たしかに問題はたくさん起きてるけれど,それらが相互に増幅し合ってるわけじゃないよ
“Hypodermics on the shore/ China’s under martial law/ Rock & roller cola wars/ I can’t take it anymore” — Billy Joel
波打ち際にちらばる使用済み注射器/中国は戒厳令下/ロックンローラーはコーラ戦争中/もううんざりだ――ビリー・ジョエル
このところ経済論界隈で耳にする機会が増えてきてる単語がある.それは,「複合危機」(ポリクライシス)だ.この用語をつくったのは数十年も昔のフランス人だけど,最近になってアダム・トゥーズがこれを広めてる.コロンビア大学の歴史家で人気ブロガーでもあるトゥーズは,ぼくのお気に入り歴史書をあれこれ書いてる著者でもある.たとえば,『大洪水』(Deluge; 第一次世界大戦),『ナチス 破壊の経済』(第二次世界大戦) ,『暴落』(Crashed) といった本がそうだ.いま3つ目に挙げた『暴落』は,2010年代前半のユーロ危機について書かれた本として,ぼくが読んだかぎりで最良の歴史書だ(今後読みそうな本を入れてもきっといちばんいい本).それに,いろんな国々の問題がどんな風に相互に増幅し合ったのかを解説するという立派な仕事もやってのけている.
だから,2020年代の世界を見て,「これはいっそう危機どうしの相互連関が強まったシステムだ」とトゥーズが考えるのも,意外じゃない.最近のブログ記事で,トゥーズは Cascade Institute の報告書から「複合危機」の定義を引用してる:
ここでは,世界的な複合危機をこう定義する.すなわち,地球の自然システムや社会システムにカスケード式に歯止めのない障害を引き起こし,それによって不可逆的かつ破局的に人類の繁栄が損なわれうる系統的リスクが3つ以上組み合わさって相互作用するとき,これを複合危機と呼ぶ(…).世界的な複合危機が起こった場合,系統的リスクの中核をなす4つの特性がその危機には継承される――すなわち,極度の複雑さ,高い非線形性,境界をまたいだ因果関係,深い不確実性の4特性が,複合危機にはそなわる.他方で,リスクどうしで因果関係の同期も生じる.
これってようするに,こういう話だよね.つまり,みんながニュースで見聞きしてるろくでもないことが――インフレや気候変動やアメリカの政治不安や中国の経済不安が一度に起こるとか,そういうことが――いっせいに起こって,それぞれの危機がお互いに増幅し合って,全般的なシステムの機能不全を起こすって言ってるように思える.以前の記事で,トゥーズはこんな具合にいろんな危機とリスクが相互連関したシステムの図を描いてみたことがある:
ぼくも,この手の壮大なお話は好きだよ.(そうじゃなかったら,ぼくはいくぶん偽善的ってことになる.なにしろ,「世界システムの終わり」とか題して記事を書いたりしてるからね.) でも,トゥーズをはじめとして「複合危機」を熱心に論じてる人たちが思ってるほど,いまの世界が直面してる課題やリスクが相互増幅しているかっていうと,ぼくにはよくわからない.
複合危機の錯覚
たとえば,「いま自分が生きてる時代には,他のどんな時代ともちがって,いろんなリスクや災厄や問題が満載だ」って思うのは,いつだってとてもかんたんだ.その理由は,思い出しやすさヒューリスティックってやつにある〔availability bias; 「可用性バイアス」と訳されることが多い〕――つまり,自分が見聞きしたことは世界全体にも当てはまると考えがちなバイアスのせいで,いまの時代には問題ばかりだと思いやすくなってる.ニュースメディアでもソーシャルメディアでも,耳目を集めたくてしょうがない人たちはいて,彼らはずっと前から,「ニュースによい知らせなし」ってことに気づいていた――つまり,悪いニュースこそ,みんなの注目をかっさらうのに長けているんだと,彼らは承知してる.だから,いま現在の〔ニュースなどで伝えられている〕出来事に首ったけになればなるほど,世界の情勢は警戒を要するものごとばかりに思えてくる――記事の冒頭に引用した “We Didn’t Start the Fire” の一節が語ってるのは,そういうことだ.
だからって,別に,いまの世界に危機やリスクがないって言いたいわけじゃない.たしかに,危機もリスクもある.それに,いまの時代の方が他の時代よりも危機やリスクが少ないっていいたいわけでもない.この点は,すごく判断しにくい.ただ,こういう危機がすべて連関してるって考えは,ありもしないモノが見えちゃってる錯覚(アポフェニア)かもしれない――実際には存在しないつながりを知覚してしまいがちな人間の自然な傾向の産物かもしれない.
ニュースで伝えられた事柄どうしにあっちからこっち,こっちからあっちへと矢印を描けるからといって,そういう事柄が強くつながっているとはかぎらない.たとえば,トゥーズの図では,「中国」から「ロシア産天然ガスボイコット」に矢印が引かれてる.でも,中国はあのボイコットに参加していない.トゥーズは「バイデン政権と共和党のリスク」から「レンドリース法案」に矢印をひいてるけれど,〔ウクライナ支援で防衛装備を供与する〕レンドリースの動機が合衆国内の政治事情にあったと考えるべき理由はない.
