Martina Björkman Nyqvist, Lucia Corno, Damien de Walque, Jakob Svensson “Incentivising safer sexual behaviour: Using lotteries to prevent HIV “, (VOX, 07 January 2017)
従来型HIV/AIDS教育キャンペーンは新規感染抑制に関して完璧な有効性を誇ってきたとは言えない。背景的原因としては、感染の大半がこと性行動に関してはリスクテイクを厭わない様な個人の間で生じているのに、キャンペーンではこうした人達を特に重点的にターゲットにしてこなかった可能性が考えられる。本稿ではレソト王国で行われた新型HIV予防介入試験を紹介する。これは以上の様な個人をターゲットに定め、より安全な実践へのインセンティブを付与するために籤引を利用したものである。処置グループのHIV新規感染件数 [HIV incidence] はトライアル期間を経て5分の1を超える低減を見せた。実施面・費用面での利点も併せて考えると、こうした結果は以上の様な介入がHIVとの闘いにおいて計り知れない価値を持つと判明する可能性を示唆する。
20年以上に亘る意識向上キャンペーンを後目に、HIV/AIDSは依然として数多くの世界の国々で主要健康問題の位置を占めている。とりわけ、3700万人もの人々がHIV感染者として生活し、推定では2015年だけで新たに140万件ものHIV感染が発生しているというアフリカでは問題はなお深刻である (UNAIDS 2016)。HIV感染の主要経路となっているのが安全性考慮の無い性行動だ。したがって情報提供と教育キャンペーンを基盤とした従来型の行動変化プログラムが、エピデミックに抵抗するための主要方策として久しく用いられ続けてきたのも驚くには当たらない。だが残念ながら、こうしたタイプのキャンペーンには予期されたほどHIV/AIDSエピデミック波及を押し止める効果が無いことが既に証明されている (Bertrand et al. 2006, Napierala Mavedzenge et al. 2010)。
これら実証成果を目の当たりにすれば当然、「では自衛の方法を知悉し、HIV/AIDSの深刻な帰結が周知されているのなら、なぜリスキーな性行動を継続する人達がいるのだろう?」 との疑問が浮かぼう。これに対しては、感染の大半はリスク忌避度が最も低い個人 – つまり性行動に関してはリスクテイクを厭わないような個人 – のあいだで生じているのに、現行の情報提供キャンペーンはこの人達を特に重点的にターゲットにしてこなかったのだ、という回答が考えられる。
HIV予防へのインセンティブとしての籤引
最近の論文で我々は、リスク愛好的であり、したがってHIV感染リスクが最も高いと推測される人達に特にアピールするようなHIV予防介入手法をデザインしている (Björkman Nyqvist et al. 2016)。具体的には、籤引を利用し、レソト王国におけるHIV感染抑制をめざす金銭的インセンティブプログラムをデザインした – 籤の期待支払額は比較的小さいが、性感染症 (sexually transmitted infection: STI) テストで陰性の反応がでれば高額を得られる仕組みになっている。
他の面では通常の金銭的インセンティブプログラムと変わらないギャンブルの導入には、少なくとも2つの利点が有る。先ず第一に、籤により、同プログラムは金銭的リスクを厭わない個人に対しては相対的に強い魅力を持つ様になる。もし金銭的リスクテイクを厭わない性質がその他のリスキーな行動、例えば喫煙・薬物・リスキーな性交渉などと相関しているのならば、籤のインセンティブによりHIV感染のリスクが高い人達をもっと上手にターゲットにできるはずである。
第二に、心理学や行動経済学の領域で、人間は小さいパーセンテージを過大評価しがちであり、したがって保証された小さな報酬よりも、大きな報酬につながるかもしれない小さなチャンスのほうを選好する傾向が有る旨を示す実証成果がますます確認されている事が挙げられる (Kahneman and Tversky 1979, Kahneman 2011, Barberis 2013)。仮にそれが正しいのなら、ギャンブル (籤引) 参加において認識される利益は、確実性をもって一定の期待利益を与えるインセンティブプログラムからの利益よりも高くなり、また同じ理屈で、籤を活用すれば予算を一定にしたままでも、従来型の条件付現金給付 (conditional cash transfer: CCT) と比べてより強い行動変化へのインセンティブを設定することも可能となるかもしれない。
本研究は無作為化平行グループ間試験 [parallel group randomised trial] に基づいて行われた。そこでは次の3つの個別グループを設定している: 対照グループ (N= 1208) および2組の処置グループ (低額籤引グループの859人、および高額籤引グループの962人) である。無作為選出で低額籤引グループに割り当てられた参加者は4ヶ月毎に500ロチ/南アフリカランド [500 malotis/South African rands]、およそ$50の価値に相当する賞の籤引に挑戦する資格が与えられる。高額グループの個人にはその2倍に当たる額の賞を勝ち取る資格が与えられた。
処置グループの個人は、籤引の前の週に受けたテストで2つの治療可能なSTI (梅毒 [syphilis] および膣トリコモナス症 [trichomoniasis]) に陰性の結果がでたならば、籤を1枚与えられる。村落レベルでの籤引が4ヶ月毎に開催され、各村落で籤引当選者が4名づつ選出される。
処置グループ中の個人で前述した2つのSTIの何れかに陽性のテスト結果が出た者は籤を貰えない。しかしこうした個人も引き続き研究参加者に留まることができるので、無料で提供される治療を受けてその後もSTI陰性を維持していた場合には、その後開催される籤引の資格を得られる。対照グループへと無作為に割り当てられた参加者には籤を貰う資格が与えられないが、その他の点では研究の手順に対照グループと処置グループとで違いは無い。STI陽性のテスト結果が出た全ての者に (グループを問わず) カウンセリングと無料のSTI治療を提供、HIV陽性のテスト結果が出た個人はAIDS治療を行っている公的診療所に紹介し、適切なフォローアップを図った。
全体的に言って、籤引インセンティブはHIV症例、すなわちベースライン時点でHIV陰性であった参加者の間のHIV新規感染率抑制に相当な影響をみせた。2年のトライアル期間を通して、HIV新規感染率は2.5%ポイント、換言すれば21.4%低減された。こうしてトライアル終了時には処置グループプールのHIV感染者数 [HIV prevalence] は対照グループと比べて3.4%ポイント低いものとなった。我々の知る限り、性行動の変化に着目したHIV予防介入 (治療介入に対する) であって、HIV新規感染件数の著しい削減 – あらゆるHIV予防介入の究極目標 – に繋がることが実証されたのはこれが初めてである。
リスク愛好者は籤引を好んでいるのか?
