サイモン・レン=ルイス「NAIRU バッシング」(2017年2月17日)

[Simon Wren-Lewis,  “NAIRU bashing,“ Mainly Macro, February 17, 2017]

NAIRU、インフレーションが不変の状態での失業率だ。経済学者がその概念を発明し以来、人々はずっとNAIRUを測定する困難さとその捉えどころのなさ揶揄している。そしてこれらの論説は、多くの場合において、その定義を放棄する時が来たという宣言で終わる。優秀なジャーナリストたちでさえそれをすることがあるしかしこれらNAIRUを捨てようとする議論のうち、単純で明白な疑問に答えてるものはほとんどない。-ほかにどうやってインフレーションと現実の経済を結びつける方法はあるのか?

一つの例外として、経済を効率よく制御するのに必要なのは、マネーサプライや為替レートといった名目値だと示唆しようとする議論がある。しかし手短に話すと、これらを実践する試みは、決してうまくいった例がない直近の例としてユーロが挙げられる。: 共通通貨を採用すれば、各国のインフレ率はその平均率に従うように強制されるはずだしかしドイツその周辺国のいずれにも当て嵌まらることなく、結果は悲惨なものだった。

NAIRUは経済を理解するのに不可欠な経済学の概念の一つだが、測定するのは極めて難しい。これら困難さの理由について以下のように述べていこう。第一に、(経済が力強く回復している時に再び仕事を探し始める非自発的失業者という人々がいるので)失業率は完璧に測定できず、労働市場における過剰供給または需要として表れる考えを捕らえてないかもしれない。第二に、NAIRUは労働市場だけに着目しているが、インフレ率はまた財市場の超過需要に関係がある。第三に、例えこれらの問題が存在しなくとも、インフレ率と失業率との関係はいまだに明らかではない。

経済学者が、過去50年に渡って失業率とインフレ率の関係について考えてきた方法が、フィリップス曲線だ。それによると、インフレ率は期待インフレ率と失業率に依拠する。なぜ期待インフレ率重要かというと、単にインフレ率に対して失業率をプロットするだけではいつも混乱を招くからだ。私は、マンキューが以前の版の教科書で、アメリカでのフィリップス曲線を美しくプロットしていたのを覚えている。私がたった今言っていた事と矛盾していた。それは、明らかに”フィリップ曲線のループ”を表していた。しかし、それはいつも他国にとって、より混乱したものだった。一旦、(合理的期待から当然そうなる)インフレーション・ターゲットを導入したアメリカにとってもより混乱を招いた。詳細についてはこれを参照。

現代マクロ経済学では、ニューケインジアン・フィリップス曲線(NKPC)が広く普及しており、我々はインフレーションの真のモデルをついに得たと称して人々を欺くべきではない。NKPCを頻繁に使用することは、ミクロ的基礎付けに執着し、その結果として実証分析を貶める事を表している私たちは、労働者と失業者が名目賃金の下落を嫌うのを知っている。しかし、その嫌悪はNKPCの中にはない。NKPCによれば、もし金融政策がゼロ下限に到達しているのなら、インフレ率はむしろ不安定になるべきだが、それは起こりそうになかったとジョン・コクランは強調している

なんならもっと続けて,私なりのNAIRUバッシング記事を書いてもいい。しかし、これこそが難しいのだ。本当に失業率とインフレ率が関係ないのなら、私たちはなぜ失業率を4%以下に抑えようとしないのだろうか? 政府は、より支出を増やすことで、需要を押し上げて、失業を減らせる事を知っている。そして、なぜよりゼロ下限から金利を引き上げようとするのか?

それは、もうやったから十分だ。私たちは、1970年代に囚われるべきではないと同時に、私たちはまたそれを心から消し去るべきではない。あの時には政策立案者はNAIRUという概念を実質的には捨て去ったので、私たちに不愉快な高インフレをもたらした。1980年代にアメリカとイギリスの政策が変わり、失業率は増え、インフレ率は低下した。インフレ率と失業率との間には関係があるが、その関係をはっきりと突き止めるのはとても難しい。大抵のマクロ経済学者にとって、NAIRUという概念は、基礎的なマクロ経済学の真実を表しているに過ぎない。

現実を正しく捉えるのなら、より繊細なNAIRU批判が必要であろう。しかし、その関係を測定するのは難しいから、失業率を金融政策の指針として使うのをやめるべきだと言ってみようその目的、インフレーションに正しく焦点を当てよう。そして実際のインフレ率に何が起こっているのかで金利を動かそう。言い換えるなら、予想するのを忘れよう。そしてインフレ率が目標を上回っている場合には利上げ、逆に下回っている場合には逆の事をすることで金融政策をサーモスタットのように使おう。

それはインフレの大きな変動を起こすだろう。しかしそれ以上に深刻な問題がある。これは忘れ去られがちだが、インフレ率だけが、金融政策の唯一のゴールではない。イギリスで現在起こっている事例に挙げよう。インフレは加速しており、まもなくその目標を超えると予想される。しかし、中央銀行は金利を引き下げたところだ。なぜなら実体経済へのブレグジットの衝撃より懸念しているからである。これが意味するのは、政策立案者は、実質的に、インフレ率と同様に何らかの産出ギャップの測定を用いているのが全く持って明らかだ。そして彼らは完全に正しく、単にインフレを均すために、なぜ景気後退を作り出す必要があるのか。

オーケー、それならば、サーモスタットのようにインフレ率と失業率の加重平均を目標にしよう。しかし、失業率の水準はどこだろうか?もし失業率が低いのなら、高インフレ率を許容する危険性がある。これはいい案ではない。なぜなら、インフレは単に上昇し続けるからだ。だから、失業率と安定したインフレ率と一致しているある水準との差分を目標にしたらどうだろう。それをレベルXと呼べるであろうが、より分かりやすく記述しなければならない。何か提案は?

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  1. 翻訳おつかれさまです.
    「まだ話は続けられるが、ここまで私自身のNAIRUバッシング記事を書けただろう」とある箇所は,「なんならもっと続けて,私なりのNAIRUバッシング記事を書いてもいい」くらいでいかがでしょう.

    1. optical_frog先生、ありがとうございます。ご指摘の点は翻訳に反映させます。

  2. さいごのここ
    ”the difference between unemployment and some level which is consistent with stable inflation”

    ”some level which”
    つまりレベルXですが、失業率ではないとおもいました。それだとNAIRUになってしまいますし。。。

    1. エリックさん、ありがとうございます。
      最期の段落の文脈を追うと
      ①金融政策の目標→インフレ率と失業率の加重平均
      ②この時の失業率の水準はどこにするか?→”レベル X”
      失業「率」ではなく、失業「者数」?
      検討してみます。

    2. これ,エリックさんおっしゃるとおりNAIRU(の推定値(some level))を指してるんじゃないですかね。ポスト全体の主張として,「君らみんなNAIRU批判するけど,それはある程度正しくても,金融政策インフレ率だけ見るわけにはいかないから,結局完全には測定できなくともNAIRUを目標に組み込む必要あるよね」という意味かと。(なのでその後の「we should try to be more descriptive」は「NAIRUの完全な測定はできないけど,より近づける努力はすべきだよね」という趣旨になる。)
      コメント欄でレンルイスが「Given the present uncertainty about the NAIRU, it makes sense to allow inflation to rise a little above target to see where it is. But our current position is exceptional, and it does not invalidate the concept of a NAIRU.」って言ってますし。

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