タイラー・コーエン 「シェイクスピアのお値段の変遷」(2005年9月17日)/ アレックス・タバロック 「セックスと暴力」(2004年7月12日)

●Tyler Cowen, “The changing value of Shakespeare”(Marginal Revolution, September 17, 2005)


ウィリアム・シェイクスピア全集の出版権の値段(オークションでの落札価格)の変遷は以下の通り。

1709年:200ポンドを大幅に下回る(と推測される)

1734年:675ポンド未満(と推測される)

1741年:1,630ポンド

1765年:3,462ポンド

1774年(永続的な著作権が失効した年):オークションの履歴なし

以上のデータはウィリアム・スト・クレア(William St. Clair)の『The Reading Nation in the Romantic Period』から転載したものだ。 印刷文化の勃興と商業革命を扱った本は数多いが、その仕事の徹底さにしてもデータ分析の詳細さにしても本書は類書のどれよりも抜きん出ている。驚異的な一冊だ。本書についての詳しい情報はこちらも参照されたい。本書を通じて学んだのだが、イギリスの初期の著作権法は書物(文学作品)の値段を高止まりさせる役割を果たし、そのために一般の人々は書物をなかなか入手できずにいたようだ。

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●Alex Tabarrok, “Sex and violence” (Marginal Revolution, July 12, 2004)


ポール・シーブライトの『The Company of Strangers』(邦訳『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?』)では人類の進化の歴史に関するこれまでの研究の蓄積を踏まえた上で経済を支える様々な制度に検証のメスが入れられている。例えば、人類には暴力に駆り立てられる傾向が埋め込まれているが、その傾向と「分業」とはあまりに対照的だ。そのことを思うと「分業」が現実に可能となることの驚きもいや増すことになる。ジョン・マクミランの『Reinventing the Bazaar』(邦訳『市場を創る』)だとかスティーブン・ピンカーの『The Blank Slate』(邦訳『人間の本性を考える』)だとかで取り上げられている話題に通じているようであれば本書の内容の多くには目新しさは感じないだろうが、フレーズの選び方にしても他の文献からの引用にしても著者のシーブライトの才覚が光っている。例えば、以下の引用をご覧いただきたい。これまでに私はシーブライトのようにシェイクスピアを額面通りに受け取ったことは一度としてなかったものだ。

同じ種に属する同性のよそ者(何のつながりもない相手)を殺せば恋敵が減ることになる。この事実は暴力には性的興奮が伴いがちであることのもっともらしい説明になるように思われる。〔オスに備わる〕暴力的な傾向は残念ながら何らかの病を抱えたマイノリティーだけに見られる病理現象なのではなく・・・(略)・・・、また、オスの暴力的な傾向はメスに備わっている(決して普遍的とは言えないが、違いを生み出すに十分なだけの)傾向、すなわち、力比べの場面で相手を凌ぐ実力を見せたオスに性的な魅力を感じて惹きつけられる傾向にも支えられて長い時間を経て徐々に強められることにもなった。シェイクスピアはこのことをよくわかっていた。アジャンクールの戦いが迫る中、シェイクスピアは仲間の兵士を前にしたヘンリー五世に次のように語らせている。

 故国で今頃床に就いている紳士諸君は

 今ここに居合わせなかったことを口惜しく思うばかりか、

 男としての面目が潰される思いがして肩を落とすに違いない。

 ここにいる我々の仲間の誰かが聖クリスピンの祭日に戦った思い出を口にするたびに。

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