我々はさらに進んで、リスキーなギャンブルに対する価値認識に基づき、リスクに対する選好を有する個人のほうがリスク忌避的個人よりも、行動変化を条件とする高額ではあるが不確実なリターンが見込まれる介入スキームに反応する傾向が強いのか、この点を調べた。参加者のリスク選好は、ベースラインアンケートでのリスク忌避に関する仮定的設問を通して計測した – 62%の参加者は籤引参加ではなく、籤の期待値に満たなくとも固定額のほうを選好すると報告しており (したがってリスク忌避的)、残る38%がリスク愛好的となる。ベースライン時点で、リスク忌避的個人とリスク愛好的個人の人口統計学的・社会経済的特性は類似していたが、リスク愛好的参加者が安全対策をした性行為を実行している旨を報告する傾向は相対的に低く、HIVやSTI陽性の傾向は相対的に高かった。
では、リスク愛好的個人は籤引プログラムに対しリスク忌避的個人と異なる反応を見せたのだろうか? 本研究結果によれば、実際に反応は異なっていたようだ。HIV新規感染件数はリスク愛好的個人のほうが対照グループにおけるリスク忌避的個人よりも12.3%ポイント高かった。しかしながら、リスク愛好者の間のHIV新規感染件数は処置グループのほうが12.2%ポイント、対照グループのリスク忌避的個人と比べて低かった – このサブグループにおける効果量は58%となる。リスク忌避的参加者に対する処置効果は然したるものでなく、点推定で0近傍、したがって対照グループとの比較において介入プールで観察されたHIV新規感染件数の減少がリスク選好的個人の行動変化のみによって生じた可能性は消去できない。
籤引インセンティブの実用的利点
本発見は、相対的にHIV感染リスクが高いグループをターゲットする際に籤引が活用できる可能性を示唆する実証成果をもたらした。最もリスクが高い層の個人をターゲットできるばかりでなく、籤引の活用には、以上の様なプログラムの規模拡大を検討する場合重要となってくる幾つかの実用的利点も有る。第一に、籤引プログラムの運用費は従来型CCTプログラムよりも低く抑えられると見込まれる。何故なら当たり籤を引いた者にのみ支払をすればよいからである。第二に、実験参加者の一部のみをテストすればよい様な籤引システムも考えられるが、その場合、トータルで掛かる費用に相当な割合を占める検査費用の削減も望み得る。レソト王国における実験のリサーチ計画書ではプロジェクト参加者全てに検査を提供することが要件となっていたが、行動変化へのインセンティブは、一定の条件下では、籤引当選者のみが検査を受ける、或いはSTIスクリーニングも籤の結果に依存させる様にしても、変わらず保たれるだろう。最後に重要な点だが、今回の実験で調べた籤引インセンティブの影響はあくまで特定アウトカム関するものだったが、本調査結果は、他のタイプのプログラムや分野でも、よりリスクの低い行動に対する需要の強化をねらって籤引が上手く活用できないか、この点を探求する調査研究に道を開くものとなっている。
参考文献
Barberis, N C (2013) “Thirty years of prospect theory in economics: A review and assessment”, Journal of Economic Perspectives, 27(1): 173–196.
Bertrand J R, K O’Reilly, J Denison, R Anhang, M Sweat (2006) “Systematic review of the effectiveness of mass communication programs to change HIV/AIDS-related behaviours in developing countries”, Health Education and Research, 21: 567–597.
Björkman Nyqvist, M, L Corno, D de Walque and J Svensson (2016) “Incentivizing safer sexual behaviour: Evidence from a randomized controlled trial on HIV prevention”, CEPR Discussion Paper No. 11542.
Kahneman, D (2011) Thinking, fast and slow, New York: Farrar, Straus, and Giroux.
Kahneman, D and A Tversky (1979) “Prospect theory: An analysis of decision under risk”, Econometrica, 47(2): 63–91.
Napierala Mavedzenge, S, A Doyle, D Ross (2010) “HIV prevention in young people in sub-Saharan Africa: A systematic view”, February (accessed November 9, 2010).
UNAIDS (2016) “Fact Sheet 2016”, www.unaids.org, Geneva, Switzerland.