ブラッド・デロング 「花の運び人」(2005年5月28日)

●Brad DeLong, “The Flower Carrier”(Grasping Reality with at Least Three Hands, May 28, 2005)


サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)にて、ディエゴ・リベラ(Diego Rivera)作の “The Flower Carrier”(『花の運び人』)を鑑賞。

ガイド役の職員(学芸員)曰く、「この作品を理解するためには、共産主義者――あるいは、少なくとも経済学者――のような『ものの見方』をする必要があります」とのこと。

仰せの通りだ。次の点をおさえておくべし。

  1. 花の運び人にとって一体何が重荷なのかというと、背中に担いでいる(花がぎっしり詰まった)大きなカゴ・・・ではない。現代資本主義体制下で非熟練労働者として生きること。そのことが、骨が砕けんばかりの重荷となって、ずっしりとのしかかっているのだ。
  2. 「花=心地よい贅沢の象徴」という意味合いが込められているが、花の運び人は、花には一切目もくれない。花には、何の使用価値もなく、交換価値しか備わっていない [1] 訳注;眺めたり飾ったりして楽しむ対象ではなく、生計の資を稼ぐための手段でしかない、という意味。。花の運び人にとっては、花というのはそういう存在なのだ。

『花の運び人』は、サンフランシスコ近代美術館に展示されている作品の中でも一番のお気に入りかもしれない。

いや、ウィリアム・ケントリッジ(William Kentridge)作の “Tide Table”(『潮見表』)も捨てがたい。すごくいい。すごくいいんだよ。

artblog: サンフランシスコ近代美術館の二階・・・(略)・・・に向かうために、螺旋階段を上る。二階にたどり着くと、永久コレクションの中に、ケントリッジ作の(アニメーション作品である)『潮見表』(2003年制作)を発見。・・・(略)・・・本作品では、(ケントリッジの他の作品でも度々登場する)ソーホー・エクスタイン(Soho Eckstein)という名の白人の実業家――ケントリッジの分身――の暮らしと南アフリカに住む黒人の暮らしとが交錯する。砂浜(ビーチ)で休暇を過ごすソーホー。すると、突如として場面が転換。そこは病室だ。収容されているのは、エイズで絶命寸前の大勢の患者。波が寄せては返す。満潮と干潮。満ち足りた人生と干からびた人生。・・・(略)・・・

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1 訳注;眺めたり飾ったりして楽しむ対象ではなく、生計の資を稼ぐための手段でしかない、という意味。
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