タイラー・コーエン「トランプ政権,外見差別,サウジ人」

[Tyler Cowen, “The Trump administration, lookism, and the Saudis,” Marginal Revolution, May 22, 2017]

かくいうぼくも無罪ではないので,謝罪したい.どうやら,ぼくがフォローしてるTwitter界隈の地位ある人たちの一部では,トランプ政権の面々が映ったいろんな画像の醜い部分や風変わりなところや困惑している姿や汗まみれになっている姿など,バカにしやすいものを笑いのネタにするのが政治的に容認できることになっているらしい.

それに,サウジアラビア支配層の一部にいるいかにも邪悪そうな姿やけっこいな姿,あるいは両者の組み合わせのステレオタイプにはまる画像をネタにする傾向も見られる.少なくとも,「オリエンタリズム」は復活しつつあると言えそうだ.しかも,それをになっている当人たちは,トランプによるいろんなステレオタイプに反対している人たちだったりする.

こういうのは,好ましい展開だと思わない.ある程度までなら人を外見で判断するのは避けられないし,場合によっては実践的かつ必須ですらある.それはそれとして,醜くバカにしやすい人たちを,醜くバカにしやすいからという理由で衆目のさなかでコケにするのがいいことなのかどうか,ぼくは疑問に思う.たとえ相手が邪悪な人間だとしても,あるいは,世界に害悪をなしているとしてもだ.

多くの人たちは(正当にも)トランプが痙性まひ者とおぼしき物まねをしてバカにしたのを批判した.かりに,強盗殺人犯の痙性まひ者をトランプが同じように物まねしてみせたとしよう.その方がまだマシだと言えるだろうか? まあ,マシではあるかもしれないけれど,それでもいいことではない.たとえ悪事をはたらいた人物だろうと,外見をバカにするのはやめよう.その人がいかにもおろかで粗野な外見をしていようともだ.それにもちろん,トランプ政権の面々はべつになにかの有罪が確定しているわけでもない.

かりに,(ぼくらの基準で見て)生まれつきいかにも邪悪そうな外見の人たちがいて,でも文句の付け所なくいい人で友好的な人物だったとしたらどうだろう? あるいは,かりにこの世に魔女なるものがいて,魔女はわるい連中で,魔女の大半は長い鷲鼻の持ち主だったとしよう.でも,世間には魔女じゃなくて鷲鼻の人たちもいる.魔女どもを外見で戯画化したり批判したりすべきだろうか?

さらに,実のところ醜悪でバカにしやすいかどうかの基準がいつでも明快とはかぎらない.魔女もそうでない人もいっしょくたにバカにしようとするのは問題だ.

これは,いかにあっさりと人種差別・性差別その他の好ましくないミームに人々がうっかり足を踏み入れてしまうかに関する教訓にもすべきだ.サウジ人に話をもどすと,具体的にこの写真なんて,とくに使いやすい.アラブ人のステレオタイプがふだんのおしゃべりで許容される界隈がアメリカのあちこちにあるからだ:

saudi

もしも,ごくふつうの西洋諸国の官僚的な会合らしい写真だったら,こうもたくさんリツイートされただろうか? なるほどたしかに,以前サウジ人についてやっていた発言と対比してトランプが偽善者だと示すのにこの写真を使うこともできる.だけど,もちろん,この写真はそれよりずっと多くのことを人々に伝えている.つまり,「サウジ人は(ぼくらと)ずいぶんちがう文化で,ときにへんてこな風に(ぼくらには)見えることもある」ということを伝えている.

まちがいだと思うことを批判するのに躊躇すべきではない.だけど,具体的な人々の外見に現れるいろんなまちがいのみてくれを批判すると一線を越えてしまう.「おまえのイメージの利用法は不当な一般化を世に広めている」といって悪者が現実問題からきみの注意をそらすすきを与えないようにしよう.言い換えると,イメージの利用法は「外見差別(ルッキズム)」を推し進めているかもしれない.

Twitter に流れるいろんな写真でなにより深刻な問題の1つがこれだ.すなわち,そうした写真を慎重に使えるほどぼくらはまっとうじゃないってことだ.いままさに,外見差別の不当な哲学が盛大に猛威を振るっている.

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