いつ・どんなときに専門家が嘘をつくか,経済学者が一例を示そう.
[▲ 「真理なんておまえらの手に負えない! 真理が似つかわしくないんだよおまえらには! 真理を扱うおまえらの能力なんてお笑い草だ!]
先日,専門家が市民に嘘をつくことについて,Yascha Mounk がツイートしてるのを見かけた:
From the initial hesitance to admit that masks work to the current hesitance to admit that the first dose of the vaccine gives you very strong protection against Covid, the whole pandemic has been a year-long demonstration of why the Noble Lie never works in practice.
— Yascha Mounk (@Yascha_Mounk) March 23, 2021
https://platform.twitter.com/widgets.js
〔パンデミックの〕初期にマスクが〔感染拡大防止に〕役立つのをなかなか認めたがらなかった件から,1回のワクチン接種でもコロナウイルスに対するとても強力な保護になるのをいまなかなか認めたがらずにいる件まで,この一年のパンデミックは,《高貴なウソ》が実際にはうまくいかないのを証明したね.
さて,これは乱暴な非難に思えるかもしれない.専門家たちは本当にウソをついたんだろうか,それとも,これは誇張なんだろうか――最初から専門家に疑惑を向けがちな人たちによるモラル・パニックなんだろうか?
実のところ,専門家たちはほんとにウソをついていた:
アメリカの指導的な感染症専門家でありホワイトハウスのコロナウイルス・タスクフォースの主要メンバーでもあるアンソニー・ファウチによれば,当初マスク着用が一般市民に推奨されなかったのは,〔マスクをはじめとする〕個人保護具の不足が予測されたためだったという.
COVID-19 感染防止にフェイスマスクがどれほど効果的か,そして,当初はマスクが推奨されなかった理由を,ファウチは論じている.第一線で対応に当たっている人々が個人保護具不足の重圧を感じなくてすむように,当初マスクは一般市民に推奨されなかったのだとファウチは(…)認めた.
公衆衛生の専門家たちは「N95マスク・医療用マスクをはじめとする個人保護具の供給が非常に不足する事態を懸念していた」のだとファウチは説明した.
4月はじめまでに,[マスクの]戦略的全国備蓄 (Strategic National Stockpile) は底をついていた(…)
続けてファウチはこう語った――第一線で働く人々と緊急対応要員たちにできるだけ多くのマスクを彼らは届けたかったのです.
「この人たち,つまり,医療従事者のみなさんが感染する危険に脅かされないようにしたかったのです.コロナウイルスの感染したみなさんの大事な人たちの医療に,危険を承知で勇気をふるって従事している人たちが感染しないようにしたかったのです.」
言い換えると,ファウチによれば,布マスクですら COVID-19 の感染拡大を防ぐ助けになることを公衆衛生の専門家たちは知っていたけれど,布マスクでも役に立つと自分たちが認めたら,世間の人々が「だったら N95 マスクはもっと有効ってことじゃん」と結論して(じっさい有効だけど)N95 マスクの買いだめに走ってしまい,そのせいでマスクの供給をもっと必要としていた医療従事者たちに回らなくなってしまうのを,専門家たちは恐れていたわけだ.
また,このウソは,ごく一部の不心得者の専門家たちが衝動的にやってしまったのでもない.これは,最高水準の人たちから系統的にもたらされたウソだった:CDC も WHO も,世間の人々にマスク着用をしないようにうながしていた.
これってつまり,集団としての専門家たちは信頼できないウソつきだってことだろうか? それはちがう.そうじゃなくて,専門家たちがいつでも市民に正直に話すとはかぎらないのを知ったうえで,専門家たちがときに正直に言わない理由を理解しておくのが大事だ.さて,ここで経済学が歴史上の有用な事例を提示できると思う.
長年にわたって,経済学者たちは自由貿易を熱烈に支持していた.各種の調査では,経済学に携わるほぼ誰もが,自由貿易の考えを支持していたのが示されている.
[▲「問いA: 貿易を自由にするほど,生産効率が高まり,消費者たちが手にする選択肢はよくなり,長期的にそうした利得は雇用への影響を大きく上回る.」――左のグラフは単純に集計した回答で,「強く同意」「同意」が多い.右のグラフは回答した専門家たちの自信で重みをつけたもので,「強く同意」がさらに伸びている.]
