ジョセフ・ヒース「男の子差別文化」(2018年3月26日)

Joseph Heath, “How our culture treats boys” (In Due Course, 26 March 2018)

子供たちが少し大きくなったので、以前ほどThe Children’s Placeで買い物をしなくなった。だが先日そこで買い物をすることがあり、我々の文化が男の子たちに向けて発しているメッセージの類が気がかりになった。The Children’s Placeが何か知らないひと向けにいうと、それは洋服屋だ。ウェブページの表示はいつも同じ。ページは真ん中で分かれ、女の子用が片方に、男の子用がもう片方にある。これはその時々にどんなものが男の子用と女の子用それぞれに売られているか比較するのに、そしてどんな思い込みが性別に付随しているのか考えるのに、都合がよい。

例えば、「グラフィックTシャツ」のセクションを見ると、女の子向けにマーケティングされているものの絵柄メッセージと、男の子向けのものとでは、そのタイプに随分な違いがある。これが女の子用のTシャツのいくつかだ。

Girls graphic T-shirts

(画像イメージ:左上から右下へ)

未来のリーダー25人
女の子は:強い、賢い、勇しい、止められない、偉大
女の子は何だってできる
頭がいいのは強いことと同じ
女ボス
フェミニスト

 

そして、こちらが男の子向けに売られているTシャツのいくつか。

Boys graphic T-shirts

(画像イメージ:左上から右下へ)

永遠の週末
スポーツなら何でもいつでも
知らないし、どうでもいい(I don’t know. I don’t care.の略)
今日は何も終わらせられなかったぜ
マブダチ(ファーストフードのセットメニュー(combo meal)に掛けたダジャレ)
怠けものの5つの症状。1、 2、

 

メッセージの違いは新しいことではないということを述べておこう。全体的なテーマはもう何年も私をイラつかせている。長いこと男の子は恐竜とテレビゲーム(それから、もちろん、スポーツ)にしか興味がないという思い込みがあるように見える。一方で、「ガールパワー」のテーマはほとんど不変だ。だが、一番最近この店に行ったときには、完全に限界を超えているように私には見えた。

言うまでもなく、性別を入れ替えて現在の女の子に向けられているメッセージを男の子向けにしたら、これは性差別だと我々は躊躇なく言うだろう。なので、現在のメッセージの送り方が「逆性差別」だと述べるのはそう問題ではないと私は望んでいる。女の子たちは、賢く、成功し、力を持つことを奨励されている。男の子たちは、怠け者で、あまり努力せず、バカになることを助長されている。言い換えれば、女の子たちは成功のために努力することを奨励されているだけでなく、男の子たちは人生の落伍者になるような習慣を身につけるよう励まされているのだ。

「どうでもいいよ、そんなのたったひとつの店のことじゃん」と言いたいひとたちには、我々の社会は、身近な周囲だけでなく学校でも、この類のことを今の男の子たちはたくさん受け取っているのだと私は主張したい。学校ではそこまでひどくはないが、似たようなものだ。男性の成功は単に当たり前のこととされ、結果、滅多に肯定的に奨励されず、ときには水を差されることさえある。

これら文化的実践を評価するとき、我々大人の目だけを通して見ないことは重要だ。また現在の子供たちが我々が子供だった頃と同じように世界を体験していると考えないことも重要だ。世界がどう機能しているか何も知らない10歳の子供の目で見ようと努力しなければならない。大人としての我々は、男の子たちが逆性差別に晒されているのは何故か理解するかもしれない(そして、それを正当化する準備をするひともいるかもしれない)。だが、男の子たちはただただ完全に途方に暮れているのだ。

(コメント抜粋)

ヒース
私がTシャツを選んで載せたと思っているひとがいたら、お店のウェブサイトを見てみるといい。
男の子用グラフィックTシャツ:リンク
女の子用グラフィックTシャツ:リンク

ジョーダン
「プリンセス」や「ディーヴァ」といった文字がお尻の部分にプリントされてる女の子用のズボンのことを見過ごしているよ。子供たちに問題のある服を着せる大人がいることは問題だと私も同意するけど、男の子たちだけに限らない。

エリック
ヒースが言及したように男の子用Tシャツのほとんどがかなり問題がある事実のほかに、ふたつの本当に動揺させるような賞賛に値するレトリックがある。スポーツに関係しない肯定的な男の子用のTシャツは、漠然とした男性優位性を放っている。なぜなら、ほとんどは一般的またはあたりまえのこととしての「オレってイケてる」といったパターンであり、(女の子用のもののように)具体的な長所や成果のことではない。なので、Tシャツはいまだ「男性」と「成功」の繋がりを維持し強化している。同時に、怠け者で無関心で一般的にガサツかゴミといったような否定的なものは、それが如何にカッコいいかという賞賛のメッセージでもある。

