●Scott Sumner, “The anxiety of influence”(TheMoneyIllusion, September 18, 2012) [1] 訳注;原エントリーのタイトルの“The anxiety of influence”(「影響の不安」)はハロルド・ブルームの同名の本からとられたもの。
名目GDP目標というアイデアの影響経路――名目GDP目標というアイデアは誰から誰にどのようにして伝わったのか?――を探る試みが盛んなようだ。ビル・ウールジー(Bill Woolsey)とライアン・アヴェント(Ryan Avent)も詮索に乗り出しているが、どちらの記事も必読だ。私としても二人の意見 [2] … Continue readingにこれといって異論は無い。ところで、この種の話題(誰が誰に影響を与えたか?)については個人的に思うところがある。あのボブ・ディランでさえもが「盗作」の疑いで批判されねばならない社会というのは「オリジナリティ」(独創性)というものへのこだわりがあまりにもいきすぎてしまっている社会なのではないかと思われるのだ。ディランと声を揃えて言いたいものだ。「オリジナリティ」は過大評価されている、と。
「歌詞の一部を盗作しているのではないか?」との批判の声に対してボブ・ディランは怒りも露に反論を加えた。「盗作だ!」と糾弾してくる相手を「腰抜け連中と子猫ちゃんたち」と呼びつけた上でディランは語る。音楽の流用は「フォークの伝統の一部だ」。
1980年代のことだ。俄かに「ニュー・マネタリー・エコノミクス」を名乗る一団(中心人物はフィッシャー・ブラックにユージン・ファーマ、グリーンフィールド&イェーガー、ロバート・ホール、アール・トンプソンら)が台頭してきて金融政策に対するまったく新しいアプローチ(に見えたもの)(「価格」アプローチ) [3] 訳注;金融政策というのは「金利」を操作するのでも「貨幣集計量」を操作するのでもなく、「貨幣の価格」を操作することにあり、との立場。を打ち出した。しかしながら、しばらくして先行者がいたことが明らかになった。アーヴィング・フィッシャーが1913年に“A Compensated Dollar”(補正ドル案)の中でまったく同じアイデアを開陳していたのだ。物価の安定を図るために金(ゴールド)の公定価格をその都度変更すればいいというのがフィッシャーの案であり、フィッシャーは「この案は自分のオリジナルだ」と思っていた。しかし、知り合いの一人に「アナイリン・ウィリアムズが1892年にエコノミック・ジャーナル誌に寄稿した論文の中で似たようなアイデアを語っていますよ」と教えられる。そう伝えられたフィッシャーは他にも先行者がいないか調査に乗り出し、ウィリアムズよりも前の1800年代初頭の段階で同様のアイデアを述べている先行者(トマス・アトウッドやジョン・ルークら)がいることを突き止める。やがてフィッシャーはその調査の結果を一冊の本に纏める。『Stable Money: A History of the Movement』がそれだ。数多くの先行者がいたわけだが、その大半はお互いの業績を知らずに独力で同じアイデアに辿り着いていたのだった。
インフレの安定化を図るために準備預金への付利を(金融政策の)操作手段として使えばいい。マイケル・ウッドフォードはそのような提案を論文にまとめたが、後になって先行者がいたことが判明する。ロバート・ホールが1983年の段階でまったく同じ案を提唱していたのだ。
私が知る限りでは「流動性の罠」への反駁を加えている一番古い例は1600年代にまで遡る。ジョン・ロックが「背理法」を使って「流動性の罠」の不可能性を説いているのだ。「日のもとに新しきものなし」(There is nothing new under the sun)、というわけだ(それはこの種の格言にも同じく当てはまることだ)。
「マーケット・マネタリストの面々ははじめのうちは『とにかくお金をたくさん刷ればいい』と語っていたのに最近になって『予想が大事』と言い出した」。少し前にクルーグマンがそう語っていたのを思い出す。違う違う。マーケット・マネタリストの面々は「予想が大事」と最初からずっと言い続けてきたのだ。マーケット・マネタリズムというのはそれまでにないまったく新しい学派だと多くの部外者は思うかもしれない。確かに目新しい名前がついてはいるが(命名者はラルス・クリステンセンだ)、マーケット・マネタリストの面々が共有している基本的なアイデアは数十年の歴史を持つ古いものだ。デイビット・グラスナーやビル・ウールジー、そして私は1980年代後半から1990年代初頭にかけての段階で既にまったく同じアイデアに行き着いていたし、アール・トンプソンやロバート・ホールなんかはそれよりもずっと前の段階で我々(マーケット・マネタリストの面々)と似たようなアイデアに辿り着いていたのだ。
誰かのアイデアが他の誰かに「影響を及ぼす」とすれば、それは「影響を受ける人間」(他の誰か)が前もってそのアイデア(ないしは極めて似通ったアイデア)を独力で思い付いていて自分なりにそのアイデアと格闘した経験がある場合に多い、というのが私の考えだ。その場合には「影響を受ける人間」(他の誰か)も似たようなアイデアの持ち主である誰かの影響を「受けやすい」態勢になっている。「影響を受けやすくなっている」というのは大事なことだ。この世には数多くのアイデアが飛び交っている。「影響を受けやすい」態勢になっていなければ、(あちこちに目移りするばかりで)数多くあるアイデアの中のどれかに心をつかまれるということもないだろう。いくつか具体的な例を挙げよう。
1. ガウティ・エガートソンはウッドフォードの教え子であり共同研究者の一人でもあるが、2008年に彼が書いた論文(pdf)がアメリカン・エコノミック・レビュー誌に掲載された。その論文では恩師(のウッドフォード)と二人で開発したモデルが大恐慌の分析に応用されているが、参考文献として私が1990年代に書いた論文が3本も引用されている(そのうちの1本はどのジャーナルにも掲載されずに終わったワーキングペーパーだ)。ごちゃごちゃしていて何が言いたいのかよくわからない拙論文を一流誌に掲載された論文の中で引用してもらえて嬉しかったものだ。おそらくバーナンキがエガートソンに「こんな論文があるよ」と教えたのだろう(二人がプリンストン大学で一緒だった時期がおそらくあるはずだ)。そして大恐慌に関する私の分析の中で政策の成り行きに関する「予想」にかなりの重点が置かれていることを知ったのだろう。おそらくはエガートソンは私の論文を読むよりも前の段階で既に基本的なアイデアは掴んでいたに違いないが、そのアイデアを大恐慌の分析にも応用できるかもしれないと意を強くする上で拙論文もほんの少しは役に立ったかもしれない。
2. 政策の成り行きに関する「予想」の重要性を説くウッドフォードの論文にはじめて接した時に「私がこれまで追求してきたアプローチと物凄く似ているなあ」と感じたものだ。しかし、私は自分のアイデアを厳密なモデルに書き換えていたわけでもないし、仮にモデルへの読み替えが可能であったとしても理論的にどのような結果が得られそうか自分の頭ではよくわからないところがある(その主たる理由は「予想」が重要な役割を果たすモデルでは解法がいくつもあるところに求められる)。「私なんかよりもずっと頭のいい人間が私の直感を厳密なモデルで裏付けてくれている」。ウッドフォードの論文のおかげでそのように自信が持てたものだ。
どちらのケースにしても一方の側が他方の側の影響を「受けやすく」なっていたわけだが、どちらの側も独力で基本的なアイデアに思い至っていたのだ。
(以下略)
References