ジョセフ・ギャニオン&クリストファー・コリンズ 「インフレ率の目標値を3%に引き上げよ ~その見返りは、思われている以上にデカい~」(2019年12月17日)

●Joseph E. Gagnon and Christopher G. Collins, “The Case for Raising the Inflation Target Is Stronger than You Think”(RealTime Economic Issues Watch, December 17, 2019)


インフレ率が2%――Fedが掲げる目標値――を下回ったままの状態が何年も続く中〔訳者注:2019年当時の話〕、マクロ経済学者の間でちょっとした論争が巻き起こっている。「さらなる金融緩和に訴えて、インフレ率が2%を上回るのもよしとすべきか――例えば、インフレ率が3~4%に達するのを許容すべきか――否か? インフレ率の目標値を3~4%に引き上げるべきか否か?」というのが論争の争点だ。しかしながら、その論争の様子を傍(はた)から眺めていると、インフレ目標の引き上げに伴う便益が過小評価されているようだ。インフレ目標の引き上げをよしとする根拠は、想像されている以上に盤石(ばんじゃく)なのだ。

論争に加わっているのは、錚々(そうそう)たる面々。「インフレ率の目標値を3~4%に引き上げよ」と唱えて、Fedに対してさらなる利下げを求めている陣営には、オリヴィエ・ブランシャール(Olivier Blanchard)、ジョルディ・ガリ(Jordi Gali)、アダム・ポーゼン(Adam Posen)、ローレンス・サマーズ(Lawrence Summers)らがいる。「インフレ率の目標値は2%のままでいい(2%を上回るインフレ率は、Fedにその達成が求められている『物価の安定』という法的義務に反するおそれがある)」という立場のもう一方の陣営には、ベン・バーナンキ(Ben Bernanke)、フレデリック・ミシュキン(Frederic Mishkin)、ジョン・テイラー(John Taylor)、ジャネット・イエレン(Janet Yellen)らがいる。とは言え、後者の陣営も、インフレ率が目標値(2%)を下回る状態が長く続いた後であれば、インフレ率が一時的に2%を上回るのに何が何でも反対というわけではないようだ [1] … Continue reading

論争の焦点となっているのは、インフレ率が高まることに伴うコストと便益のトレードオフだ。インフレ率が高まるほど、(個別商品の価格変動が激しくなるため)何かを買おうとする時に値段を比べるのが厄介になるし、(通貨の価値の揺らぎが大きくなるので)将来に備えてどんなふうに資産を運用したらいいかを評価するのが難しくなる。消費者にしても、労働者にしても、投資家にしても、インフレを嫌っている(嫌われているのは、インフレだけではなく、デフレもだ)。経済学者もそのことは承知しているが、インフレに対する世人の嫌悪感の強さをどう数値化したらいいかとなると、意見が分かれている。そのためもあって、インフレ率がほんの少しだけ高まることに伴うコストがどのくらいの大きさになるかについては、経済学者の間でも意見の一致が得られていない。

それと比べると、インフレ率が高まることに伴う便益についての意見の相違は小さい。インフレ率が高まると、通常時における政策金利(名目短期金利)の水準がインフレ率が高まる分だけ高くなる。となると、景気が悪化した時に、利下げできる余地が広がることになる。景気が悪化して失業者が増えた時に中央銀行にできることが増えるのだ。インフレ率が高まることに伴う便益を評価する時は、マクロ経済のモデルを使ったシミュレーションに頼るのがよくある手だ。経済がランダムなショックに襲われた場合に、政策金利がどのくらい頻繁に下限(effective lower bound) [2] … Continue reading――もうこれ以上引き下げられない限界――に達するかをシミュレーションするのだ。政策金利が下限に達して中央銀行にできることがなくなると、中央銀行に打てる手がある場合に比べて、失業率は高まることになる。その一方で、インフレ率の目標値が引き上げられる(それに伴ってインフレ率が高まる)と、通常時における政策金利の水準も高まる(政策金利の平均値が高まる)ので、政策金利が下限に達する機会が減ることになる。中央銀行の手が縛られる機会が減る(中央銀行にできることの余地が広がる)おかげで、失業率が抑えられる(失業率の平均値が下がる)ことになるのだ。

