●Tyler Cowen, “Does personality cause politics?”(Marginal Revolution, March 8, 2016)
まずはじめの分析では、性格特性(パーソナリティー)と政治意識(政治的態度)との間に統計的に有意な相関関係が見出された。とりわけ特筆すべき結果をまとめると、以下のようになる。アイゼンクのP〔Pというのは、「精神病的傾向」(“Psychoticism”)の頭文字を表している。いくらか複雑な尺度〕の値が高い人ほど [1] 訳注;アイゼンクのPの値が高いほど、頑固だったり、協調性が低かったりする傾向にある。、(同性愛だとか中絶だとかに不寛容であり、安全保障問題でタカ派寄りという意味で)保守寄りの傾向が強い。社会的望ましさ(Social Desirability)を測る尺度の値が高い人ほど [2] 訳注;社会的望ましさを測る尺度の値が高いほど、周りからよく見られたい(自分をよく見せたい)と思う気持ちが強い傾向にある。、(同性愛だとか中絶だとかに寛容という意味で)社会問題に関してリベラル寄りの傾向が強い。神経症的な傾向を測る尺度の値が高い人ほど [3] 訳注;神経症的な傾向を測る尺度の値が高いほど、不安を感じやすくて悲観的な傾向にある。、(経済的な弱者の救済を意図した公共政策に好意的という意味で)経済問題に関してリベラル寄りの傾向が強い〔ゴシック体による強調は、引用者によるもの〕。オーストラリア人を対象とした同様の研究 (Verhulst, Hatemi, and Martin 2010)でも、我々の分析と整合的な結果が得られている。
双子のデータが分析対象になっているとのこと。以下に引用する議論には、ひどく興味を引かれた。性格特性から政治意識へという因果の向きで片がつく話じゃないようだ。
本稿で得られた一連の結果は、性格特性こそが政治意識を育(はぐく)む原因であると想定しているいくつかの先行研究(例えば、Gerber et al. 2010; Mondak et al. 2010)に真っ向から異を唱える格好になっている。性格特性が原因でリベラル寄り(ないしは保守寄り)になるわけではなく、性格特性と政治意識との間にはそれとは別の二通りの関係性が成り立つ可能性があるのだ。同じ遺伝子の組が性格特性と政治意識の双方に影響を及ぼしているというのが第一の関係性だ。これはコレスキー分解と因果モデルの分析結果から示唆される関係性だが、遺伝子という先天的な要因こそが性格特性と政治意識との間の相関関係を成り立たせているというわけだ(図1の右側のパネルを参照)。さらには、因果モデルの分析結果によると、逆向きの因果――政治意識こそが性格特性を育むという第二の関係性――が成り立つ可能性も示唆されている。すなわち、政治意識の違いを生む遺伝子の組が性格特性の違いを生んでいる可能性があるのだ。これはいくつかの先行研究(例えば、Gerber et al. 2010; Mondak et al. 2010)で想定されているのとは正反対の因果関係だが、政治意識の違いを生む遺伝子が性格特性の個人差を徐々に育んでいく可能性があるわけだ。この観点からすると、政治意識というのは、行動や環境の選択を左右する生来の気質の一つということになろう――政治意識がはっきりとかたちをとる(リベラル寄りになるか、保守寄りになるかが決まる)までには、しばらく待つ必要があるとしても――。遺伝子という要因にすべてを帰すことができるのかどうか、性格特性と政治意識との間に双方向の因果関係が成り立つのかどうかという点については議論の余地があるが、いずれにせよ、性格特性こそが政治意識を育む原因であるとの広く受け入れられている想定を大きく見直す必要があるとは言えよう。
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