タイラー・コーエン「Twitter の作用についてマット・イグレシアスが語ってること」(2021年5月27日)

[Tyler Cowen, “Matt Yglesias on the dynamics of Twitter,” Marginal Revolution, May 27, 2021]

ソーシャルメディアはまぎれもなく社会的(ソーシャル)だ――つまり,ソーシャルメディアでは,ウチ集団とソト集団をつくってウチ集団に順応する圧力が信じられないほど強くかかる.コットンやポンペオを尊崇していて世間にコットン=ポンペオ思想の信奉者として知られたがってでもいないかぎり,科学者どうしの内輪で少数派の見解をわざわざ声に出して語ろうなんて気はそうそう起きないものだ.科学にいそしむこともできるのに,日がな一日 Twitter で言葉の泥仕合をしてすごす理由なんてあるだろうか? Twitter をざっと眺めて,これぞ「科学者」って感じの人たちがしかじかの話題について考えてることの印象を固めたところで,ありもしない共通見解を認識してしまう.賛否が7対3で分かれる話題があったとして,その3割が声を潜めていたら,傍目には 98対2 に賛否がわかれてるように見えてしまったりする.

ぼくは科学にはあまり通じてないから,これが一般にどれほど当てはまるものなのか見識を持ち合わせてはいない.

でも,経済学の場合だったら,よく知ってる.経済学では,これは大問題だ.誰かが,キミと同意見のツイートをしたとしよう.それなら,RT したりちっちゃいハートマークの「いいね」をつけたりして歓迎しやすい.誰かのツイートに異論を挟むとなると,ケンカがはじまってしまう.逆に,ケンカをおっぱじめるよりも,いっぱい RT されたり「いいね」がつけられたりして歓迎されるツイートをする方が,ずっと心地いい.そんなわけで,経済学で Ph.D をとった人たちと話した経験からぼくが知ってることを言うと,自分の属している界隈で不人気だと思ってることを発言しないように経済学 Ph.D もちのほぼ誰もが多くの場合に避けてる.〔Twitter など人目がある場所にくらべて〕もっとくつろいだかたちで時間を割いて話をしてみないかぎり,思っている以上に異論や意見の衝突は多いんだとわからない.

これはいろんな専門領域に当てはまるんじゃないかとぼくは強く疑ってる.そのせいで,あちこちでニセの共通見解の錯覚にとじこめるバブルがたくさん生まれていて,すごく人々の誤解を誘うことになりうるんじゃないだろうか.そして,ぼくには解決案のもちあわせがない.

イグレシアスの Substack 投稿全文はこちら.ぼくはよろこんで有料購読者になった.もちろん,もっと射程の広い問いもある.つまり,こうした問題をどうすれば制限できるんだろうか? 偽名ツイッタラーや執筆者がもっと増えればいい? 自分の評判を大して気にかけない気むずかし屋の年配者がもっと増えればいい? Substack で書く人がもっと増えればいい? 他の案は?

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