それどころか,経済学者たちは,自由貿易こそ自分たちがそろって賛同できる数少ない――ことによると唯一の――考えだと言って,これを喧伝した.グレッグ・マンキューが2015年に『ニューヨークタイムズ』に書いた文章から引用しよう:
経済学者の界隈では,自由貿易の問題は頭を悩ませることのない楽勝問題だ.(…)経済学者たちは,たがいに異論で侃々諤々なことで有名だ(…).だが,一部の問題ではその経済学者たちもほぼ全員一致に近い合意にいたる.そのひとつが,国際貿易だ.
自由貿易を支持する経済的な論証は,18世紀のアダム・スミスにさかのぼる.スミスは『国富論』の著者で,近大経済学の祖父だ.他国との貿易を支持する論拠は,同じ社会で他人と売買するのを指示する論拠となんら変わらないとスミスは認識していた.
政治家や評論家は,「国内雇用が破壊される」といって輸入を毛嫌いする一方で,「雇用が生まれる」といって輸出をほめたたえる.
これに対して,経済学者はこう返す――「貿易パターンがどうなっていようと,完全雇用は可能ですよ.」 主な問題は,雇用の数ではなくて,「どの雇用か」だ.他国に比較優位がある産業でアメリカ人は働くべきだし,海外の方がもっと安価に生産できる財なら,その国から輸入すべきだ.
この点に同意しても,なんらウソ偽りはなかった.「自由貿易はいいことだ」と経済学者たちは本心から思っていた(おそらく,いまも大半がそう思ってる).どこにウソ偽りがあったかと言えば――しかもそう自覚しつつ偽っていたかと言えば――自由貿易がよいことだという理由に提示されていた論拠だ.
マンキューは自分の文章でこう主張してる――各国がお互いにすきなように貿易するにまかせるのは,個々人がお互いにすきなように取り引きするにまかせるのと,なんにも変わらない.でも,明らかにその2つは同じじゃない.国は多数の個々人が集まってできてる.そして,貿易によって国内の一部に打撃を受ける人たちがでてくる場合があるのは,古典的経済学者たちですら認識していた.たとえば,アメリカが中国との貿易をはじめたとき,中国と直接に競合する職業の労働者たちは大損をした.
この命題は,経済学でべつに異論を呼んではいない.これは,貿易の単純きわまるモデルからすごくはっきりと導き出される.経済学者をつかまえてどう思うか聞いたら,きっとあっさり認めてこう言うはずだ――「うん,貿易を自由化すると『勝者』と『敗者』がうまれるよ.」 そう言ってから,たいてい,こんな風に言葉を続ける――「自由貿易で生じる便益で,勝者が敗者を補償するのに十分足りるよ.」 たとえば,Fatih Guvenen が書いた授業用の註記からひとつ抜粋してみると:
実際には,貿易でひとりひとりが受ける影響はさまざまだ(…).ようするに,負け組も出てくる.だが,理論では,負け組よりも勝ち組が得る分の方がずっと多い(…).原則としては,そうした勝ち組の取り分から一部を取り上げて負け組に渡すのがのぞましいかもsれない.だが,実際にはそうかんたんにできることではない.(…)勝ち組が負け組の補填をしてもなおお釣りがくるはずではある.だが,実際にはそうしたことはめったに起こらない.起こらないどころではなく,さまざまな理由で,人々はいつも雇用を失う.そして,大半の場合に,貿易が大きな要因になる見込みは小さい.
ひとつ留意しておこう.貿易で損をする人たちに補償・補填をするのは政治的に難しいか,ことによると不可能だろうと Guvenen は考えてる(ちなみに Guvenen はぼくが知ってる経済学者のなかでもすぐれた人で,すごく尊敬してる).そして,実際に難しいのは証明されてる.David Autor, David Dorn & Gordon Hanson の共著による有名な 2016 年の論文では,中国が2001年に世界貿易機関 (WTO) に加わって以降に,中国との競争で仕事を失った労働者たちは,そのショックで永続的な打撃を受ける傾向にあるのが見出されている.対中貿易で利益を得た人たちからお金を召し上げて,貿易で痛手を打った人たちに回す政府による移転プログラムはひとつもない.総じて,その手のやつは経済学の教科書のなかにしか存在しない.
