スティアン・ウェストレイク「脱成長派の勝利?:その不愉快な帰結」(2023年5月15日)

私たちは、少なくとも目下のところ、脱成長派が勝利していることを認めるべきなのかもしれない。そして、今私たちの目の前に広がるこの世界は、脱成長派が(恐らくは意図せずに)作り上げてしまったものであるということを。

15年前、私は「ソーシャル・イノベーション」の分野で研究活動をしていた。当時同僚たちの間で、社会の何が間違っていて、それをどう解決すべきかについて、非常に人気を博していたある世界観があった。

それは、政府も人々も経済成長が良いものだと考えるのを止めるべきであり、そうすれば環境の持続可能性や幸福といった重要なことをもっと重視する世界を築ける、という考え方だった。「グレート・トランジション」や「経済成長は不可能である」といったビジョンを肉付けしたニュー・エコノミクス財団などのシンクタンクによるレポートや、ベストセラーとなったティム・ジャクソンの『成長なき繁栄』に後押しされ、この考え方は2000年代後半までに、イギリスの進歩派の間で確固たる地位を築いたように思われる。

脱成長のビジョンには、いくつかの異なる潮流が存在していた。子どもたちに瞑想を教えたりGNH(国民総幸福量)を計測したりといった実践的なプロジェクトを通じて事態を改善できると考える、楽観的なプラグマティストたちも存在した。極端なタイプだと、かっこいいが少しおっかないダーク・マウンテン・プロジェクトの人々もいた。このプロジェクトの人々は、世界の破滅は不可避であり、望めるのはせいぜい、世界が燃え落ちる渦中においても平静を保てる感覚を養うことくらいだと考えていた。

とはいえ、「経済成長の優先順位を落とすべきだ。GDPの追求の優先順位が落ちればその分、環境保護や自己実現といった、もっと崇高な目的を追求する余地が生まれる」という意見については、誰もが同意しているようだった。

もう1つ、全員が暗黙に同意していたのは、脱成長のビジョンが「進歩的」であり、広い意味で左派にとって良いことであり、反対する者は悪しきトーリー主義的感覚〔保守性〕を持っている、ということだった。実際のトーリー党〔現在の保守党〕でさえも(カメルーン [1] … Continue reading が、ハスキーを抱きしめたり、国家統計局〔ONS〕にウェルビーイングの測定を命じたりしている程度には)脱成長のビジョンに賛同しているようだが、これが保守の伝統的なイメージから離れていたことは誰にとっても明らかだった。

あれから15年ほど経ったわけだが、結果はどうなっただろうか?

「経済成長を諦める」という点では、事態は驚くほどうまく進展している。イギリスにいる人なら、2000年代以降の生産性(つまりイギリスにおける労働時間あたりのアウトプット)がどうなったかを示すONSの統計はおなじみかもしれない。経済学者はこの統計を目の当たりにして、成長はゼロに近づいており、2008年以前のトレンドを大きく下回っているという悲観的な分析を行うこととなった。

労働生産性は? …ひどい!

定常経済に向けた歩みは? …素晴らしい!

だが、脱成長の観点からすると、これは成功譚に見える。グラフをさかさまにすれば、イギリスが「成長依存症」からの脱却にうまく成功してきたことが読み取れる。脱成長の支持者たちがこのグラフを称賛しないのは驚くべきことだ。

イギリスはよく、何がなんでも経済成長依存症の国家だと非難を向けられることがある。だがどう考えても、このグラフからそんな姿は見えてこない。

もっとも、脱成長を支持する進歩派は、残りのアジェンダがまだ実現していないと主張するに違いない。彼・彼女らは、イギリス経済が依然として持続不可能な量の炭素を排出し、持続不可能な量の資源を消費していると論じている。賃金は伸び悩み、住宅価格も劇的に高騰しているため、人々のニーズに応えるという点でイギリス経済は満足のいくパフォーマンスを上げられていないようだ。そしてイギリスの文化的環境は、反移民政治の台頭から、いわゆる文化戦争の病的なあり方、そしてむろん(私の知る限り、経済成長を懐疑する進歩派のほとんどが反対していた)ブレグジットまで、脱成長の支持者にとっては概して好ましくないような形で展開している。

脱成長の支持者は大抵、こうした残念な事態を経済成長のせいにしている。経済は依然として環境を汚染しており、賃金も低いが、それは資本家が無限増殖する資本の追求の依存症になっているからだ。住宅費用が高いのはジェントリフィケーション [2] … Continue reading と金融化のせいであり、どちらも経済成長の追求と結びついている。文化戦争は心理戦であり、ルパート・マードックやコーク兄弟といった悪しき資本家たちが、(経済成長志向の悪しき)経済的陰謀から有権者の視線を逸らすために意図的に生み出したムーブメントである。こうして次のようなビジョンが導かれる。私たちがすべきなのは更に激しく経済成長の力に対抗していくことのみであり、そうすればもっと環境に優しい素敵な世界が実現するだろう。

しかしこうした事態は、別の仕方で説明できるように思えてならない。脱成長を願い、それが環境保護などもっと大事なことへの注目をもたらすだろうと考えていた私の友人たちは、正しかったのかもしれない。友人らが期待した通りの形で実現しなかっただけだ。友人らの願いは叶ったのかもしれないが、猿の手がピクっと動いたのだ [3]訳注:願いが意図とは反対の形で実現することの比喩。W・W・ジェイコブズの短編小説「猿の手」(Monkey’s Paw)に由来する表現。