実際にはあれこれの危機どうしが強く結びついてはいないとき,そうした危機のふるまいは,分散型の金融ポートフォリオにふくまれるお互いの相関が低いあれこれの資産に似ているところがある――あっちの問題が悪化しつつあるときには,それと別のどれかの問題は改善しつつある場合が多い.
でも,これだけじゃなく,「複合危機」論を疑うもっと重要な理由があると思う:それが,緩衝機構だ.世界経済と政治体制には,いろんなショックを押し返すいろんな機構がたくさんある.需要と供給は,そのすばらしい一例だ――供給が減ったら,需要が弾力的に変化して,価格への短期的な影響が和らげられる(これは,物理学のレンズの法則に少し似てる).政治的な反動(バックラッシュ)も,そういう仕組みの一例だ――「今回の選挙結果は無効だ」と言ったり,隣国に侵略したりといった行動があると,それに憤慨する人たちが出てきて,これを押し戻す.政策対応も,緩衝機構だ――インフレが進んでいると中央銀行が見ると,金利を引き上げてこれを鎮めようとする.こんな具合に,いろんな緩衝機構があちこちにある.
緩衝機構があると複合危機が起こりにくくなるのはどうしてかっていうと,緩衝機構は,それが押し戻すべく設計された対象を押し戻すだけでなく,他の問題も押し戻すことがよくあるからだ.歴史には,その事例がたっぷりある.ニューディールは,たんに大恐慌を抑えただけじゃなく,長らく必要とされていた社会保険制度をついに実装する役目を果たした.そうやってできた制度は,今日までずっとぼくらの役に立っている.第二次世界大戦で枢軸国に勝利したことで,植民地支配を終わらせる動きや,世界経済システムの創出が促進された.そうやってうまれた世界経済システムによって,その後の世界の大半は繁栄できた.もっと近年の例を挙げると,2008年の金融危機から,必要なインフラ支出・オバマケア・産業政策の知的な復活につながった.
つまり,〔なにか危機が起こると〕複合危機が起こる代わりに,複合解決がなされることもときにあるわけだ.
今日,ニュースを見聞きする人たちが心配してるいろんな危機をきっかけにして,他の危機・問題に対応する助けになる反応が生まれる事例はたくさん見つかる.
2020年代の世界の政治経済における緩衝機構
すでに挙げたように,緩衝機構のごく単純な例に,需要と供給がある.去年,中国経済は不動産バブル崩壊とゼロコロナ政策といろんな規制取り締まりとが組み合わさって,経済が劇的に減速してしまった.通常なら,世界最大の貿易国で景気後退が起きたら,世界全体に警報が鳴る.ところが,この中国の景気後退は,警戒よりも安堵の原因になりそうだ.中国の需要が瓦解したことも一因になって原油価格が抑えられて,2010年代前半とだいたい同じくらいになっている:
そして今度は,それによって,ウクライナ戦争とロシアの対ヨーロッパ制裁がヨーロッパに(それにアメリカ経済や日本経済に)およぼす影響が軽減されている.
中国経済の減速とロシアの軍事的失態も,少なくとも中期的には,米中紛争の確率を下げたように思える.自分より小さな国をロシアが征服できなかったのを見て,台湾征服の軍事的冒険について習近平は考え直すことになったにちがいない.その一方で,政策担当者の注意は経済の苦境に向けられている.
まだ判断するには早すぎるとはいえ,安定性と超党派連携の勝利と選挙結果否定派の敗北を示したアメリカ中間選挙の結果も,ささやかなかたちながら,ウクライナ戦争や中国との地政学的な競争の脅威によって後押しされたものかもしれない.ウクライナや中国の件で,〔党派がちがう〕他のアメリカ人よりも危険な敵が世界にはいることをアメリカ人たちは思い出したはずだ.
一方で,ウクライナ戦争は,気候変動との取り組みに拍車をかけるだろう.ロシアからのエネルギー供給の混乱,とくにヨーロッパでのそれによって,再生可能エネルギーの急速な採用を勧めるインセンティブが生じている.これは5月の新聞記事からの引用:
2030年までにEU のエネルギーのうち再生可能発電によるものの割合を 45% にするべきだと欧州委員会は提案した.この数字は,1年足らず前に提案された現行の 40% 目標からさらに進めたものとなっている.また,当局は,2030年までにエネルギー消費を 13% 削減したい意向だ.(…) 「今回の戦争以前に予見されていたのよりもずっと急速にこの依存を終わらせる必要があるのは明らかです」と EU のグリーンディール担当である Frans Timmermans が発言した.
ほんの数日前に,再生可能エネルギーの採用を加速するために,欧州委員会は一時的な緊急規制を実施した.(全体的に,今回の戦争をきっかけに,エネルギーに関してささやかながら急に人々が正気になっている.少なくとも当面は,ドイツは原発計画を保留して原発の稼働を継続している.)
