ジェフリー・フランケル「外部性:市場メカニズムの退潮」

Jeffrey Frankel “Market mechanisms for regulation: Cap-and-trade and Obamacare” (VOX, 20 January 2014)

キャップ・アンド・トレード [1]訳注;排出権取引のような、権利の上限設定とその市場取引によって外部性を解決するもの。 のような市場に基づいたメカニズムは、指令・制御型の規制よりも効率的に外部性の問題へ対処することが出来る。本稿では、市場に基づいた環境規制の共和党による廃止と、彼らによる最近の義務的健康保険への不同意の類似性を指摘する。著者の主張は、市場に基づいた規制の代替策は実のところ無規制ではなく、非効率な統制と補助金への回帰であるというものである。


市場は失敗する。しかし市場メカニズムは多くの場合、政府にとってそうした失敗を解決するための最善の方法である。そうしたことは大気汚染、交通渋滞、電波割り当て、タバコ消費といった領域で証明されてきた。しかし今や市場メカニズムは退潮の一途にあるのだ。

排出許可量の市場においては、汚染を安価に削減できる企業がそれを出来ない企業と取引を行うが、これによって望ましい環境目標が比較的低い経済学的費用で達成される。10年前、この古くからある経済学的提案が広く認識されることとなり行動に移された。しかし政治過程が今「キャップ・アンド・トレード」とその他の市場志向なメカニズムを殺しつつある。アメリカにおいては、よく成功を収めたSO2(二酸化硫黄)の排出権のキャップ・アンド・トレード制度が2012年以降実質的に消滅した。ヨーロッパにおいては、世界で最も大きな炭素排出権市場であった排出取引制度(ETS;Emissions Trading System)が同様に基本的には御臨終となった。大西洋の両側で、環境規制に対する市場志向アプローチはここ数年でより古い「指令・制御」型アプローチにとって代わられてきており、そうした古いアプローチにおいては、誰がどの技術で何の排出をどれだけ減らすべきかということを政府が指示するのだ。

キャップ・アンド・トレードの成功

キャップ・アンド・トレードは象牙の塔の経済学者による理論的な提案であって現実世界の適用において生き残ることの出来るものではない、という問題があったわけではない。その逆に、キャップ・アンド・トレードは期待以上の成果を見せた。このメカニズムのおかげで、予測された以上に早く鉛が使われなくなるとともに、取引を許さない旧式のアプローチと比べて推定年間2億5千万ドルの節約ともなった(Stavins 2003)。SO2の排出は、1995年以前にキャップ・アンド・トレードの支持者が予測したものさえも下回る費用で減少し、言うまでもなくそれは古い指令・制御型アプローチによる費用よりも低かった。期待された通り、電力業界は汚染削減を行うのにもっとも費用のかかるであろう発電所を閉じることを選択したのである。キャップ・アンド・トレード制度の柔軟性によって、産業界は新しい洗浄技術や新たに使用可能となった低硫黄炭といった予期せぬ発展を謳歌することにもなり、これは市場メカニズムなしで可能であったものよりも遥かに大きな発展だ。(なぜそこまで費用が低かったのかについての説明は Ellerman et al. 2000を参照。)

共和党の政策としてのキャップ・アンド・トレード

アメリカにおいては、キャップ・アンド・トレードはもともと共和党の考えとされてきた。市場親和的な規制は、自分自身を規制派と見なす人々ではなく、自らを市場派と見なす人々によって持ち出された。ほとんどの環境団体はこの新たなアプローチに反対したが、彼らの多くは汚染する権利を企業が金で買うということは不道徳だと考えていたのである。キャップ・アンド・トレードの先駆的な使用となった1980年代におけるガソリンへの鉛転嫁の段階的廃止は、ロナルド・レーガン政権の政策だった。成功裏に終わった発電所からのSO2排出削減のためのキャップス・アンド・トレードの使用はジョージ・H.W.ブッシュ政権の政策であり、まずは2002年提案のクリアスカイズ法、そして次に2005年の州間大気汚染規制(Clean Air Interstate Rule)によって行われた(Schmalensee and Stavins 2013, pp. 103–113を参照)。

地球温暖化の原因となるCO2やその他の温暖化ガスの排出を解決するためのアメリカにおける法案は、当初ジョン・マケイン上院議員によって発起されたが、彼は2008年の共和党大統領候補である。マケインは2003年に気候管理法(Climate Stewardship Act)をジョー・リーバーマン上院議員と共同発起したが、これは上院において55対43で否決された。彼らは2007年にも再度試み、同じように失敗した。マケインは2008年の大統領選挙の最中にも気候変動に対するキャップ・アンド・トレードのアプローチを擁護した。 [2]原注1;2008年5月13日付ワシントンポスト紙のページA14、及び同日付フィナンシャルタイムス紙ページ4を参照

