タイラー・コーエン 「20世紀のアメリカで最も急速な勢いで技術進歩が起きた10年は・・・」(2009年3月12日)

●Tyler Cowen, “The most technologically progressive decade of the 20th century”(Marginal Revolution, March 12, 2009)


いつだかわかるだろうか? 経済史家であるアレクサンダー・フィールド(Alexander Field)によると、それは(物議を醸すことだろうが)1930年代ということだ。以下に、論文の冒頭を引用するとしよう。

世間の人々や学者の想像の世界に占める大恐慌(Great Depression)の位置付けを考えると、大恐慌の過程で失われた生産、所得、支出について何度も何度も繰り返し強調して語られる(それも、もっともなことではある)ことを考えると、次のような仮説は驚きをもって迎えられることだろう。アメリカのこれまでの歴史の上で、マクロ経済レベルで最も急速な技術進歩が見られた10年は、1929年~1941年。この仮説には、2通りの別様な主張が伴う。1929年から1941年までの間に、幅広い業界で、一般の企業だけでなく、政府から仕事を受注する請負業者も、新しい技術や新しい生産手法の開発・採用に乗り出し、その結果として、1929年から1941年までの間の(景気循環の山(peak)時点同士の全要素生産性を比較して算出された)全要素生産性の成長率は、20世紀中で最も高い数値を記録した、というのが一つ目の主張。1929年から1941年までの間に開発が進んだ生産技術は、これまでにない新しいタイプか、あるいは、試されて日が浅いタイプであり、1950年代と1960年代における労働生産性および全要素生産性の改善(上昇)の多くを下支えする役割を果たした、というのが二つ目の主張。

具体的には、次のような分野で技術進歩が見られたという。

ものづくりの分野では、幅広い領域にわたって技術面で進歩が見られた(Michael Bernstein, 1987;特に、第4章を参照)。 もっとも、織物、革製品、衣服などの古い産業の中には、生産性の伸びが緩やかであったり、生産性が全く改善しなかったケースが見られたのも確かである。しかしながら、第2次世界大戦が勃発するまでの間に、商用化の程度には違いはあれど、プロセスイノベーションやプロダクトイノベーションが活発に進んだダイナミックな部門が相当な数存在したこともまた確かである。石油化学産業がいい例だ。例えば、デュポン社(Dupont)は、ケミカルエンジニアリング(化学工学)の分野での進歩を追い風にして、ルーサイト(ライバル企業は、同じ製品をプレキシガラスの名で販売した)やテフロン、ナイロンといった新製品の開発に成功したのであった(Peter H. Spitz, 1988; Stephen Fenichel, 1996)。また、自動車業界のような古い産業でも、イノベーションや品質改善が急速なペースで進んだ。Raff&Trajtenberg(1997)は、この10年(1929年~1941年)を、内燃機関を搭載した乗り物の分野で革命的と言える改善が生じた最後の10年、と規定しているほどである。技術の進歩は、ものづくりの分野に限られていたわけではない。通信サービスや電力事業、輸送部門といった分野でも、目立った進歩が見られた。例えば、電話産業の全要素生産性の成長率は、1929年以降に大きく加速し、戦争に突入すると急激に低下した。電力事業の全要素生産性は、1929年~1941年の間に、1919年~1929年の期間と比べて、倍以上のペースで成長し、電話産業のケースとは異なり、1941年以降も急速なペースで改善を続けたのであった。

同じ期間に、鉄道部門――資本ストックの規模でいうと、鉄道部門の資本ストックは、当時の段階では、アメリカ経済全体の(資本ストックの)4分の1程度の割合を占めるに過ぎなかった――の労働生産性も改善したとのことだ。また、鉄筋コンクリートが使われるようになったことも、生産性を大きく引き上げる一因になったらしい。

フィールドの論文はそれはもう有名なものだが、論文のリンク先を知ったきっかけは(大恐慌からの脱却について論じられている)こちらの興味深いブログエントリーだったことを最後に申し添えておこう。

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