エディ
人種差別についての前回のエントリで私が書いたコメントを繰り返し、また展開したいと思う。(分析哲学以外の)人文学を(少なくとも)5年ほど研究したひとにとっては、この部分的な観察とまじめな分析は、家父長的、ミソジニスト的で、女性に害があるものと見るだろう。なので、人文学(そして社会科学で益々増えている)「同僚たち」が何を書き何を活動家的学生たちに教えているか、ヒース教授がそんなに世間知らずではないと望んでいる。過去数年、多すぎるほどの真摯な思想家が、イデオロギーに取り付かれた学生たちに脅迫され暴行されている。ブレッド・ウェインステイン、ローラ・キプニス、ジョナサン・ハイト、エイミー・ワックスなどなど。これらTシャツを理解する最もよい方法は、(エドワード・スリンガーランドの好む言葉でいうところの)「ポストモダニズム相対主義」を取り巻く思想配置のレンズを通してだ。それはだいたいこんな感じになる:男性は家父長的文化において受益者であり、だからこそ、歴史的に抑圧された女性の観点から、社会正義はこれら家父長制の規範の転換を求めている。

アダム
爆笑。何だって?
もちろん5年前までは怠け者の男たちのステレオタイプはなかったよ。テレビにはなかった!ホーマー・シンプソンはこれまでで最も勤勉な労働者キャラクターだ!
それに、企業国家としてのアメリカはアカデミアのトレンドの最新情報を追ってることはみんな承知だ。ほとんどのCEOは女性優位の社会を広めるために女性学を勉強し始めていると思うよ。
ヒース教授、あなたが探してる言葉は「逆性差別」じゃない、ステレオタイプだよ。
The Children’s Placeは怠け者とかそういうステレオタイプを男の子たちに向けているんだ。

マイケル
これは性差別じゃない。これは社会がどれだけ男の子より女の子のほうに価値を置いてるかの違いじゃない。これはマーケティング部門がソーシャルメディアで観察したトレンドをオウム返ししてるんだ。これは資本主義が社会動向の美学を組み入れ、世界がどう機能しているか理解していない親たちに売りつけているんだ。The Children’s Placeは女性やフェミニズムに何の価値も置いてない。それどころか、人間の人生そのものにもだ(リンク)。

それに、それを置いておいたとしても、あなたはデータをわざと選んで載せてるよ。
“Beast-mode”(野獣モード)
“Science Ninja” (サイエンス忍者)
“Won and Done” (勝った&殺ってやった)
“It’s not easy being awesome, but I manage”(楽してイケてるわけじゃないが、なんとかやってる)
“Super Genius” (超天才)
これらのサンプル例は、あなたの言う「男の子たちは、怠け者で、あまり努力せず、バカになることを助長されている」という議論にあてはまるだろうか?

資本主義にはジェンダーの見方を曲げる内生的欠陥があるというあなたの意見は正しい。男の子がパワフルで賢く、勤勉であることに励ましを受けたとしても、共感よりも粗暴な肉体主義や暴力を、慎み深さよりも傲慢を、協力より競争を、高く評価することが奨励されている。

しかしながら、あなたの議論で最も深く問題とされているところは、女性が従順で性的対象であるよう訓練され、それが女性への虐待や地位低下を助長してきた消費者市場の大きな歴史があることだ(リンクリンク)。

それにもかかわらず、女性にとって少しでも酷いことではないと思われるものに振り子が戻ってこようとすると、「逆性差別」という叫びが起こる。まるでお店に入ったら女性がリーダーなることや強く賢くなることを励まされているのを目撃するのはショッキングで、男性心理からは正常とは思えず、不快と屈辱の感情を引き起こすものであるかのように。

我々は男の子たちの洋服のイメージに平等主義社会を反映するように変えていくべきだろうし、男の子たちに〔社会〕包括的で思いやりがあり、精神的に強く、心優しく強い意志を持つよう励ますべきだろう。しかし、あなたの議論では、特にマーケティング部門が女性に対しての「性差別」的な酷いメッセージを作成するのをようやく幾分か減らしたという描写だけど、そこは本当に性差別的で女性は劣っており〔男性に〕従属しなくてはならないと信じているひとたちを満足させるだけだ。このエントリについたコメントのひとつを読んでみよう、「もし男性のリーダーシップなしに女の子たちだけがリーダーになったら、社会と国は崩壊してしまう」。

これは予備的警戒じゃない、恐怖だ。企業の重役会議室や国会が女性だけになったら、十分な「雄ボス」が不在で粗暴な肉体主義がなくなったのにうまくいくかもしれないということに対する恐怖だ。しかしながら、歴史は国と企業の男性独占リーダーシップの崩壊の物語だ。
まさにぴったりの例がある:The Children’s Placeの役員の70%は男性だ(リンク)。

 

エリック
いくつものことについてあなた(コメント者マイケル)は正しいが、このエントリの核心は女の子たちが「良い」メッセージを受け取っているということではなく、男の子たちが圧倒的に多く「悪い」メッセージを受け取っているというところだ(例を出すのは繰り返しになるのでしないが、自分は非公式にコード化して「数」を数えてみた)。「逆性差別」はこの現象を表す正しい言葉だとは思わない。なぜならそうしてしまうと、根本的な問題がゼロサムゲームの構造であるかのように見えてしまうからだ。

Total
6
Shares

コメントを残す

Related Posts