キャップ・アンド・トレードからの撤退

共和党の政治家は今やこのアプローチがかつて自分たちの政策であったことを忘れ去ってしまっている。2009年の気候変動に関する最後の主要な法案を否決するために、彼らは狂ったような反規制の言論を張った。エド・マーキー、ヘンリー・ワックスマン両議員によって発起された米国クリーンエネルギー及び安全保障法(the American Clean Energy and Security Act)はその年に下院を通過したが、上院は通らなかった。共和党の論法はキャップ・アンド・トレードに上手く泥をかぶせたのだ。Schmalensee and Stavins (2013, p. 113)はそれを次のようにまとめている。「保守派が自ら創りだした市場に基づいた作品を悪魔呼ばわりするのは皮肉なものだ。」

こうした姿勢は、より市場親和性の薄い代替的アプローチを採用させることになった(Stavins 2011) 。とりわけ裁判所が1970年の大気汚染規制法( Clean Air Act)とその1990年修正が依然として有効であるとしてからは(両法は共和党大統領であるリチャード・ニクソンとジョージ・H.W.・ブッシュによってそれぞれ署名されて成立し、議会でも共和・民主両党の大多数によって支持されていた)。

非市場的代替策、すなわち特定のエネルギー源や特定の技術を使用することを要求する指令・制御型の規制のようなものは、市場メカニズムよりも非効率だ。にもかかわらず、そうした非市場的アプローチが再び支配的な体制となっている。その結果、2006年以降SO2排出はキャップ・アンド・トレード体制によって設定された上限よりも下で減少を続けている。上限はもはや制約となっていない。人々は有効でなくなったものに対して支払おうとはしないのであり、人々は既に必要以上(の排出権)を持っている。したがって排出権の価格は急激に下落して2012年以降は実質的にゼロに達しており、これは電力業界の行動に対してもはや影響がないということを意味している(Schmalensee and Stavins 2013, pp. 106–107, 114)。

ヨーロッパでも同様に、キャップ・アンド・トレードのピークは10年前に過ぎた。EUは排出取引制度を2003年に採択し、これは地球気候変動に関する京都議定書の下でEUが行ったコミットメントを達成するための費用効率的な方法であった。この制度はすぐに、環境被害に市場価格を付ける制度のうち世界で最も大きなものとなった。しかし現在ETSはその他の規制によって脇役に押しやられている。ヨーロッパの指導者たちは、2020年までにエネルギーの20%は再生可能な手段によるものにしなければならないと述べている。再生可能エネルギーは命令や補助金(付け加えれば、これらは持続不可能なほどに費用の掛かるものだ)によって推進されてきた。こうした政策はETSにおける排出許可の価格の崩壊を招いた。なぜなら許可権の需要は今やいかなる義務的制約にも届かない水準なのだ。それによって今度は石炭の燃焼、つまり地球温暖化や地域汚染という観点からは最悪のエネルギー源が後押しされてしまっている [3]訳注;排出権価格が急落したため、排出権を使って価格の安い石炭を燃やすようになっているという意。 が、こうしたことは環境問題を解決するための中心的な政策が今も価格メカニズムであったならば起きなかったことだ。

オバマケアとの類似

環境規制分野における市場メカニズムに対するアメリカの政治的態度と、オバマケアとして知られる医療費負担適正化法(the Affordable Care Act)に対する共和党の敵愾心との間には興味深い類似を見出すことが出来る。オバマケアは、健康保険会社と介護業者が民間のままに互いに競争を行うという意味で市場メカニズムである。このプログラムの要は、全てのアメリカ人が個人の強制保険を通じて健康保険に加入するのを確実にしようとするものである。数えきれないほど指摘されてきたとおり、これは元々保守的なアプローチで、市場を通じて機能するように設計されている。その代替策とは政府が

  • 直接に健康保険を提供する(単一支払制度:カナダや、あるいはアメリカのメディケアもこれにあたる)か、
  • 直接に自ら医療を提供する(医療社会化制度:イギリスや、アメリカ退役軍人局病院)というものだ。

市場に基づいた新たなアプローチは、ヘリテージ財団のような保守系シンクタンクによって提案された。そしてマサチューセッツにおいては共和党の知事であるミット・ロムニーによって施行されたのである。しかしながらオバマ大統領がそうしたアプローチを採用する頃には、それは共和党員にとって忌み嫌うべきものとなってしまっており、彼らのほとんどはそれがかつて自分たちの政策であったことを忘れ去っていた。

