ジョセフ・ヒース「ワクチン接種は集合行為問題だ」(2015年2月5日)

Joseph Heath, “Vaccination is a collective action problem“, (In Due Course, February 5, 2015)

何週間か前、集合行為問題の理屈を理解することは多くの人にとって難しい、という投稿を書いた(ホッブズの難しいアイディア)。集合行為問題とは、人々のやりとりがよくない結果にいたるのだが、だれもそれを止める動機を持たない、という状況のことだ。

NHL選手(の間でのおたふく風邪の流行) [1] 2014年にナショナルホッケーリーグ − NHL – 選手の間で起きたおたふく風邪の流行 や トロントでの麻しんの流行で予防接種がニュースになっているので、私はこのところ毎日この問題を考えてしまう。ワクチン接種に関する議論にずっと私はイライラしているのだ。なぜかというと、みんな自分の子供にワクチン接種を受けさせない親は不合理だという意見にこだわるが、たいていの場合そういう親たちは不合理なのではなくて、実際は「ただ乗り」しているのだ。「ただ乗り」はすくなくとも経済学で使われるような意味では完全に合理的だ。だから、ワクチン接種を受けさせない親は不合理であることではなく、不道徳に振る舞っていることを非難するべきなのだ。残念なことに、これは説明するのが難しいので、ワクチン接種を支持している人は、私が聞く限り、特に医者は単純すぎる正当化を与えている。たとえば、こういう人たちはワクチンは完璧に安全だと主張する。でもこれは正しくない。あるワクチンは本当はごく小さな(でも場合によっては重大な)副作用の危険性がある。もちろんそのような危険はごく僅かで、ワクチン接種が防ぐ病気の危険の方がずっと大きい。しかし、ここで集団免疫が関係してくる。もし自分以外の全員がワクチンを自分の子供に接種していたら、自分の子供に伝染病がうつる可能性はほとんどない。だったらなんで副作用の危険をおかす必要がある?予防接種の副作用は他の親たちの子どもたちに負わせよう。そうすれば、自分の子供は集団免疫の利益を受けることができるし、予防接種の副作用は避けることができる。古典的な「ただ乗り」の戦略だ。

これを表現するのに一番いい方法は、トーマス・シェリングが「ミクロ動機とマクロ行動」で使った(そして、私に言わせれば、これに関して考える今でももっともいいやり方である)図を使うことだ。Y軸に利益を、X軸にワクチンを接種した人の割合をとり、それぞれの戦略の利益を2つの線で書こう。赤はワクチン接種を選んだときの利益、緑はワクチン接種をしなかったときの利益とする。

ワクチン接種率と利益

グラフから分かるのは、もし誰もワクチンを接種していなければ、ワクチン接種にははっきりした利益があるということだ。だから、赤い線は緑の線のずっと上にある。というわけで、何十年も前、子供が伝染病で死ぬことが日常的なことだったり、ポリオで死んだ家族をもつ上の世代をみんなが知っていたりした頃は、ワクチンは当たり前のことだった。だけど、ワクチン接種は正の外部性 [2] ある経済主体の行為が他の経済主体に商取引等などを通さずに間接的に利益を与えること をもたらす。ワクチン接種をうけると病気にかかりにくくなるだけでなく、他の人に病気をうつしにくくなる。というわけで、ワクチン接種をうけた人の割合が上がっていくと、誰もが利益を受けるが、特にワクチン接種を受けていない人がずっと多くの利益を得る。というのも、そういう人はずっと伝染病にかかりやすいからだ。一方でワクチン接種をうけた人は、もう病気にかかりにくいので、ほんの少しの利益を得る一方で、わずかな副作用の可能性がある。結果として、だんだん多くの人がワクチン接種を受けるようになると、ワクチン接種を受けないほうがワクチン接種を受けるより利益がある状態に達する。結果として、x%の人がワクチン接種を受けることで均衡するが、x < 100%なので得られる利益は接種率が100%のときよりも低くなる。

そうはいっても、私は子供に予防接種を受けさせない親の多くは意識的に「ただ乗り」しているわけではないと思う。こういう人達は、自分の子供の利益だけをせまく考えて、そうしているのだ。この人達にとっては、集団免疫は、子供が重大な伝染病にかかることをめったに経験しない、という形でしか意識の中に入らない(「天然痘に誰かがかかったって最後に聞いたのいつ?」)。そういうわけで、こういう人たちは不合理な考え、例えばワクチン接種は製薬会社がもっと儲けるために奨励されているんだといった、を持つようになって、しかもそれで困ることがない。というのも、集団免疫がこういう人たちを守っているからだ。だから、私は不合理な考えは確かにあるのだけど、それは「ただ乗り」することに利益があることから生じるものだと思う。つまり、こういう人たちは自分の利益にとって都合の良いことを信じているのだ。これは地球温暖化を信じない人たちと同じで、自分のライフスタイルを変えたくなくて、反社会的に振る舞っていることを認めなくてすむような考えを持つのだ。