環境問題について見てみよう。イギリス経済は2008年以来、グリーン化が進んでいるが、目標達成に十分なペースではない。では、エネルギー・システムを脱炭素化するのはなぜ難しいのだろう? 風力タービンや太陽光発電所を制限する規制のためにロビー活動を行っているのは、大金持ちの資本家ではない。イギリスの緑豊かな心地よい土地を守りたいと考える活動家たちだ。つまり、BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)やシェルではなく、CPRE(イギリス田園保護運動)やRSPB(王立鳥類保護協会)、そして数えきれないほどの地方団体と、その要望を受け入れている政治家たちなのだ。

こうした団体を支えているのは概して、生活に余裕のある人々だ。こうした人々は、切実に経済成長を必要としておらず、自分たちは自然や環境を保護しているのだと心から信じている。多くの人にとって、「環境」とは大気中の炭素のppmのことというより、犬と散歩するときに見える景色のことなのだ。これは結局、ウィリアム・モリスやそれ以前にまで遡る、由緒ある環境思想の伝統である。こうした人々は、自分たちの考える正しい環境保護の理念を追求しており、それが経済成長を妨げようが気にしない。単に、このタイプの環境保護思想が、炭素排出を減らすのではなくむしろ増やしてしまっているだけである。このタイプの環境保護思想は、炭素排出を減らすのではなくむしろ〔意図せず〕増やしてしまう。

同じロジックは住宅事情に関しても働いている。イギリスの住宅費用の高さは、ニーズに見合うほど新しい住居を建設できていないことと関係している、との議論がある(邦訳はここで読める)。この議論を受け入れるなら、新しい住居の建設に反対する動きの大部分が、コミュニティや郊外を守り「企業の強欲」に反対すると主張する人々によるものだという事実について考えるべきだ。ポスト成長社会では、まさにこの種の利他的な社会運動をよく見ることになるだろう。こうした運動は〔意図しているわけではないが〕重要な社会問題を悪化させ、不平等の大きな要因となる可能性が高い、というだけの話だ。

こうしたトレンドは、最近の地方選挙の結果にも現れているように見える。緑の党は、最先端のボヘミアンな都市ではなく地方部で顕著な勝利を収めているが(例えばサフォーク中部では緑の党が地方議会を支配している)、それは少なからず、住宅開発への反対運動のためだ

そして、文化戦争、「ウォーク」を巡る終わりなき戦い、ブレグジット、様々な社会正義の問題がある。こうした諍いはメディアや悪しきエリートたちが企てたものだ、という主張は一般に疑わしいと私は思っている。因果的・経験的な証拠の示唆するところでは、人口のかなりの部分がこうした問題を真剣に気にかけており、重要だと考えている物事について真正の意見の不一致が存在する。これが正しいとすると、激しい文化戦争はまさに、物質的欲求ではなく、文化やコミュニティ、自らにとって重要なものの追求に焦点を合わせるという、ポスト経済成長の世界で見られるだろう光景だと思われる。

自分たちにとって重要なことは何か、ということについて意見の不一致があるのは当然のことだ。本当に重要なのは共同体や主権、伝統的なジェンダーロール、同じ共同体の同じエスニシティの人々と暮らすことだと考える人もいる。同じように、多様性や包摂、社会正義こそ重要だと考える人もいる。従って文化戦争は、経済成長志向のメディアの黒幕が、経済成長の負の帰結から人々の目を逸らすために企てた偽りの現象ではない。それは全くもって、人々が「本当に重要なこと」について気にかける心理的余裕を持つようになったことの、真剣かつ予測可能な帰結なのだ。

キリスト教に背いた最後のローマ皇帝〔ユリアヌス〕は死の間際、古い神々の失墜と古代世界の終焉を想って、次の言葉を発したとされている。vicisti, Galilaee、すなわち「ガリラヤ人 [4]訳注:この文脈では、キリスト教徒の蔑称として用いられている語。 よ、汝は勝てり」と。私たちは、少なくとも目下のところ、脱成長派が勝利していることを認めるべきなのかもしれない。そして、今私たちの目の前に広がるこの世界は、脱成長派が(恐らくは意図せずに)作り上げてしまったものであるということを。

〔スティアン・ウェストレイク(Stian Westlake)は現在、イギリス経済社会研究会議(ESRC)の上級取締役で、過去にイギリス王立統計学会(RSS)の最高責任者を勤めていた人物である。著書に、『無形資産が経済を支配する』『無形資産経済 見えてきた5つの壁』(ともに、ジョナサン・ハスケルとの共著)がある。Twitterアカウントはこちら。〕

〔Stian Westlake, Notes on Progress: Degrowth and the monkey’s paw, The Works in Progress Newsletter, 2023/05/15.〕

References

References
1 訳注:保守党党首のキャメロンが組織した、少人数で構成された意思決定チームのことを指すと思われる。宮畑建志「英国保守党の組織と党内ガバナンス ―キャメロン党首下の保守党を中心に―」を参照。
2 訳注:再開発によって地価が上がること。またそうした地価の高騰により、従来その土地に住んでいた低所得者層が別の地域に移転せざるを得なくなること。
3 訳注:願いが意図とは反対の形で実現することの比喩。W・W・ジェイコブズの短編小説「猿の手」(Monkey’s Paw)に由来する表現。
4 訳注:この文脈では、キリスト教徒の蔑称として用いられている語。
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