●Tyler Cowen, “The versatility of conceptual innovators”(Marginal Revolution, February 19, 2006)
デビッド・ガレンソン(David Galenson)の論文のアブストラクト(要旨)より。
パブロ・ピカソに、ゲルハルト・リヒターに、ジグマー・ポルケ。いずれも現代美術を代表する重要な画家であり、三人ともに画風(作品のスタイル)を幾度も――時にガラリと――変えたことで知られている。その変幻自在ぶりは美術史家の間で悩みの種となっているが、ピカソ研究者にしても、リヒター研究者にしても、ポルケ研究者にしても、研究対象である画家の変幻自在ぶりをその画家だけ(ピカソだけ/リヒターだけ/ポルケだけ)に備わる特異な特徴として見なそうとする傾向にある。三人の変幻自在ぶりの背後に控える「共通の根」を捉え損なってしまっているのだ。実のところ、変幻自在さというのは、「概念的イノベーター」によく見られる特徴なのだ。「概念的イノベーター」の対極にいるのが、「実験的イノベーター」だ。「概念的イノベーター」は、個別具体的な目標(課題)を掲げて、それが解決されたと自覚されると新たな目標(課題)へと切り替えを図る傾向にある一方で、「実験的イノベーター」が掲げる目標(課題)は、抽象的で解決するのが難しい。そのため、「実験的イノベーター」は、生涯を通じて一つのスタイルに固執する傾向にある。一つのスタイルに囚われずに次々と革新を続ける「概念的イノベーター」は、20世紀アートの世界に屹立する重要な存在である。その原型とも言えるのがピカソであり、その後にはマルセル・デュシャンからダミアン・ハーストへと至る数々の顔ぶれが続く。変幻自在ぶりは、画家の中の「概念的イノベーター」(「概念的な画家」)だけではなく、アートのその他の分野における「概念的イノベーター」にも、さらには学者の中の「概念的イノベーター」にも備わる特徴である。「概念的イノベーター」の変幻自在ぶりの背後に控える「共通の根」を認識することを通じて、人間の創造性についての理解が深められることになろう。
(学者の中の「概念的イノベーター」の例として)「ケネス・アロー」の名前が脳裏に浮かぶが、同じくって人はいる? ライプニッツなんかはどうだろうね? こちらの本では、「万物を知悉せし最後の男」(トマス・ヤング)について詳しく掘り下げられている。ガレンソンの論文はこちらだ。