ポール・クルーグマン「忘れられた90年代日本の教訓」

Paul Krugman “The Forgotten Lessons of Japan in the ’90s,” Krugman & Co., October 31, 2014.
[“When Banks Aren’t The Problem,” The Conscience of a Liberal, October 27, 2014; “The Deficit Is Down, and Nobody Knows or Cares,” The Conscience of a Liberal, October 8, 2014.]


忘れられた90年代日本の教訓

by ポール・クルーグマン

Ko Sasaki/The New York Times Syndicate
Ko Sasaki/The New York Times Syndicate

告白を1つ――ときどき,こんな風に思えてしまう.日本が陥った流動性の罠についてぼくが1998年にはもう書いてたブルッキングス論文(翻訳PDF)を読んでいればとっくにわかっていたはずのことを,経済学者たちも政策担当者たちも,理解にまごつきながらこの6年間をすごしてしまったんじゃなかろうか,って.

たとえば,リカードの等価定理によって財政政策が無効になるかどうかに関するとてつもない混乱がおきてしまってたり,マネタリーベースを増やしても〔予想に反して〕インフレになることもなければもっと広範なマネーサプライの増加につながることもなかったことに広く驚きの声がでてたりする.だけど,こんなことは16年前にはとっくにはっきりしてたことだ.日本の陥った罠についてしっかり考えてさえいればね.

さて,ここでさらにもう1例の登場となる:問題を抱えた銀行の役割だ.ヨーロッパはストレス・テストをやった.結果はそうめちゃくちゃにわるくもなかった.だけど,今度はこんな心配そうな論評がでてきてる.「もしかして,あくまでもしかしてだけど,銀行の健全性証明をやればデフレに陥るのを避けられたりしないかな」

諸君,そこは10数年前に通った道ですぞ.1990年代には,こんな通説があった――「日本のゾンビ銀行が問題だ,こいつらにさえ対処すれば万事大丈夫になるぞ」 でも,ぼくは論文でこの説の論理と証拠をじっくり検討してみた(原文 pp.174-177; 翻訳 pp.32-35).で,これは検討に耐えなかった.

はいはい,わかってますとも――「自説を吹聴してるだけじゃねえか」でしょ.でも,ぼくが自説を言わなかったら,他の誰が代わりに言ってくれるっての? ともあれ,実にびっくりなことに,これほど多くの人たちが,とっくの昔に徹底反駁された謬見を再発明してる.

それに,ぼくの昔の論文を読んでくれてたら,連銀前議長ベン・バーナンキへの公開書簡を書いた人たちも恥をかかなくてすんだだろうにね.

© The New York Times News Service


アメリカの赤字は減ってるけど,誰も知らない――というか気にもとめてない

今月,議会予算局から,連邦政府の赤字が大幅に減ったって公表があった――国内総生産の3パーセント以下にまで減ってる.『ワシントン・ポスト』では,オバマ大統領はこの赤字減少になんの功績もないように思えると経済学者のジャレド・バーンスタインが述べてる.

こう言う人もいるだろう:「なにを期待してたのさ?」 でも,事実はと言えば,ほんの数年前に,多くの評論家たちがこう主張してた.「オバマ氏は大人になった《なすべきことをする》責任ある男になれば,政治的に得るものは大きいだろう」とかなんとか.さらにわるいことに,ホワイトハウスの政治スタッフがこれを信じてるって報道もあった.

もちろん,こんなのはいくつもの水準でたわごとだ.評論家たちは有権者の受け止め方の変遷について細やかな心理劇の脚本を好んで書くけれど,実際の世間の受け止め方はそんな脚本とちっとも関係ない:有権者の大多数は,オバマ氏の政権下で赤字が増えたと思ってる.実は減ってるって知ってるのは,ほんのわずかな少数派だけだ.

それに,赤字を減らせと怒鳴ってる連中は処置なしだ――とにかく社会保障やメディケアに深刻な打撃を与えるようなことをしないことには,連中は満足しない.あらまあ,まるで,赤字削減じゃなくて社会的セーフティネットをズタズタにすることがホントの目的みたい.

赤字妄執は,経済問題としてとてつもない破壊をやらかしてきた.だけど,これには大きな政治的過誤も関わっているんだ.

© The New York Times News Service

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