ダイアン・コイル 「共感力を磨くには」(2019年9月26日)

●Diane Coyle, “Empathetic economics”(The Enlightened Economist, September 26, 2019)


大学(ケンブリッジ大学)の同僚で英文学部に籍を置くサラ・ディロン(Sarah Dillon)から、一冊の本を薦められた。1995年に刊行されたマーサ・ヌスバウム(Martha Nussbaum)の『Poetic Justice:The Literary Imagination and Public Life』(『詩的正義:文学的な想像力と公共性』)がそれだ。ロンドン王立協会が手掛けるAIナラティブ・プロジェクトだとか、ロバート・シラーの『Narrative Economics』(邦訳『ナラティブ経済学』)だとかがいい例だが、物語(ナラティブ)に対する注目が俄(にわ)かに高まっている。その経緯についてディロンと一緒に話していた最中に紹介してもらったのが、 ヌスバウムの件(くだん)の本なわけだが、楽しく読ませてもらった。本書では、アダム・スミスが『The Theory of Moral Sentiments』(邦訳『道徳感情論』)の中で説いたのと同じ主張が展開されている。すなわち、「公平な観察者」(impartial spectator)と同じ立場に立ってものを考えられるようになるためには、「共感力」を磨くことが欠かせないというのだ。その流れで、小説や詩といったフィクションを読むことの重要性が説かれている。経済合理性一辺倒の考えが抱える欠陥を抉(えぐ)り出している例としてディケンズの『Hard Times』(邦訳『ハード・タイムズ』)が、自分とは別の人間(他者)の立場に立って考えられるだけの想像力を身に付ける重要性を示している例としてリチャード・ライトの『Native Son』(邦訳『アメリカの息子』)やウォルト・ホイットマンの『Song of Myself』(邦訳「おれ自身の歌」in『おれにはアメリカの歌声が聴こえる――草の葉(抄)』)が引き合いに出されている。

社会正義について理性的に考えるためにも、公的な場での健全な対話を促すためにも、想像力を磨くことが重要というのがヌスバウムの言い分だ。曰く、「文学的な想像力(文学作品に触れ合うことで培われる想像力)は、自分とは境遇が大きく隔たっている他者の利益に関心を持つよう迫る倫理的な立場にとって欠かせない役割を果たすように思える。私が文学的な想像力を擁護するのは、そのためなのだ」。ちなみに、本書でもヌスバウムの従来の姿勢が貫かれており、経済学者が社会厚生を評価する時に依拠しがちな功利主義に異が唱えられる一方で、潜在能力アプローチが推されている。

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