政策金利がどのくらい頻繁に下限に達するかをシミュレートする従来の分析 [3] 原注3;例えば、Ball et al. (2016)Kiley&Roberts (2017)Eberly&Stock&Wright (2019) を参照されたい。では、政策金利とは別の手段のことが無視されているか、その別の手段の効力は、インフレ率の目標値が2%であろうと3%であろうと変わらないかのように明示的に・・・というのではなく、暗黙のうちに扱われている。しかしながら、中央銀行が手にしているその他の武器の中でも一二を争う優れもの――フォワード・ガイダンスおよび量的緩和――の切れ味は、インフレ率の目標値が2%であるか3%であるかによって違ってくる。そのことが見過ごされているために、インフレ目標の引き上げに伴う便益が過小評価されてしまっているのだ。

フォワード・ガイダンスにしても、量的緩和にしても、長期金利を引き下げることが狙いだ。しかしながら、政策金利だけでなく、長期金利にも下限が存在する。「満期なし、利回りゼロ%」の現金(紙幣)という投資先があるからだ。フォワード・ガイダンスにしても、量的緩和にしても、長期金利が下限に達するや、その効力を失ってしまうのだ。

インフレ率の目標値が引き上げられると、政策金利の引き下げ余地が広がるだけでなく、長期金利の引き下げ余地も広がる [4]原注4;Andrade et al. (2019) … Continue reading。そのことを図示したのが以下のグラフだ(グラフは、我々の調査論文から転載したもの)。左側には、インフレ率の目標値が2%のケースが描かれている。青色の実線は、通常時のイールドカーブ(利回り曲線)を表している。景気が悪化してFedが政策金利を下限(マイナス0.5%)いっぱいにまで引き下げると、中期・長期の金利もいくらか下がるので、イールドカーブが下方にシフトする(黒色の実線)。政策金利が下限に達しても、長期金利が下限に達していない限りは、フォワード・ガイダンスや量的緩和を通じて長期金利を引き下げることができる。長期金利が下落するのに伴って、イールドカーブは時計回りにシフトする(赤色の実線)。長期金利の下限値がどのくらいになるかは正確にはわからないが、以下のグラフではとりあえずマイナス0.3%が下限値ということにしてある。

上のグラフの右側には、インフレ率の目標値が2%から3%へと引き上げられてからすべての調整が済んだケースが描かれている [5] … Continue reading。 インフレ率が高まるのを反映して、通常時のイールドカーブの位置が左側のケースよりも高くなっている(青色の実線)。政策金利の水準はどうなっているかというと、左側のケースよりも1%だけ高くなっている。政策金利の引き下げ余地が1%だけ広がるわけだ。景気が悪化して政策金利が下限いっぱいにまで引き下げられると、イールドカーブが下方にシフトするが(黒色の実線)、政策金利が下限いっぱいにまで引き下げられた後の長期金利(10年物の利回り)の水準はどうなっているかというと、左側のケースよりも0.6%だけ高くなっている。インフレ率の目標値が2%から3%へと引き上げられると、長期金利の引き下げ余地が0.6%だけ広がるわけだ。

政策金利も長期金利も下限いっぱいにまで引き下げられたとしたら、どのくらいの景気刺激効果が生まれるのだろうか? Fedお手製のFRB/USモデルの助けを借りれば、そのあたりのことも知れる。左側のケースだと、政策金利も長期金利も下限いっぱいにまで引き下げられると、政策金利を5.2%引き下げるのと同等の景気刺激効果が生じることになる。その一方で、右側のケースだと、政策金利も長期金利も下限いっぱいにまで引き下げられると、政策金利を7.6%引き下げるのと同等の景気刺激効果が生じることになる。

