●Tyler Cowen, “Books that had hidden influence on me”(Marginal Revolution, November 21, 2017)
大分前の話になるが、「私に強い影響を及ぼした本」のリスト(全10冊)〔拙訳はこちら〕を公けにしたことがある。手を加える必要は今のところ感じないのだが、件のリストを目にしたとある人物から次のような質問を頂戴したことがある。「貴殿が影響を受けたけれど、自分ではそのことに気付けていない。そんな本のリストをお教えいただけないでしょうか?」。矛盾めいたところのあるリクエストではあるが、細かいことには目を瞑って、期待に沿えるようにできるだけのことはやってみるとしよう。さあ、とくとご覧あれ(記憶に間違いがなければ、以下に挙げた本のほとんどは10歳~12歳の頃に読んだと思う)。
1. アレクサンダー・コトフ(Alexander Kotov), 『Think Like a Grandmaster』(邦訳『グランドマスターのように考えよう』);一手一手の意味を理解しながら(チェスの)駒を指しているつもりでも、実は何も理解できてやしなかったと後になって思い知らされる。そんな羽目に陥る可能性があり得ることを教えてくれたのが本書だ。大変重要な教訓だ。高性能のチェスコンピュータの出現に伴って、なおさら「まさに」と痛感させられる教訓でもある。経済問題とか社会問題とかにやたらと口を出したがるプチ評論家の多くも、この教訓を備忘録に書き留めておくといい。本書から教わったことは他にもある。本を読んでる(眺めてる)だけじゃ大して学べやしない。実際に手を動かさなくちゃいけない――自分で実際に問題を解いてみなきゃいけない――(あるいは、読書と実践を有機的に組み合わせなくちゃいけない)ってことがそれだ。もしかしたら思い出補正もあるかもしれないが、本書はこれまでに読んだ本の中でも最高の一冊のうちの一つと言ってもいいように思う。ソビエト式の訓練(育成)システムに敬礼!
2. ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer), 『My Sixty Memorable Games of Chess』(邦訳『ボビー・フィッシャー 魂の60局』);その発想にしても、戦法にしても、ある種の古典主義の精神が貫かれていること(定跡が踏まえられていること)が窺い知れる。本書には数多くの間違いがあることが後になって指摘されたが、フィッシャー本人が執筆した本文だけではなく、ラリー・エヴァンスが寄せた序論にも間違いがあったようだ。
3. ルーベン・ファイン(Reuben Fine), 『Basic Chess Endings』(「チェス終盤戦の基礎知識」);(チェス専門誌の)Chess Life&Review誌に本書の間違いをあげつらった記事が連載されたのだが、私が影響を受けたのはむしろそちらの方だ。コトフ本に寄せたコメントをもう一度読み直してもらいたいと思う。
4. デーヴィッド・カーン(David Kahn), 『The Code-Breakers: The Story of Secret Writing』(部分訳『暗号戦争』);「問題は解かれつつある!」(解読できない暗号などもう無いも同然だ)ということを幼い私に教えてくれたのが本書だ。「全史」というのはどんなものか、全史を書く上ではどんな話題をおさえておかねばならないか。おぼろげながらではあるが、そのあたりの感覚も本書のおかげで養われた。こんなちっぽけな子供にこんな分厚い本を読ませといてもいいものだろうか、と叔父がひどく困惑していたことを思い出すものだ。
5. ルドルフ・マクシェーン(Rudolf McShane)&ヤコフ・トラハテンベルク(Jakow Trachtenberg), 『The Trachtenberg System of Basic Mathematics』(「トラハテンベルク法で学ぶ基礎数学」);本書を通じて学んだことは、人間の頭脳の逞(たくま)しさだ。学校で教えてもらえないことがこんなにもたくさんあるのか、ということも学んだ。主流派が説く手法が唯一のもので最善のものかというと必ずしもそうではないこと、非主流派が説く手法も正しい答えにたどり着く導きの糸となってくれることがあること。そのあたりのことに気付くきっかけにもなった。ところで、本書の中で説明されている解法(計算法)は今でも学ぶ価値はあるだろうか?
