The Counterfactual and the Factual
Posted by Mark Koyama, Aug 11, 2017
歴史学者は、大抵の場合で、反実仮想(仮定の事実)の考察に懐疑的であるようだ。E.H.カーは「歴史家は、起こらなかった事実について推測を行ってはならない」と論じている(Carr, 1961, 127)。マイケル・オークショットは、反実仮想の推論を「史実の世界に科学を醜悪に埋め込む」ようなものだと表現した(Ferguson, 1999より引用)。もっと最近の事例だと、エリック・フォナーによる「反実仮想は馬鹿げている。歴史家の仕事は、代替宇宙について熟考することではない。……起こった出来事の原因を究明することにある」との論考が発見され報告されている(Parry, 2016, ここより引用)
このような反実仮想への懐疑論は、ロバート・フォーゲルによる鉄道がアメリカの経済成長に与えた影響を考察した先駆的な研究を経ている現代の経済史家からすれば、極めて奇妙に感じる。反実仮想は、フォナーが指摘しているように馬鹿げたものではない。今日の経済史における金字塔である。どうしてだろう? 反実仮想は、因果関係分析の基本となっているからだ。デイヴィッド・ヒュームが指摘したように、反実仮想とは、我々が“原因”という言葉を使用する時に否応なく想起するものである。「ある事象の後に、別の事象が続く…、ここで、もし最初の事象が存在しなければ、次の事象は存在しないだろう」(Hume, 1748, Part II)。
ヒュームの推論は、管理下の実験を想定してみれば、非常に容易に理解できる。例えば、無作為に選ばれたある患者のグループに新薬を投与し、別のグループには偽薬を投与したとしよう。治療群と対照群を事前に区別できていなければ、この2つの群の結果の差が、薬の因果関係を示すことになる。対照群の結果は、薬の有効性を評価するための反実仮想である。
現代における経済史の復興は、経済史家が計量経済学的な手法によって、観察データを上記のような実験計画的に再現できるようになったことから大きな恩恵を得ている。こうした技術によって、経済史家は、奴隷制によるアフリカの低成長への影響や、ペルーのミタ制 [1]訳注:スペイン植民地下のペルーやボリビアで行われた原住民への有償強制労働制度。 の影響や、ダスト・ボウル [2]訳注:1930年年代に砂塵嵐の大被害にあったアメリカ有南部の大草原地帯の名称とその災害の名称 の影響について、反実仮想による評価を行えるようになったのである。
歴史学者は、フォナーのように反実仮想的なアプローチに根深い拒絶反応を示しており、歴史学者と経済史家との間に大きな断絶が生まれている。よって、彼らの拒否反応の起源を探るのは非常に有用だ。
まず、歴史学者が、過去に反実仮想を拒否してきた理由のいくつかはここでは言及しない。たとえば、(カーのような)マルクス主義者や、(オークショットのような)ヘーゲル的観念論者が、目的論的な歴史に固執することで、〔反実仮想を拒否するのは〕指摘するまでもないからだ。言うまでもなく、歴史が弁証法的なプロセス展開を示すものであるなら、起こらなかった事象は、〔弁証法的な〕定義上、歴史分析の対象になり得ない。このような粗雑なマルクス主義(やヘーゲル主義)は、もはや支持されていないだろう。ただ、歴史学者が、反実仮想に懐疑的であるもう一つの理由があり、そちらはマルクス&ヘーゲル主義よりも根拠があるように思われる。それは、歴史学者による、歴史的事実への偏愛である。
ニーアル・ファーガソンの編著『仮想の歴史:別の可能性と反実仮想(Virtual History: Alternatives and Counterfactuals)』参照してみよう。この本では、反実仮想史への優れた弁護が行われている。ただ、ファーガソンらが検討した反実仮想は、主に軍事史や外交史となっている。ナチスがイギリス本土に侵攻していたらどうなっていただろう? などだ。
