Paul Krugman, “Sins, Both Moral and Intellectual,” Krugman & Co., October 10, 2014.
[“Knaves Fools, and Quantitative Easing,” The Conscience of a Liberal, October 2 2014]
罪深い行状――道義的にも知的にも
by ポール・クルーグマン
都合がわるくなってくると,議論に負けてる人たちは,だんだん礼節をなくしていくものだ.「自分とちがう意見をもってる連中はアホかチンピラだ」と信じ込んでる人たちから,ぼくもよく攻撃される.でも,前にも説明したように,これは主に選択バイアスの問題だ.道理のわかった人たちどうしで異なる意見を交わす場面にでくわすことは,あんまりない.なぜって,重要な問題を議論してても,片方の陣営が完全に道理がわかってないようなことがあまりにたくさんあるからだ.
当たり前だけど,ぼくの側と意見がちがっている相手でも,いい人はいる.他方で,経済論争に参加している面々には,ダメな人たちがいっぱいいる――といっても,その人たちが間違ってるって言いたいわけじゃない.その人たちは,不誠実な議論をしてるんだ.
ここで,『ブルームバーグ』に今日掲載されてた,「いやはや,連中はひどいもんだ」な記事に話がつながる.みんなも覚えてるんじゃないかな,2010年に,当時の連銀議長だったベン・バーナンキ宛に悪名高い公開書簡がだされた.その書簡は,バーナンキが経済を後押ししようと打ってる方策は,「通貨の毀損とインフレにつながる」と警告してた.この公開書簡が政治的にどういう素性のしろものだったのか疑問に思ってる方にお教えしましょう,署名した23人のなかには,有名な金融専門家のウィリアム・クリストルがいた.彼は,保守系『ウィークリー・スタンダーズ』の編集者だ.
今月,『ブルームバーグ』の記者たちが,すばらしいアイディアを実行してくれた.4年ちかくも低インフレが続いたいま,あらためて当時あの公開書簡に署名してた人たちに,自分は間違っていたと認めるかどうか質問してくれてる.ま,当然っちゃ当然だけど,連中の言い分ときたら,当時はインフレの「リスク」があると言っただけでございますって調子だ.〔予想に反して低インフレにとどまっていて〕経済がうまくいってないのも問題ナシってわけだね.
自明なことを1つ言っておこう:もしもインフレ率が上昇してたら,きっと連中は自説の裏付けだと主張してたろう.「コインを投げようぜ! 表がでたら俺の勝ち,裏がでたらお前の負け」方式だ.
もちろん,インフレ過熱論者と国債暴落論者がのらりくらりと言い逃れる例は,これ1つでおわりゃしない.自分が言ったことを「言った」とは一向に認めず,まちがいを認める意志を完全に欠落させてる例は,ほかにもたくさんある.
あんな風にはふるまうまいとぼくもつとめている.まちがいをやらかしちゃったら――たとえば,ユーロ圏がまもなく瓦解するって極端な悲観論を言ったり,2003年にはアメリカの債務危機について警告したりしたことがある――そいつを認めようとしてるし,どうしてまちがえたのか明らかにしようとつとめる.過去の行状を書き改めて実際よりよく見せちゃってる場合もきっとたびたびあったにちがいないけど,避けようとつとめてはいるんだ――だって,そんなのは知的かつ道義的な大罪だからね.
さて,お若いのや,そこいらには罪人どもがぎょうさんおるでの.
© The New York Times News Service
「議論に負けてる方が人たちは」
はやっぱり
「議論に負けてる方の人たちは」
のが方がいいのではないですか。
ご指摘助かります.シンプルに,「議論に負けてる人たち」に直しておきました.