これは予防接種を受けさせない親とコミュニケーションする方法を考えるときにとても重要なことになる。反予防接種の親たちは、自分の子供に予防接種を受けさせる前にワクチンが完全に安全なことの保証を求めるらしい。でもこんな保証をすることはできない。例えば、新三種混合ワクチン [3]麻しん・おたふく風邪・風疹の三種の弱毒化ウイルスが混合されたワクチン。日本では未承認 はある子どもたちには副作用があるし、副作用は重大なものでありえる。だから、一部の医者は「ワクチンは完全に安全である」と言うようだが、そう言うべきではない。それから、なにか複雑に聞こえること、例えば「えっと、確かに副作用はあるんだけど、めったにないよ」などなど、を言うのも違う。こういうと心配性の親は「めったにない?どのくらい?」て反論してくるだろう。言うべきことは「危険の有無にかかわらず自分の子供に予防接種を受けさせることは義務です。私達は公益ために少しの犠牲を払うよう求められています。それに、自分の子供にワクチン接種を受けさせなかったことで、誰か他の人の子供が病気になって死んだらどう思いますか。」別の言い方をすると、議論は道義的なものであるべきで、(病気に対する)慎重さに関するものであってはいけない。もし人口の30%(あるいはトロントの「代替」学校での接種率であることがわかった42%)しかワクチンを接種していなければ、病気に対する慎重さに訴える議論は有効だろう。しかし、いったん接種率がさっきのグラフのx(例えば90%)を過ぎたら、病気に対する慎重さに訴える議論は有効ではなくなる。私達は議論を道義的なものへ切り替える必要がある。

最後にちょっとした話をしよう。私の子どもたちの記録を見ると、私が娘のために「良心による拒否」を行ったことがわかる。説明しよう。娘は、確か6歳になるときのことだと思うが、新三種混合ワクチンを6歳の誕生日の3日前に受けた。それから何年もたって、役所から娘が6歳のときに受けていなければならない予防接種を受けていないという通知書を受け取った。なので、一週間以内に予防接種を受けるか、さもなくば退学処分になることになった。電話で面白いくらい融通の効かない役人に抗議したが、5歳+362日で接種を受けることは、6歳で接種を受けることと実際上なんの代わりもない、ということを理解してもらえなかった。役人は絶対に私達を病院に行かせてまたワクチン接種を受けさせようとした。そこで、私達は一番楽な方法を選んで「良心による拒否」を提出した。私は素晴らしい計画を立てた。私はこんな文書を作成しようとしたのだ。私達は「科学」というめずらしい宗教を信仰していて、私の信仰体系によれば、ワクチン接種を月曜日にすることは、その週の後半、例えば木曜日にすることと全く変わることがない。私達は「医者」と呼ばれる宗教の専門家に相談したところ、私達の神聖な書物の解釈は正しいとの確認を得られた、というような。残念なことに、書式はどんな説明や正当化も求めていなかった。単に何らかの理由で自分の子供にワクチンを受けさせたくないと記載すれば、役所はそれをそのまま信じてくれたのである。

References

References
1 2014年にナショナルホッケーリーグ − NHL – 選手の間で起きたおたふく風邪の流行
2 ある経済主体の行為が他の経済主体に商取引等などを通さずに間接的に利益を与えること
3 麻しん・おたふく風邪・風疹の三種の弱毒化ウイルスが混合されたワクチン。日本では未承認
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  1. グラフのどちらの線にも「ワクチン接種あり」とラベルがついていますが、緑の線は「ワクチン接種なし」が正しいのでは。

  2. 翻訳おつかれさまです.2つほど提案を.

    #1: 長文記事のときには,最初のパラグラフのあとにでも「続きを読む」を挿入しておく方がいいです.ウェブサイトのホームを開いたときに長文がまるごと表示されると見づらくなるので.

    #2: 「でもこれは正しくない。あるワクチンは本当は(…)」と訳しておられる箇所は,原文の “some vaccinations”(複数です!)の意味をふまえてこう訳すのはいかがでしょうか:「でもこれは正しくない.ワクチンのなかには,ごく小さいとはいえ副作用のリスクをともなうものも現にある(しかも深刻な副作用をもたらすこともある).

    1. ご指摘ありがとうございます。自動で抜粋するようになっていないのですね。直しました。

      #2についてですが、「あるワクチンは…」で複数形のニュアンスは十分訳せていると思います。確かにやや訳語調で日本語として不自然かもしれませんが、今回の場合、文章が簡潔になるというメリットもありそうです。文体を見直すとなるとぜんぶ書き直しになるので、今回は変更は見送らせてください。

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