さて,貿易で雇用を失う懸念を一蹴しつつ,Guvenen はこう予測している――貿易による雇用喪失は,他の各種の理由で生じる雇用喪失に比べて小さいだろう.この予測には,なんらかの古典理論に基づいてはいない――推量だ.そして,Autor et al. の論文では,対中貿易の事例でそんな予測が当てはまっていないことが示されている.対中貿易で雇用を失った人は数多い.一方,マンキューの論説では――それに他の同類のいろんな論説でも――貿易によって一部の人たちの状態が永続的に悪化すると正面から正直に語っていない.この大事な点を,経済学者なら誰でも知っているし,誰に投票してどんな政策を支持するか決める前に知っておきたいと多くの読者たちも思ってるかもしれない.それなのにここを除外するのは,一種の欺瞞だ.
自由貿易を擁護するときに経済学者たちがやる欺瞞は,こういうかたちにかぎられない.一部には一国まるごとが自由貿易で痛手を受ける場合があるのも,数十年前から経済学者たちは知っていた.多国間貿易協定では――たとえば WTOがその一例だけど――新しい加盟国を迎え入れると,その新参国と直接に競合する既存の国々はいまより貧しくなることがある.これは「貿易転換」というやつで,比較優位の単純な古典的経済理論から直接に導き出される.自由貿易を正当化するのに経済学者たちが典型的に使ってる理論から出てくるわけだよ.
つまり,中国みたいな国を WTO に入れることで,アメリカ全体が――アメリカ国内の一部の労働者たちだけじゃなくて一国まるごとが――痛手を受けるかもしれないんだ.もしかすると,経済学者たちがこの可能性に言及しなかったのは,「そんなことはありそうにない」と思ったからなのかもしれない.あるいは,経済学者たちはこう判断したのかもしれない:「世界全体がよりよくなることの方が――つまり,中国の数億人もの人々が貧困から抜け出すことの方が――自国の幸福が悪化するのではないかというアメリカ人たちの懸念よりも重要だ.」 でも,そういうのは経済学者たち個々人の見解であり道徳的な意見だ.多国間貿易協定によって現状よりも悪くなるかもしれませんよとアメリカ人に伝えないでおくことで,経済学者たちは人を欺いていた.
それどころか,経済学界隈では,長らくこんなことが公然の秘密になっている.貿易支持の安直な主張では,もっと複雑な現実が意図的に隠されているんだ.2016年の著書『経済学が支配する:陰鬱な科学の是非』で,ダニ・ロドリックはこう書いている:
経済学者たちが世間に向けて書いている話は(…)演習室で仲間と交わしている議論と根本からちがって見えることがときにあり(…)世間に向けては,(…)かたく結束して自由貿易を支持する傾向がある(…).[たとえば]経済学界でとくに声高く自由貿易を擁護しているジャグディシュ・バグワティが学術面で上げた名声は,自由貿易によって一国の状態がいかに悪化しうるかを一連のモデルで示したことにある.
どうして経済学者たちはこういうことをしたんだろう? 「勝ち組と負け組」の話や貿易転換の話を省いたり,自由貿易で大幅に悪化しうる道筋を示す現代のいろんなモデルの話をしないでおいたりした,その理由はなんだろう? 答えは,ほかでもなくマンキューのコラムにある.世間の人たちには真実が手に負えないだろうと経済学者たちは思っていたんだ:
国際貿易の場合,とりわけ顕著な[大衆の]バイアスが(…)3つある.(…)1つ目は,反・外国バイアスだ.「自分の国は他国と競争している」と人々は考えがちだ.そして,外国との取り引きで得られる便益を過小に推定してしまう傾向がある.(…)2つ目は,反市場バイアスだ.市場の仕組みがもたらす便益を人々は過少に推定する傾向がある(…).そして3つ目は,ムダ仕事バイアスだ.人々は,労働を節約することで得られる便益を過少に推定しやすい.
つまり,「複雑な真理を世間の人たちに伝えると,愚民どものあいだに深く根を下ろしている各種の不合理を目覚めさせてしまう」と経済学者たちは信じていた.自由貿易について経済学がほんとに語っていることを披露するかわりに――「自由貿易がもたらす機会はものすごく大きいけれど本物の危険や短所もある」って伝えるかわりに――保護主義にかたむきがちな社会の生来の傾向でに抗して,単純化した寓話を押し立てることにしたわけだ.アメリカには真実は手に負えないと,彼らは判断したんだ.
