マット・イグレシアスがこんなことを書いている:
でも,経済学の場合だったら,よく知ってる.経済学では,これは大問題だ.誰かが,キミと同意見のツイートをしたとしよう.それなら,RT したりちっちゃいハートマークの「いいね」をつけたりして歓迎しやすい.誰かのツイートに異論を挟むとなると,ケンカがはじまってしまう.逆に,ケンカをおっぱじめるよりも,いっぱい RT されたり「いいね」がつけられたりして歓迎されるツイートをする方が,ずっと心地いい.そんなわけで,経済学で Ph.D をとった人たちと話した経験からぼくが知ってることを言うと,自分の属している界隈で不人気だと思ってることを発言しないように経済学 Ph.D もちのほぼ誰もが多くの場合に避けてる.〔Twitter など人目がある場所にくらべて〕もっとくつろいだかたちで時間を割いて話をしてみないかぎり,思っている以上に異論や意見の衝突は多いんだとわからない.
ぼくは例外だ.経済のいろんな争点で不人気な立場をとるのも気にしない.たとえば,知ってのとおり,財政刺激はお金のムダだとぼくは信じてる(経済的な苦難を助けるのに妥当な策に使われた分はのぞいて).この点で,ぼくは大半の経済学者たちとちがう見解をもってる.
問題は Twitter なんだろうか.かりにぼくが Twitter をやっていたら,もしかすると順応しなきゃいけないって圧力をもっと感じるのかもしれない.その点,ブログがいいのは,自分がいっこの島みたいになるところだ.毎日のように他人とやりとりしないですむ.
べつに,twitter にいる誰も彼もが不人気な意見を言わないように避けていると言ってるわけじゃない――そんな風には思ってない.それに,宗教や人種や性行為や性別などなどについてすごく不人気な意見を言うことを格別に喜んでるって言ってるわけでもない.その逆に,そういう話題についてなにか言うことにそれほど関心がないから,論争をいやがっていなくてもそういう話題についてブログ記事をめったに書いてないだけだ.でも,経済学は? とにかく思ったままを書くだけだ.最低賃金法に反対したからって追放された人なんていない.政治に関しては,ナショナリスト右派も「覚醒」系の左派もこきおろしてる.人種や宗教や性別についでですら,経済に関わる論点だったら不人気な意見も気にせず書く.たとえば,人種や宗教や性別によって所得に大きなちがいがあるけれど,そのなかで差別が原因になっているものはほんのわずかだ――大半は生産性によるちがいだ.
PS. この文章は昨日書いておいたんだけど,ふだんよくやるように,公開するまで間を置いてた.そしたら今日,同じイグレシアスの記事についてタイラー・コーエンがもうコメントしてた.そのコメントで目を引いたのはここだ:
もちろん,もっと射程の広い問いもある.つまり,こうした問題をどうすれば制限できるんだろうか? 偽名ツイッタラーや執筆者がもっと増えればいい? 自分の評判を大して気にかけない気むずかし屋の年配者がもっと増えればいい? Substack で書く人がもっと増えればいい? 他の案は?
タイラーがいう「気むずかし屋の年配者」枠にぼくも入ってると言っておかしくはないだろうね.自分が「追放」(キャンセル)されるかどうかなんて,かぎりなくどうでもいい.というか,もともと,2017年には引退する予定だったんだけどね.
PPS. 記事を書いてから公開まで間を置いてると,他の人に先を越されることもある.でも,間を置くと自分の考えを見直せるから,バカなことを公開せずにすむことも多い.実は,ゴミ箱行きにしたネタにはもっとひどい文章🙂もあるんだよね.