●Mark Thoma, “‘On Misunderstanding Economics’”(Economist’s View, October 30, 2015)
クリス・ディロー(Chris Dillow)が興味深い研究を紹介している。
“On misunderstanding economics”:
世間における経済学への無理解を嘆く声があちこちで聞かれるようになって久しいが、この問題に対して新しい角度から光をあてる興味深い研究が現れた。デビッド・レイザー(David Leiser)&ゼエヴ・クリル(Zeev Kril)の二人の手になるこちらの論文がそれだ。レイザー&クリルの二人は語る。人間の精神は、「経済学(ないしは経済問題)を考るのに格好なようにはできていない」。
・・・(中略)・・・
レイザー&クリルの二人によると、世間の人々は、メタファーに頼る傾向にあるという。一番悪名高い例は、国の財政を家計に喩えるあれだ。単にメタファーに頼るというだけではない。自信満々でそうする(メタファーに頼って経済問題を語る)ことが多いというのだから、さらに始末が悪いのだ。
・・・(中略)・・・
世間の人々が頼りにするヒューリスティックは他にもある。そのうちの一つは、レイザーが「善は善を呼ぶ」(「善は善を呼び、悪は悪を呼ぶ」)型ヒューリスティック(good begets good heuristic)(pdf)と名付けているものだ。「良いこと」は別の「良いこと」を呼び(「良いこと」は別の「良いこと」を呼び込む原因となり)、「悪いこと」は別の「悪いこと」を呼ぶ(「悪いこと」は別の「悪いこと」を呼び込む原因となる)。世間の人々は、直感的にそう考える傾向にあるというのだ。例えば、世間の人々は、「失業率の上昇」には「インフレ率の加速」が伴う(pdf)と考える傾向にある。どちらも「悪いこと」だからである [1] … Continue reading。・・・(略)・・・さらに厄介に思えることもある。世間の人々は、「政府支出」を「悪いこと」だと見なし、その結果として、「政府支出」の増加(という「悪いこと」)には「失業率の上昇」(という「悪いこと」)が伴うと考える傾向にあるというのだ。
レイザー&クリルの二人の研究から個人的に受け取ったことを3点ほど指摘しておきたいと思う。世間における経済問題へのあやふやな理解の背後には、メタファーやヒューリスティックに頼りがちな一般人の傾向が控えている可能性があるわけだが、そのことが結果的に右派か左派のどちらか一方に有利に働くことになるかというと、そういうわけではないというのがまず一点目だ。メタファーやヒューリスティックに頼って経済問題を理解しようとする結果として、世間の人々の間で反「市場」的な態度が培われることになる場合もあれば、反「ケインジアン」的な態度が培われることになる場合もあるのだ。
メタファーやヒューリスティックに頼って経済問題を理解しようとする世間一般の傾向は、我が国(イギリス)だけに限られる話ではない(他の国でも事情は変わらない)ということが二点目だ。
・・・(中略)・・・
我が国の政治制度にしても、社会制度にしても、この傾向(メタファーやヒューリスティックに頼って経済問題を理解しようとする世間一般の傾向)にうまく対処できていないというのが三点目だ。むしろ、その傾向を後押ししている可能性さえある。政治家にしても、メディアにしても、世間一般の(メタファーやヒューリスティックに頼って経済問題を理解しようとする)傾向に抗ってそれを矯正しようとするよりは、迎合しがちな面があるのだ。・・・(略)・・・経済学者だけではなく、民主主義の質を高めるにはどうしたらいいかと常日頃から心を砕いている面々も、一緒になってこの状況を嘆くべきなのだ。
References
↑1 | 訳注;「善は善を呼ぶ」型ヒューリスティックに頼る結果として、世間の人々は、「失業率の上昇」という「悪いこと」が、「インフレ率の加速」という別の「悪いこと」を招き寄せると考える傾向にある、という意味。 |
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