アレックス・タバロック 「私はなぜ怒るのか?」(2012年7月24日)

世の不正をしかと嗅ぎ取ることができるのは、「怒れる人」だけということが時にある。あれやこれやの私事を蔑(ないがし)ろにしてでも、世の紐帯に生じた綻(ほころ)びにじっと目を注ぐのを厭(いと)わないのは、「怒れる人」だけだからだ。
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アグネス・カラード(Agnes Callard)が次のように語っている [1]訳注;カラードの「怒り」論については、以下の本も参照されたい。 ●アグネス・カラード 他(著)/小川 仁志(監修)・森山 … Continue reading

・・・(略)・・・世の不正をしかと嗅ぎ取ることができるのは、「怒れる人」だけということが時にある。あれやこれやの私事を蔑(ないがし)ろにしてでも、世の紐帯に生じた綻(ほころ)びにじっと目を注ぐのを厭(いと)わないのは――まるで神のような視点に立つことができるのは――、「怒れる人」だけだからだ。

私が本気で怒るとなったら、気持ちを鎮(しず)められるかどうか自分でもわからない――心の目には、瞼(まぶた)なんてないのだ――。本気で怒っている時に、誰かに落ち着きなさいと宥(なだ)められたら、「真実」――ソクラテスにとってだけでなく、私にとっても大切な宝物――を私から奪い去ろうとしているんじゃないかと感じてしまう。本気で怒っている私を見て、「君は理性(reason)を失っている」と周りは言う。私が怒るのには理由(reasons)がいくつもあるのに、周りにはそれがわからないようなのだ。


〔原文:“Why I Am Angry”(Marginal Revolution, July 24, 2021)〕

References

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1 訳注;カラードの「怒り」論については、以下の本も参照されたい。 ●アグネス・カラード 他(著)/小川 仁志(監修)・森山 文那生(訳)『怒りの哲学:正しい「怒り」は存在するか』(ニュートンプレス、2021年)
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