こうした反実仮想は、特定の疑問を掘り下げるのに便利な方法となっている。しかし、このやり方での反実仮想の効力は、通常、単一の決定や事件が真逆に作用したかどうかでしか検討できない。例えば、「ヒトラーが1940年6月に〔イギリス侵攻作戦に〕中止命令を出さなかったとしたら?」や「エドワード・グレイがベルギーの中立を尊重しないと決定していたら?」などである。こうした考察を成立させるには、他の全ての条件を一定に保たねばならない。つまり、外交史や軍事史における反実仮想は、特定の事象の短期的な帰結の解明を目的としている。しかし、最初の反実仮想的な介入からかけ離れた事象を検討すると、「他の条件が等しければ的な仮定」の維持が困難になる。例えば、「1940年にナチスがイギリスを統治していれば、SS(ナチス親衛隊)はユダヤ人・自由主義者・知識人を狩り、エドワード八世を傀儡即位させる」までなら合理的に想定できるかもしれない。しかし、ナチスの支配された1950年代や1960年代のイギリスがどのようになるのかについて検討すると、指針となるものは圧倒的に乏しくなる。ナチスが戦後のどのような支配意図を持っていたのかを示す資料は存在していないため、ロバート・ハリスの『ファーザーランド』や、CJ・サンソムの『ドミニオン』のような歴史小説の範疇に留まるような考察しかできない。歴史分析とするには、自由度が高すぎるのだ。反実仮想は、分析を限定するための実証的材料がなくなると正常に機能しなくなる。
これこそが、歴史学者が反実仮想に懐疑的である正当な理由となっている。実際の歴史的記録は、歴史的記述に対する一定の制約として機能しなければならない。こうした考察は、歴史学を学問に昇華させたレオポルド・フォン・ランケにまで遡ることができる。ランケとその信奉者たちは、記録の厳密性を主張し、一次資料の発見・収集・分析こそ歴史学者の営為領域であるべきだという考えを確立させた。ランケは歴史学者に、「実際に起こったこと」に焦点を当てるように促したのである。簡単に言えば、「事実こそが真実なのである」という考えである。以降150年かけて、ランケに対して多くの批判が寄せられた。耳タコのポストモダニストからすれば、こうしたランケ的なアプローチは、あまりにも古臭く見えたに違いない。しかし、歴史家が、こうした厳格さを捨てればなどうなってしまうのだろう?(こことここ)。ランケ的な厳格さを、早急に却下すべきではない。問題となっているのは、歴史学を学問として形成するのに貢献したランケ的な厳格さが、反実仮想の推測を排除してしまっている点にあるのだ。このことで、歴史学者は、反実仮想、つまりオルタナティブな歴史に必然的に懐疑を抱くことになってしまっている。
さらに、軍事史は、反実仮想的な分析には適しているが、社会史や経済史のように、一般的に変化がゆっくり進む歴史分野では、この分析はあまり適していないように思われる。煎じ詰めるなら、南北戦争が勃発しなかった場合のアメリカ南部での奴隷制の帰結のような、複雑な反実仮想は考察できるのだろうか? と。
こうした問題に答えるのにも、反実仮想的な推論は有益である。しかし、外交史、政治史、戦史の時とは違い、社会科学の訓練を必要としていることが多い。たとえば、資本主義史の研究者が関心を寄せる問題――「南北戦争がなくとも奴隷制はすぐに消滅していたのだろうか?」を考察してみよう。
1950年代から1970年代にかけて、計量経済史の研究者らは、この問題に答えようと経済学の理論の活用を試みた。彼らは、経済モデルを用いて奴隷制の利益性を評価し、南部の奴隷所有者の〔収益〕期待を推測した(ここ)。ここで主に発見されたのが、歴史学者(当時は南部の大義に同情的であることが多かった)の仮説に反して、奴隷制度は1860年には極めて収益率が高く、奴隷所有者は奴隷制が永遠に続くと予見していた、というものであった。計量経済史の研究者らは、こうした反実仮想による推論を行い、既存の歴史学の正統的知見を覆すことに成功した。 [3] … Continue reading
19世紀初頭のアメリカ経済における奴隷制の経済的重要性という問題も、反実仮想よって扱うことができる。この問題に取り組むと、暗に、綿花が奴隷によって生産されていなかった場合のGDPを仮想しなければならない。つまり、経済史家でなくとも、反実仮想的な考察を行わないといけないのだ。フォナーは、エド・バプティストの著作『半分は決して語られない(The Half Has Never Been Told)』を支持している。しかし、バプティストの著作では、1836年アメリカのGDPのほぼ半分が奴隷制によって生み出されていたと主張されている。こうした推計自体が反実仮想的な考察である。バプティストは、「もし奴隷制がなければ、アメリカ経済はおよそ半分の規模になっていただろう」と主張している。バプティストの主張は、二重勘定に基づいており、確実に間違えている。しかし、バプティストの考察の問題は、彼が反実仮想を行ったことではなく、間違えた反実仮想を行い、彼の推定が誤りだらけにあることにある(こことここを参照)。
〔訳注:上記論文は共にリンク切れ。後者はこの論文ではないかと思われる。〕