6. The Baseball Encyclopedia(「ベースボール大百科」)をはじめとした、プロ野球(メジャーリーグ)の記録集の類;統計データなるものの存在を知るきっかけになった。統計データに照らしてプロ野球の歴史を振り返ってみたら、どんなパターンが浮かび上がってくるだろうかと探りを入れたりもしたものだ。野球のデータを夢中になって追いかけ出したのは、10歳になるよりもずっと前に遡る。The Baseball Encyclopediaのおかげで、手持ちのベースボールカードをメジャーリーグの長い歴史の流れの中に位置付けることもできたし、数々の統計データの背後に潜む意味――「マネーボール」以前の話ということもあって、今の時代からするとその解釈もかなりお粗末なものではあるだろうが――についても学べたものだ。チーフ・ウィルソンが1912年度シーズンに放った三塁打の数は36本。そんなこともまだ覚えているものだ。
選外佳作(惜しくもリストから漏れた候補):『Jonathan Livingston Seagull』(邦訳『かもめのジョナサン』)に、『Zen and the Art of Motorcycle Maintenance』(邦訳『禅とオートバイ修理技術』)に、『The Joy of Sex』(邦訳『完全版 ジョイ・オブ・セックス』)。いずれも母親からプレゼントされたものだが、「個の自由」を重んじる1960年代~1970年代の時代精神(エートス) [1] 訳注;おそらくはヒッピー文化なんかを指しているものと思われる。の一角を私の頭に植え付ける役割を担ったように思う。スポーツ選手の回想録――例えば、(NFLの元選手である)ジェリー・クラマー(Jerry Kramer)の『Instant Replay: The Green Bay Diary of Jerry Kramer』とか――だったり、『Guadalcanal Diary』とかに代表される戦争体験記だったりもたくさん読んだが、そのおかげで色々と考えるネタも得られたものだ。例えば、一人ひとりの「個性」に、「仕事への向き合い方」、「チームワーム」、そして「成果」(勝利/敗北、成功/失敗)といった四つの要因の間にはどんなつながりがあるんだろうかとあれこれ考えるきっかけになったものだ。『The Making of Star Trek』(「スタートレックができるまで」)は、私も大好きだったテレビドラマシリーズ(「スタートレック」)に関する事細かな知識を頭に叩き込む手助けをしてくれただけではなく、地球内だけではなく地球の外にいる知的生命体も対象に含めたコスモポリタニズムの可能性について考えるよすがにもなったものだ。よくした遊びからも色んな影響を受けた。具体的には、チェス。あとは、紙とサイコロを使ってする戦争ゲーム(ボードゲーム)だ。中でも一番よくやったのは、「バルバロッサ」という名前(もしかしたら、もう少し違う名前だったかもしれない)の戦争ゲームだが、何とも怖ろしいゲームだったものだ。何しろ、ナチスが戦争に勝つという結末もあり得るゲームなのだから。歴史に備わる「偶発性」というものに思いを馳せるきっかけになったものだ。数あるシナリオの中で、暴力の行使を伴う対立が現実のものとなってしまうことも十分あり得るし、そうならないように画策するのは極めて重要なこと。戦争ゲームのおかげで、そのような認識が芽生えもしたものだ。
若年層向けのSF(サイエンス・フィクション)については、またいつか別立てで取り上げたいと思う。音楽関連の本もたくさん読んだ。ジャズのソロ演奏とか、コード進行とかについての本を多数。あと、アメリカで流行ったポップ・ミュージックについての本も。5歳~8歳くらいの頃は、地図だとか、世界(エッヘン!)に関する色んな事実が収録された本だとかをよく読んだものだ。あと、動物に関する色んな情報がテンコ盛りの本――そのうちの大半は、動物王国の住民たちをいくつかのグループに分類している本――もだ。
最後に付け加えておくと、上記のリストにあるどの本にしても、学校ではきっとめぐり合えないだろうと幼いながらに見抜いていたものだ。