経済学者たちのために公正を期して言うと……彼らは間違っていたんだろうか? 政策を担うエリートたちどうしの自由貿易に関する共通見解がついに崩壊しても,細やかな事情をくんだ考え方をするというかたちにはならなかった.登場したのは,ドナルド・トランプだ.経済学者たちがこれほど恐れていたバカで危ないことをなにもかもやってのけた――外国人が悪いとどぎつく言ったり,同盟国と争いはじめたり,関税をかけたあげくにアメリカの消費者たちに痛手を負わせてしまったり,「アメリカに雇用をとりもどす」「アメリカの製造業を救う」と言いつつそれに失敗したりした.まさしく,マンキューが恐れていたとおりのことをやったわけだ.
でも,だからと言って〔経済学者たちの〕欺瞞が正当化されるとはかぎらないかもしれない.最初から貿易政策の細やかな事情や複雑なところを経済学者たちがあけすけに語っていたら,賢い政策担当者たちはリスクと損害を最小限にとどめる賢い方法をあれこれ考案して先手を打てたかもしれない.でも,そうはならず,自由貿易とのお別れは,好戦的な外国人嫌いのアホなポピュリストの登場というかたちでやってきた.なぜなら,経済学者が「これが正しいですよ」と請け合ったことでアメリカのエリートたちのあいだに醸成された自由貿易支持の安逸な共通見解を敗れる人物は,このポピュリストしかいなかったからだ.もしかしたら,こんなことにならなくてもよかったのかもしれない.
この点で,専門家が国民に嘘をあまり言いにくくなった方がいいんじゃないかって理由に話がつながる:そうした専門家たちは,「どんな場合にウソをつくべきか」の専門家ではないんだよ.
生物学に詳しかったり公衆衛生の知見があるからといって,それだけでは,「マスクは感染防止に役立つ」と認めるとみんなが買い占めに走るかどうか判断できるようにならない.そして,経済学をよく知っているからといって,それだけでは,政界の事情や世論形成を理解できるようにはならない.世間の人たちが真実をうまく扱えるかどうかを専門家たちが推測するとき,彼らは専門家としてふるまっていない.その局面では,彼らもアマチュアとしてふるまっている.彼らも,下準備なしにぶっつけ本番で推測している.
人生では,下準備なしにぶっつけ本番で挑むしかないこともたまにある.でも,ぶっつけ本番で挑むのが自信過剰の徴候になってる場合もある.世間の人たちの手に負える真実がどういうもので手に負えないのはどういうものか,自分たちに判断できると考えてる専門家たちは,多くのお利口な人たちがやるのと同じ過ちをおかしているのかもしれない――ある事柄について自分は賢いからといって,ありとあらゆることについても賢いんだと考えてしまう過ちだ.
個人的な考えを言うと,専門家たちが世間とコミュニケーションするときには,なにか間違うにしても謙虚すぎて間違う方がいいと思う――それはつまり,真実を伝えるってことだ.たとえ複雑な話になるときにも,真実を伝えた方がいいと思う.世間の人たちが誤用したりひどい反応を示すにちがいないとはっきり感じられる真実であっても世間の人たちを信頼して伝えるなんて,骨が折れるしおぞましく思うこともときにある.でも,そういう真実を自分一人の胸にとどめておくのは,そうする訓練を受けてもいない責務を負うってことだ.
そして,自分も世間の人たちの一員なんだったら,次の点を認識しておくべきだ――うん,専門家はたまにウソをつくよ.でも,(ごく一握りの例外をのぞいて)通例は,キミたち世間の人間のしあわせを専門家が気にもしていないからウソをついてるわけじゃない.そうじゃなくて,おそらく,キミたち世間の人間が真実を扱う能力を高く買っていないからそうしてる.キミたちのことをだまくらかしてやろうと思ってのウソじゃなくて,キミたちを赤ちゃん扱いしてのウソなんだ.だから,専門家たちの助言・勧告が事実に合ってるかどうか調べるときには,次の点を忘れないでほしい――おそらく,専門家たちは,キミたち自身の最良の利益に配慮しているはずだ.彼らのことは,敵じゃなくて,過保護な親みたいに思うといい.