言い換えると、インフレ率の目標値が(2%とから3%へと)1%だけ引き上げられると、政策金利2.5%分近く(=7.6-5.2)も余分に景気刺激効果を生み出せる力が中央銀行に授けられることになるのだ。その一方で、従来の分析では、インフレ目標の引き上げが政策金利の引き下げ余地に及ぼす効果にだけ目が向けられていた(インフレ目標の引き上げが長期金利の引き下げ余地に及ぼす効果が見過ごされていた)こともあって、インフレ率の目標値が1%だけ引き上げられると、政策金利1%分だけ余分に景気刺激効果を生み出せる力が中央銀行に授けられるという結果になっていた。「インフレ目標の引き上げに伴う便益とコストは、拮抗(きっこう)している」というのが従来の分析から得られる評価なのだとすれば、便益の大きさが見直される――インフレ率の目標値が1%だけ引き上げられると、政策金利1%分ではなく、政策金利2.5%分近くも余分に景気刺激効果を生み出せる力が中央銀行に授けられることになる――わけだから、評価も変えねばならないだろう。(インフレ目標の引き上げに伴う)便益が(インフレ目標の引き上げに伴う)コストを上回るのは、明白なのだ。

References

References
1 原注1;バーナンキ、ブランシャール、ミシュキン、サマーズの四人の見解については、こちらを参照されたい。ガリの見解については、こちらの論文を参照されたい。ポーゼンの見解については、こちらを参照されたい。テイラーの見解については、こちらのブログエントリーを参照されたい。イエレンの見解については、こちらのブログエントリーを参照されたい。
2 原注2;名目金利に下限が存在するのは、ゼロ%の利回りが保証されている「現金」(紙幣)という投資先があるからだ。現金をそのまま持っていればゼロ%の利回りが保証されているのだから、わざわざお金をマイナスの金利で貸す(お金を貸した相手に金利を払う)人などいない。名目金利がゼロ%を下回ることなんてあり得ないのだ・・・と長らく考えられてきたが、紙幣よりも決済手段として使い勝手がいいデジタル資産の金利がマイナスになったにもかかわらず、手放されずに保有し続けられたことがある。となると、名目金利の下限値はゼロ%じゃないようだ。じゃあ、どのくらいなのかというと、わからない。名目金利の下限値は、国によっても、時期によっても、違ってくることだろう。ちなみに、これまでのところは、名目金利がマイナス1%を下回ったことはない。
3 原注3;例えば、Ball et al. (2016)Kiley&Roberts (2017)Eberly&Stock&Wright (2019) を参照されたい。
4 原注4;Andrade et al. (2019) では、様々な政策ルールごとにインフレ目標が引き上げられた場合の結果が分析されているが、政策金利の緩慢な調整を要請する政策ルール――政策金利が緩慢に調整されることがみんなから当然視されていると想定されており、一種のフォワード・ガイダンスと言えなくもない――下での結果は、我々の結論とよく似ている。しかしながら、彼らの分析の力点は、フォワード・ガイダンスを伴わないシンプルな政策ルールに置かれており、そのルールが採用されている状態でインフレ目標が引き上げられても、政策金利の緩慢な調整を要請する政策ルールが採用されている状態でインフレ目標が引き上げられる場合よりも、ずっと小さな便益しか得られないとの結果になっている。
5 原注5;インフレ率を新しい目標値である3%にまで引き上げるためには、金融政策を緩和して経済を過熱させる(実質GDPが潜在GDPを上回る)必要がある。インフレ目標の引き上げが宣言された途端に予想インフレ率も3%にジャンプする・・・なんてことにはならないだろうが、足もとのインフレ率が3%に向けて上昇するにつれて、予想インフレ率も徐々に高まっていく(やがては3%に達する)ことだろう。
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