●Tyler Cowen, “Travel book panic”(Marginal Revolution, May 6, 2007)
旅行に出かける何週間か前になると、ダイニングルーム(食堂)にあるテーブルの上に、本の山をジャンル分けして積み上げるのがお決まりになっている。どの山も、細心の注意を払って組み立てられる。こちらに積み上げられているのは、「旅行ガイド」山、隣にあるのは、(旅先に持っていく)「フィクション」山、その隣には、(旅先に持っていく)「仕事用に読む必要あり」山、そしてこっちは、「おそらく、旅のお供に持っていくことはないだろう」山・・・といった具合にだ。数ある山の中でも一番大事なのは、「旅に出かける前に、たぶん読むであろう」山だ。
次第に、どの本も、属する山独自の色を帯び始める。旅の本来の目的なんてすっかり忘れて、「もう少ししたら、邪魔されずに本が読めるぞ」と、ついつい頭がそっちに向かってしまうこともよくあるものだ。
旅立つ日が近づくにつれて、ワクワクも高まる。テーブルの上に積み上げられている本の山にちょくちょく近づいていっては、「(読んでいる最中に)どういう思いを味わえるだろう」と空想したりするものだ。
しかしながら、旅立つ2、3日前になると、パニックに襲われることになる。どの山も、不適切極まりないように思われてくるのだ。こいつらを本当に読みたいか? 「ノー」。こいつらを読めば、人として成長できるだろうか? 「ノー」。それより何より、こいつらは、旅のお供にふさわしいだろうか? 「ノー」。
新たに本を買い揃えるために、近所にある(大型書店チェーンの)ボーダーズに駆け込む。
「ゴミ山どもが!」と心の中で(自宅のダイニングルームのテーブルを占拠する本の山に向かって)文句を垂れつつ。