再生可能エネルギーの採用が急速にすすむと,その価格が押し下げられていく.これは,学習曲線という仕組みによる価格低下だ――つまり,再生可能発電の設備をつくればつくるほどコストは下がっていき,さらに建設するインセンティブが強まる.ヨーロッパをはじめ,ウクライナ戦争への対応で対ロ制裁を実施している国々で,再生可能エネルギーの採用が増えると,中国やインドなど,対ロ制裁に参加していない国々でも再生可能エネルギーの魅力が高まる.
こうしたことすべてが,気候変動への対策の助けになる.それに,豊かな国々で長らく続いてる問題に対処する助けにもなる:それは,低成長だ.コストの大幅低下のおかげで,再生可能エネルギーはたんに環境にやさしいだけのエネルギーではなくなってきている――いまや,再生可能エネルギーは安上がりなエネルギーでもある.学習曲線を研究している人々の予測では,太陽光発電・バッテリー・水素エネルギーといったテクノロジーは,化石燃料テクノロジーに比べても,さらには原子力と比べてすら,学習効果が生じやすいと考えられている.それはつまり,再生可能エネルギーによって,人類史にかつてなかったほど安価なエネルギーがもたらされるということだ.そうなったら,今度は,70年代の石油ショック以降,大半の時期に続いていた生産性と賃金のおぞましい停滞から先進国が抜け出る助けになるだろう.安価なエネルギーは,人間の労働を非常に大きく補完してくれる――安価なエネルギーを味方につけたとき,ぼくらは世界の多くを再構築できる.
ここまでの話は,「こちらの問題があちらの問題を増幅してしまう」という事例がひとつもないと言おうとしてるわけじゃない.たとえば,金利が上昇すれば,先進国の一部で資本逃避が確実に起こるし,通貨安も起こる.そうなれば,その国にとって食料やエネルギーを買う難易度が上がる.ただ,この30年間で築き上げられてきた世界の自由市場システムは,多くの人たちが予想していたのよりも障害からの復元力が強いらしい.途上国の大半は,それなりにうまくやってる.
ダーク・ブランドン vs. 複合危機
ようするに,世の中を見渡してみても,複合危機は見当たらない.むしろ,複合解決が台頭してきているのが目につく.気候変動や権威主義体制の報復主義といった脅威はだんだん大きくなってきている上に,コロナウイルスやインフレのショックが加わって,政策担当者たちも企業も,対応に動いている.そうした対応は,どれか一つの危機だけではなく,複数の危機に対処する結果になるだろう.唐突に世界の様相が改善してきているように感じているのは,ぼくだけじゃない:
暗号通貨市場がまるごと崩壊し,ロシアはヘルソンから撤退し,バイデンは上院と下院の両方を掌握するかもしれない――「世界線A」に戻ってきたみたいじゃん.
ここで,大胆不敵にも,あえて言わせてもらいたい――これは,偶然じゃない.さっき述べた緩衝機構は政治的な性質のもので,どの緩衝機構にも次の基本的な特徴が共通している.それは,「危機に際して人間たちが集まって集合的な問題に対処する」っていう特徴だ.平時なら,人間はああでもないこうでもないと意見を一致させず,めいめいの目的をバラバラに追究し,ひとつのパイをめぐって争う.外的なショックが生じるとシステム全体が支障をきたすことがあるけれど,同時に,そのショックを弾みにして,みんなが真剣になって協力をはじめることもある.
だからって,ウケのいいミームみたいに,「苦難が男を強くする」なんて言いたいわけじゃない.ここで言わんとしてるのは,ぼくらはいつだって「強い男」(それに強い女性や強いノンバイナリの人たちなどなど)だったんだけど,ただ,本腰を入れて社会問題の解決にまじめに取り組む理由がなかっただけだ.ファンタジー物語では,大魔王と戦わなきゃってときになぜかちょうどよく伝説の英雄が登場すると相場が決まってるよね.あれは,幸運のおかげじゃなくって,選択バイアスのたまものだ.平時で大魔王なんかいもしないときに伝説の英雄が現れたって,そいつはグランジバンドで演奏したりモバイルアプリを開発したりなんかするだけだ.
Twitter では,集合問題に抗して戦おうっていう人類の試みを指して,「ダーク・ブランドン」とネタで呼んでる.でも,我が国の高齢の大統領が舞台裏で世界を操って気候変動やら権威主義体制やらと戦おうと仕組んでるなんて,本気で思ってるわけじゃない.ダーク・ブランドンのネタは,複合解決の比喩だ――なにかに抗して戦うぼくらの集団としての営みに注がれてる努力全体を表す,比喩なんだよ.世界は,過剰にややこしく設計されてしまった機械で,ショックが起こるとひっくり返ってしまうような脆弱なしろものではない.世界は,ぼくらがたえず再構築に取り組んでるモノなんだ.そして,ときには,いつもよりいっそう気合いを入れて取り組まなきゃいけないこともある.