これら全てが、歴史学者による反実仮想への無頓着さを明らかにしている。歴史学者らは、反実仮想的なアプローチを、その手法に不慣れであるにも関わらず、非歴史学的なものとみなす、尊大で根深い誤認を共有している。バプティストの事例から必然的に導かれる教訓は、反実仮想的な問題を判定するための社会科学研究による強力なツールに、歴史学者はもっと精通すべきである、というものだ。重要な歴史問題に対してもっと踏み込んだ答えを見つけるためには、反実仮想にもっと真剣に取り組まないといけない。しかし、歴史学らによる、反実仮想的への疑念が正当化される場合もある。
反実仮想が特段に適用できない場合は多く残されている。事象が複雑であればあるほど、関連する反実仮想を分離するのが難しくなる。最近、Notes on Liberty誌で、ブルーノ・ゴンカルブズ・ローシーは「プロテスタントによる宗教改革が起こっていなければ、今日のような良心の自由は存在していなかった」といった反実仮想を提起した。
しかし、ここまでの考察を敷衍すると、このブルーノの提起は、答えを出すのが難しい反実仮想だ。ブルーノの提起が、「マルティン・ルターがいなければ、今日のような良心の自由は存在しない」を意味しているとしよう。すると「ルターがいなければ、1517年に始まる宗教改革が行われなかった可能性は高いが、1520年から1530年代のどこかの時点で、誰かがカソリック教会を転覆させていただろう」と指摘するだけで、この反実仮想を簡単に反駁できる。しかし、宗教改革全体を、一連のプロセスとして把握し、その中に因果関係を見出すのは、非常に困難だ。
ここでは特に、2つの確率を別々に判定しなければならない。
(i)「宗教改革が起こらなくても、ヨーロッパで良心の自由が生じる確率(P:良心の自由が発生 | 宗教改革が起こらない)」
(ii)「宗教改革が起こり、ヨーロッパで良心の自由が生じる確率(P:良心の自由が発生 | 宗教改革が起こる)」である。
ブルーノの問題提起が成立するには、「(ii)>(i)」だけではなく、「(i)=0」であることも示さないといけない。これは、論証がほとんど不可能である。
この問題は、プロテスタントによる宗教改革を、ヨーロッパで起こった経済的・社会的・政治的・技術的変化の帰結であることを認識すると、さらに複雑なものとなる。もし、反実仮想によって宗教改革が起こらなかったとしても、宗教改革の発生をもたらした要因(都市化、印刷機、政治の分裂、腐敗等)はそのままにしておけば、反実仮想で何を描写しているのか意味不明なものとなってしまう。この問題は、ジュディア・パール(2000)によって開発された因果関係図によって説明できる。
ここでは、D(宗教改革)が、Y(良心の自由)に及ぼす影響に関心がある。問題は、DとYの間に相関関係が見られても、DがYの原因となっているかどうか分からないことだ。これは、A、B、Fが存在しているためである。この3つは照合可能かもしれない。しかし、Cも存在している。Cは印刷機である。
印刷機は、宗教改革の成功に大きな役割を果たしている(Rubin 2014)。しかし、印刷機は、都市化や経済成長も刺激し、最終的に近代的な自由主義、法の支配、良心の自由を生み出す発展において独立した役割を果たしたと考えるのが妥当だろう。これは内生的な問題となっており、解きほぐすのは不可能だと考えられる。
これら潜在的な交絡因子を全て照合するような方法がない限り、プロテスタントによる宗教改革が、良心の自由のようなものに及ぼした因果効果の推定は不可能である。上で考察した純粋に経済的な問題とは対照的に、私たちは「信仰の自由の出現」についての十分な理論的な背景を持っていない。反実仮想による推論には限界があり、この問題には立ち入ることができない。
歴史学者は、経済史(つまり経済学理論や計量経済学)を身につけねばならない。そして、経済学者は、歴史学を身につけねばならない。経済学者は、世界の複雑さを理解しなければならず、専門知識と技術でもって証拠を扱うためにも、歴史学が必要となっている。
References
↑1 | 訳注:スペイン植民地下のペルーやボリビアで行われた原住民への有償強制労働制度。 |
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↑2 | 訳注:1930年年代に砂塵嵐の大被害にあったアメリカ有南部の大草原地帯の名称とその災害の名称 |
↑3 | 訳注:なお、上記の「鉄道がアメリカの経済成長に与えた影響」の研究を行ったロバート・フォーゲルとS.L.エンガマンによる奴隷制度の経済分析において最も著名な研究『十字架の時:アメリカ奴隷制の経済学』は山形浩生氏が邦訳を公開されている |