大気と医療の間には類似を見出すことが出来る。環境の事例における市場の失敗とは、汚染は経済学者たちが外部性と呼ぶもの、すなわち規制のない市場において汚染を行う者がその費用を負担しないというものである。医療の事例における市場の失敗とは、経済学者が「逆選択」と呼ぶもの、すなわち健康な人が既に顧客層からいなくなってしまっていると保険会社が恐れる場合、保険会社は特に既往症を持つ患者へ保険を提供しなくなる可能性があるというものである [4] … Continue reading

市場の失敗を解決しようとする政府の試みはそれ自体も失敗となる可能性がある。環境の事例について言えば、指令・制御型の規制は非効率で、イノベーションを阻むとともに、意図せぬ結果を招きうる。例えば、「新排出源審査(New Source Review)」によって、アメリカの電力会社が新たな発電所を建設する際には利用可能な最も厳格な制御技術を用いるよう義務付けられるという場合、電力会社は汚れた古い発電所を可能な限り長く運転し続けるという対応をおこなう(Stavins 2006)。医療の事例について言えば、国家による医療サービス独占はイノベーションを抑止して不適切な医療を長い待ち時間を伴った形で提供する場合がある。一般的には、最善の政府介入とは正確に市場の失敗を対象とする、すなわちキャップ・アンド・トレードを使用して大気汚染に価格付けを行ったり、健康保険における逆選択をなくすために個人に義務付けを行い、そしてそれ以外については官僚よりも効率的な市場の力に任せるというものなのだ。

アメリカの保守派はしばしば、彼らの好む代替策とはまるで全く無規制にするというものであるかのように言う。しかし実のところ、1970年以前のロサンゼルスやロンドン、あるいは東京の息もできないような空気に立ち戻りたいという者はほとんどいないだろう。たとえそういう者がいたとしても、実際における代替策とは太陽光やトウモロコシ由来エタノール、化石燃料全てに対し補助金や法的義務を与えるという馬鹿げたレントシーキング制度であることを政治的現実は示している。それと同じように、病院の緊急処置室が医療保険に入っていない重篤患者を拒むように望む保守派もほとんどいない。そう望むものがいたとしても、実際における代替策とは理由の如何に関わらず無保険の人に対しても緊急治療を提供する病院であることを現実は示している(Frankel 2012)。そしてその費用はそれ以外の私たちにのしかかってくることになるのだ。

編集注:本稿の短縮版は、先にプロジェクト・シンジケートに掲載された。 [5]訳注;プロジェクト・シンジケートのサイトを探したものの、見つからなかった。


参考文献

●Ellerman, A D, P Joskow, R Schmalensee, J-P Montero and E Bailey (2000), Markets for Clean Air: The US Acid Rain Program, Cambridge: Cambridge University Press.
●Frankel, F (2012), “Obamacare champions personal responsibility. The states that hate it don’t”, Christian Science Monitor, 6 September.
●Schmalensee, R and R Stavins (2013), “The SO2 Allowance Trading System: The Ironic History of a Grand Policy Experiment“, Journal of Economic Perspectives, 27(1): 103–122.
●Stavins, R (2003), “Experience with Market-Based Environmental Policy Instruments”, in K-G Mäler and J Vincent (eds), Handbook of Environmental Economics, Amsterdam: Elsevier Science, pp. 355–435.
●Stavins, R (2006), “Vintage-Differentiated Environmental Regulation”, Stanford Environmental Law Journal, 25(1), pp. 29–63.
●Stavins, R (2011), “AB 32, RGGI, and Climate Change: The National Context of State Policies for a Global Commons Problem”, An Economic View of the Environment, 31 March.

References

References
1 訳注;排出権取引のような、権利の上限設定とその市場取引によって外部性を解決するもの。
2 原注1;2008年5月13日付ワシントンポスト紙のページA14、及び同日付フィナンシャルタイムス紙ページ4を参照
3 訳注;排出権価格が急落したため、排出権を使って価格の安い石炭を燃やすようになっているという意。
4 訳注;病気にかかっている、あるいはかかる可能性の多い人がいるために保険料が高くなると、病気にかかる可能性の薄い健康な人は保険加入を諦め、その結果リスクの高い顧客ばかりとなるため保険料がさらに上がり、そのせいでさらにリスクの高い顧客ばかりとなり…となることから、保険会社がリスクの高い顧客への保険提供を拒むという意
5 訳注;プロジェクト・シンジケートのサイトを探したものの、見つからなかった。
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