●Lars Christensen, ““Good E-money” can solve Zimbabwe’s ‘coin problem’”(The Market Monetarist, April 26, 2012)
ニューヨーク・タイムズ紙のこちらの記事で、ジンバブエが抱える「硬貨問題」について報じられている。
ジンバブエ人の口から「チェンジ」を求める声が上がるのは、政治の変革(チェンジ)が待ち望まれている場合というのがほとんどである。1980年代から今日に至るまでずっと、大統領の座が一度たりとも明け渡されずにいることを踏まえると、それも頷けるところだ。
八百屋を営むロブソン氏も首を長くして「チェンジ」を求めている一人だ。とは言っても、ロブソン氏が求めているのは、チェンジはチェンジでも、「小銭」だ。ロブソン氏は、何かを売買する機会があるたびに――スーパーマーケットで買い物する時、バスを利用する時、お客に野菜を売る時――、手元に「小銭」が転がり込んでくるのを待ち焦がれているのだ。
八百屋を始めて20年になるロブソン氏は語る。「小銭が全然足りないんですよ。小銭不足は、ジンバブエが抱える大問題なんです」。
ジンバブエと言えば、小銭不足とは正反対の性格の問題で世界中に名を知られてきた。仰天するほどの勢いで昂進するインフレ(ハイパーインフレ)がそれだが[1]訳注;ジンバブエを襲ったハイパーインフレの実状については、本サイトで訳出されている次のエントリーも参照されたい。 … Continue reading、少し前までは、スーパーマーケットで買い物をするために、現金が溢れんばかりに詰め込まれた箱を持参しなくてはいけなかったのである。大量に増刷された100兆ドル紙幣(額面が100兆ドルのジンバブエドル紙幣)も瞬く間に価値を失った。100兆ドル紙幣を支払っても、パン一切れすら買えない有様だったのだ。
しかしながら、2009年に米ドルがジンバブエの法定通貨に採用されてからしばらくすると、予想外の難題が持ち上がってきた。通貨の価値が低すぎるのがこれまでの問題だったが、今では通貨の価値が高すぎるのが問題になっているのだ。
「平均的なジンバブエ人にとって、1ドルはかなりの大金です」。そう語るのは、ジンバブエ大学で経済学を研究するトニー・ホーキンス氏。
「硬貨問題」(“the coin problem”)がジンバブエを襲っている。ジンバブエ国内では、硬貨(セント硬貨)がほとんど出回っていない。国外(アメリカ)から硬貨を持ち込むにしても、かなりの重量になる。輸送費が馬鹿にならないのだ。ジンバブエでは、数百万人に上る国民が1日1ドルないしは2ドルでの生活を余儀なくされているが、モノの売り買いを1ドルちょうどに収める(硬貨のお釣りが出ないようにする)にはどうしたいいかというのが国全体の悩みの種となっている。
ジンバブエが抱えている「硬貨問題」は、「貨幣的な不均衡」(monetary disequilibrium)の紛れも無い例の一つだ。硬貨の供給が、硬貨に対する需要に追い付いていないのだ。硬貨に対する超過需要が生まれているのだ。そのせいで、ジンバブエは、デフレもどきの状況に追いやられてしまっているのだ。ほんの数年前の(ハイパーインフレに苦しめられていた)状況に比べると、あまりの変わりようだ。
貨幣の歴史を振り返ると、ジンバブエが抱えている「硬貨問題」と似たエピソードはいくらでも見つかるし、その解決策も多種多様だ。ニューヨーク・タイムズ紙でも提案されているように、ジンバブエ政府が硬貨の鋳造に乗り出すというのも解決策の一つだ。しかしながら、(ハイパーインフレを引き起こした前歴を持つ)ジンバブエ政府が鋳造した硬貨を喜んで受け取る国民なんて一人もいないだろう。一体誰がそのことを責められようか?
