タイラー・コーエン 「観念の虜となったプーチン」(2022年2月25日)

●Tyler Cowen, “Putin as a man of ideas”(Marginal Revolution, February 25, 2022)


ロシアによるウクライナへの武力侵攻をめぐって、ああでもないこうでもないと盛んに論じられている。色んな教訓が導き出されようとしているが、重要なポイントが見過ごされているようだ。ウクライナの分断も招きかねない今回のロシアの行動は、「観念の力」に突き動かされているのだ。

プーチンが2022年2月21日に行ったテレビ演説 [1]訳注;この演説については、本サイトで訳出されている次の記事でも詳しく取り上げられている。 ●ブランコ・ミラノヴィッチ 「三つの裏切り … Continue readingは、ロシアによるウクライナへの侵攻を正当化する試みとしても読める。ロシアによるウクライナへの侵攻を正当化するために、歴史上の出来事が次から次へと――古くは17世紀にまで遡って――引っ張り出されているのだ。

ウクライナは、国家としての正統性を備えていない。それが、プーチンの世界観の核となる信念の一つだ。「ウクライナは、国家としての正統性を備えていない」というのは具体的にはどういう意味なのか。「ウクライナは、国家としての正統性を備えていない」ということがどれほど重要な意味を持っているのか。そのあたりのことについて、プーチンは彼なりの明確な答えを持っている。プーチンは言う。「今のウクライナは、ロシアによって一から作り上げられたという事実からはじめるとしよう。いや、正確には、ボルシェヴィキによって、共産主義ロシアによって、一から作り上げられたのだ」。なお、プーチンが2021年7月に物した「ロシア人とウクライナ人の歴史的同一性について」(“On the Historical Unity of Russians and Ukrainians”)と題されたエッセイでは、遥か昔にまで遡って、ロシア人とウクライナ人の起源に絡めて中世のロシアについて論じられている。

さて、2022年2月21日のテレビ演説の話に戻るが、プーチンはテレビの前の聴衆を過去へと誘(いざな)う。レーニンについて。フルシチョフについて。1917年の十月革命について。ブレスト=リトフスク条約について。1922年にスタリーンが民族問題人民委員としてどんな提案を行ったかについて。その他にもあれやこれやについて語られる。ソ連邦の成立に漕ぎ着けたボルシェヴィキは民族主義者に譲歩する必要があり、そのおかげでウクライナはウクライナとしてのアイデンティティの一部を手にすることができたのだ、とも語られる。プーチンの言葉を引用しておこう。「ソビエト・ウクライナは、ボルシェヴィキの政策の産物であり、『レーニンのウクライナ』と呼んでも差し支えないのだ。レーニンこそが、ウクライナの生みの親であり、ウクライナの設計者なのだ。そのことは、公式の記録文書によってきっちりと裏付けることができる。レーニンが口を酸っぱくして、ドンバスをウクライナに組み入れよと後押ししたことも含めてだ」。

演説の終盤になってもプーチンの口からは歴史の話題が続く・・・かと思うと、ソ連から受け継いだ貴重な財産を無下(むげ)に扱っているだの、西側諸国がロシアに軍事的な圧力をかけるための道具に成り下がっているだのと、ウクライナに対する苦言が口をつく。

プーチンの頭には、歴史についての観念がわんさと詰まっている。その出所については議論が分かれることだろう。プーチンが自力で磨き上げたのか。ロシア国民の間で人気がある観念を取り入れたのか。それとも、海外から引っ張ってきたのか。おそらくは、どれもこれもが一緒くたになっているのだろう。そう言えば、かつてプーチンは、ロシアの一部の知識人の列に加わって、「ユーラシア主義」と呼ばれることもある観念の宣伝部長を務めたこともある。ロシアは、覇権を握るべきユーラシア文明の担い手なのだそうだ。

「今のウクライナは、国家としての正統性を備えていない」という認識から出発して、そこに歪んだ観念がベタベタと付け加わったら、やがては(版図の拡大を志向する)膨張主義へと行き着くことだろう。「本来はロシアのものだったのだ。それを取り戻そうとしているだけだ」、というように。プーチンの演説は、次のような言葉で結ばれている。「流血の惨事が今後も続くかどうかは、ウクライナの現政権の良心に全面的にかかっている」。

観念の虜(とりこ)になるというのは、あるいは、歴史の虜になるというのは、前任者たちの流れを汲(く)む昔ながらの伝統でもある。例えば、ソ連の独裁者で、プーチンの前任者の一人にあたるヨシフ・スターリンは、自分用の図書館を持っていた。蔵書の数は、19,500冊にも上(のぼ)ったという。ページの余白のあちこちにメモをしながら読んだともいうし、あちこちのページに指紋が残されているともいう。分野で言うと、政治(マルクス主義政治学)、経済学、歴史の方面が充実していたようだ。著者で言うと、蔵書の中で数が一番多かったのは、レーニンの本だったとのこと。次いで多かったのは、自分が書いた本、 ジノヴィエフの本、ブハーリンの本、マルクスの本、カーメネフの本、モロトフの本、トロツキーの本ということだったらしい。

つまり、プーチンは型破りなんかじゃないのだ。過去の話になるが、プーチンは、ソ連邦の解体を「大いなる悲劇」と称している。ソ連邦の解体を「大いなる悲劇」と見なすのも観念の一つだが、プーチンがそう見なしているということは、プーチンと前任者たちの間には断絶なんてないことを示しているのだ。

これから本を書こうと思っていて、好評を博すのであれ、悪評を得るのであれ、とにかくインパクトのある本にするにはどうしたらいいか悩んでいる人がいるようなら、毎晩のようにテレビの前に座っていれば(ウクライナ情勢から目を離さないでいれば)自(おの)ずと答えも見えてくることだろう。ロシアという国は、観念の虜になった指導者たちに率いられし「観念の国」だ。観念には観念を・・・ということで、世界中の国々――とりわけ、ヨーロッパの大半の国々――は、観念を磨く必要があるだろう。

(追記)ライアン・アヴェント(Ryan Avent)が「観念の力」について論じている。あわせて参照されたい。

References

References
1 訳注;この演説については、本サイトで訳出されている次の記事でも詳しく取り上げられている。 ●ブランコ・ミラノヴィッチ 「三つの裏切り ~プーチン大統領のテレビ演説を読み解く~」(2022年2月24日)
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