ベン・シュミットのブログによると,「ピアレビュー」という言葉が一般的になったのは1970年代になってのことにすぎない〔※グラフはグーグル ngram viewer の検索結果〕:
実際に学術誌での慣習がどうなっていったのか詳細を知りたいところだけど,ぼく個人の感覚だと,ごく最近になって外部査読者のチームによる査読が一般的になるまでは編集部による査読が基本だったと思う.たとえば,1956年に American Historical Review は投稿論文のコピーを1部しか求めていなかったし,1970年ごろまでずっとそれは変わっていなかったようだ.おそらく,編集の方で写真複写をつくってたんだと思う.どうやらシュミットの考えでは,政府による資金提供の慣行によって,大学専門職が複数査読者によるレポートを含むもっと正式なピアレビューへと背中を押されていったということらしい.
少なくとも,ピアレビューが論文掲載の値打ちがあるかどうかを決定している以上,さらに調べてみる必要があるね(すごく高齢の人たちに聞いてみるのはどうだろう?).率直に言うと,そういう調べ物は編集部による査読での方が掲載される見込みがあるんじゃないかと思う.
こちらは,まさか Twitter をやってるとは知らなかった Judy Chevalier〔イェール大学教授,金融・産業組織論〕のツイート:
39ページの論文についたコメントに28ページの「査読者と編集部の疑義への返答」をやっと書き上げたところ.
それなら Judy にもう一本論文書いてもらう方がぼくはありがたいけどね.
ところで,科学論文はだんだん読みにくくなっているとの話だ.