標を設定している点だ.今回の選挙では,これに代えて,負債だけでなく政府資産も含めた目標を採用しているのが大きな変化だ.負債と資産の両方を含めるのは,Resolution Foundation, INET, IFS の「グリーン・バジェット」による提案だ.〔財政収支のようなフローと対比される,資産や債務のような〕ストック目標を設定するなら(後述),このタイプの目標の方が理にかなっている.保守党は弱い伝統的な「債務/GDP比削減」目標をとっている.
#3: 労働党・保守党,どちらのルールも,債務に関連した債務金利への制限を含んでいる.債務目標に比べて,私はこうした点にそんなにこだわりはないのだが,他の人たちはこうしたことを提案している.
#4: 労働党の財政信認ルールには,金利が下限に達したときのノックアウトが組み込まれている.これは,ジョナサン・ポーツと私が書いた論文の重要提案だった.そして,このノックアウト項目により,労働党の財政ルールは時代に先駆けている.金利が下限に達したとき,財政ルールは一時的に棚上げされ,財政政策はもっぱら経済回復に傾注する.ジョン・マクダネルが 2016年に彼のルールを発表したとき,BBC の記者はノックアウトを抜け穴と呼んだが,このノックアウトがあったなら緊縮を回避して景気回復をもっと急速になしとげていたことだろう.そうやって言及することすらめずらしく,メディアのマクロ経済論はそもそもノックアウトをめったに論じない.
だが,2016年以来,IPPR が,次いで INET が,そして Resolution Foundation も,これととてもよく似たノックアウトを提案している.これは,来たる景気後退では財政刺激が必要となるという合意がますます広まっていることの反映だ.次回のポストでは,こうした様々なノックアウトの小さな相違点を論じてもよいかもしれない.ともあれ,原則は同じで,かなり明瞭だ――もし伝統的金融政策がもはやその仕事をなしえなくなったなら財政政策が役目を引き継ぐのだ.だが,まだ金利は下限に達していない現状と同じく,2017年に労働党がノックアウト発動にもとづいて政策を立案しなかったのはそれなりに正しかった.次の選挙でも労働党は同じことをするのではないかと私は見ている.私が知るかぎり,保守党の提案にはノックアウトは見当たらない.
ポーツ & レン=ルイス案のルールと〔労働党の〕財政信認ルールの相違点は,当初,後者には債務残高総額に関する目標が含まれていたもののいまは公共部門の〔資産と債務を差し引きした〕正味の富に関する目標が含まれているという点だ.財政信認ルールはポーツ & レン=ルイス案よりも確実に改善されているものの,その一方で,私個人としては,いかなる種類であってもストックに関する目標を財政ルールに入れるのはダメな考えだと思っている.
なんらかの一時的な財政ショックにより,赤字と債務の両方が増えたとしよう.ショックは一時的なので,将来の赤字になんら影響は及ばない.せいぜいのところ,債務金利の支払いが少しばかり増えるかもしれない程度だ.金利支払いが増えた場合,ほんのわずかな増税か支出削減が必要になるだろう.債務は,やがてショック以前の水準に戻っていく.これはなめらかな調整になる.だが,債務目標を設定している場合,その目標期間内に債務のストック額をもどすべく,課税または支出でもっと大きな調整をしなくてはいけなくなる.まったく同じ論理は,永続的な財政ショックにも成り立つ.
これが,債務目標よりも赤字目標をよしとする基本的な論理だ.だからといって,債務比やなんらかのストック数値が重要でないというわけではない.ただ,そうしたストック数値は赤字目標がどういうものであるべきかを導く手引きであるべきで,目標そのものであるべきではない.喩えるなら,車で出かけたら渋滞かなにかで予定より遅れている場合のようなものだ.分別のある人だったら,遅れた分をできるだけ早くとりもどそうと,いきなり猛スピードを出して事故のリスクをとったりはしない.旅程全体で遅れた時間をじょじょにとりもどすにはどれくらいペースをあげればいいか考える.債務の最適水準がどれくらいなのか誰もよくわかってはいないので,この場合の 旅程は5年ではなくて数十年だ.
投資をのぞく収支の均衡を赤字目標としているのだったら〔債務と赤字の〕両方を目標にすべきだという専門的な議論もある.もしその議論のとおりなら,理論上は,なんらかのかたちの債務目標がない場合,投資額をとても高く維持し続けることで制限なしに政府は債務を増やせるだろう.これに対して,私ならこう考える.これが本当に懸念なら(過去50年以上にイギリスでそんなことが起きたためしがあっただろうか?),対GDP比の投資額に目標なり制限なりを設ければいい.保守党の新しい財政ルールはそうしている.この点に関しては,保守党のルールの方が労働党よりもすぐれていると私は思う.ただし,保守党が債務目標に馬鹿げた変更を加えるのを無視すればの話だが.投資に関する目標を設定すれば,ストック数値の目標を設定した場合の危険な影響を回避できるだろう.
私見では,経常収支の赤字に関する目標だけを設定する方がずっと理にかなっている.その目標は,政府の債務や財産に関わる種々の数値の変動を見て OBR が出す提案を受けてときおり修正される.IFS は最近出したグリーン・バジェットでとても悲観的なことを言っている.財政ルールは長持ちしないだろうとIFS はいう.これには単純な理由があると思う.それは,一般にルールにはなんらかのかたちの債務目標が含まれているという点だ.だが,ルールはあらゆる国の政治家たちにも彼らの諮問役の多くにもとても人気があるようだ.ということは,財政ルールはそれほど頑健でないかもしれない,ということになるかもしれない.
追記 (2019/11/12)かつて労働党に助言していたのだからこの文章で述べた点は無視してよいのではないかという指摘を見かけた(2016年から,私は労働党の諮問役でなくなっている).過去10年にわたって,さまざまな問題について主要政党3つすべてに助言してきた.政治家から問われれば専門知識を提供するのは経済学者の責務だと思っている.助言する際のごく穏当な条件はこのブログで書いたことがある.専門的な問題について助言するのは,党派的にふるまうことと混同されるべきではない.そうした問題について提供する助言が,自分の政治的な見解に影響されるべきでないのとまったく同じことだ.