電子版良貨
ジンバブエ政府に硬貨の鋳造を委ねるよりもずっと理に適(かな)った解決策が別にある。民間部門に硬貨(私鋳銭)の鋳造を許可すればよいのだ。イギリスも1780年代に「硬貨問題」を抱えていたが、ジョージ・セルジン(George Selgin)の出色の一冊である『Good Money』(2010年出版)で、当時のイギリスがいかにして「硬貨問題」を解決したかが跡付けられている [2]訳注;この件については、本サイトで訳出されている次のエントリーも参照されたい。 ●アレックス・タバロック 「硬貨の起源 … Continue reading。本の紹介文を以下に引用しておこう。
1780年代に入って産業革命の勢いが強まると、それに伴って、工場で働く労働者の賃金を支払うために、額面の小さな硬貨(銅貨)に対する需要が高まることになった。しかし、英国王立造幣局は、十分な量の硬貨を供給できずにいた。硬貨不足が経済発展の足かせになりかねない中、民間の製造業者たちが独自の硬貨――巷では、“tradesman’s tokens”(商人トークン)と呼ばれていた――の鋳造に乗り出し始めることになる。民間の製造業者たちが鋳造した硬貨は、瞬く間に広い範囲で受け入れられ、工場で働く労働者の賃金を支払ったり、小売店で代金を支払ったりする時に最も盛んに利用される代表的な通貨にまで上り詰めた。しかしながら、1821年に民間での硬貨の鋳造が法律で禁じられたのだった。
極めて粗雑なかたちではあるものの、ジンバブエでも似たような展開が見られるようだ。ニューヨーク・タイムズ紙の記事から再び引用するとしよう。
「硬貨問題」(硬貨不足)に対処するための術がいくつか編み出されている――どれにしても満足いくものとは到底言えないが――。例えば、スーパーマーケットでは、「衝動買い」が強要されつつある。買い物の総額が1ドルに満たないようだと、アメ、ペン、マッチなんかが店側から押し付けられるのだ。総額が1ドルちょうどになるように [3] … Continue reading。お釣りの代わりにクレジットスリップ(伝票の一種)が支払われるケースもあり、通貨として流通し始めているクレジットスリップもある。
クレジットスリップやアメ、ペン、マッチなんかが硬貨の役割を果たしているわけだ。しかしながら、解決策としてはいまいちという感が拭えない。というのも、どの硬貨(硬貨もどき)も貯蔵に向いていないからだ。 例えば、アメをポケットに入れたままで道を歩いていると、数日のうちに(欠けたり溶けたりして)その価値は著しく損なわれてしまうだろう。
ジンバブエが抱えている問題の一つは、1780年代のイギリスとは違って、多くの国民に信頼して受け取ってもらえるような硬貨を鋳造できる「製造業者」が国内のどこを探しても見当たらないことにある。いや、「製造業者」以外に目を向けても、話は同じだ。ジンバブエは、他人に対する信頼度が極端に低い国であり、「製造業者」以外に目を向けても、信頼に足る硬貨を鋳造できそうな候補なんて見つかりそうにないのだ。
しかしながら、解決策はまだ残されている。そのヒントは、同じアフリカ大陸に位置するケニアにある。ケニアでは、携帯電話を利用した決済・送金サービスの「Mぺサ」(M-PESA)が「硬貨」の一つとして広く利用されていて、携帯電話でMペサを使って買い物の代金を支払う――その中には、極めて小額の代金の支払いも含まれる――のがごく当たり前になっているのだ。テクノロジーの発展のおかげで、(金属でできた)「通常の」硬貨が不要になったわけだ。ケニアでは、「通常の」硬貨は必要ない。ケニアでは、小さな村にあるお店でもMペサを使って買い物ができる。Mペサは、良貨(Good Money)――あるいは、電子版良貨(Good E-Money)と形容すべきか――の一つなのだ。
ジンバブエ政府は、世界を股にかけて活躍する通信事業者を国内に招き入れて、携帯電話を利用した決済サービスの導入に向けて動くべきだ。ジンバブエでの携帯電話の普及率は、ケニアに比べるとずっと低い。とは言え、携帯電話は、国内の非常に貧しい地域でもそれなりに普及している。携帯電話を利用した決済サービスが「硬貨問題」の解決に効果がありそうだとなれば、多くの国民がこぞって携帯電話の入手を急ぐだろうから、携帯電話の普及率も高まるだろう。
世界を股にかける民間の通信事業者が政府の許しを得て、ジンバブエ国内でMペサと同種の決済サービス――Mマリ(M-Mari)とでも命名しておこう。マリ(Mari)というのは、(ジンバブエの公用語の一つである)ショナ語で貨幣(マネー)を意味している。ちなみに、ペサ(Pesa)は、スワヒリ語で貨幣(マネー)の意味だ――の提供を始めるようになれば、ジンバブエが抱える「硬貨問題」もいともたやすく解決に向かう可能性がある。Mペサはケニア・シリングによって裏付けられているが、Mマリは米ドル(あるいは、その他の通貨)によって裏付けられることになろう。
アフリカにおける通貨レジームの未来像:ビットコインに裏付けられたMペサ?
これまでの話は、絵空事のように聞こえるかもしれない。しかしながら、アフリカでの携帯電話の契約数は5億台近くに上っていて、アフリカ大陸には10億人が住んでいることを忘れてはならない。近い将来、アフリカ大陸に住む大半の人々が携帯電話を所有する時代がやってくることだろう。そうなった暁には、携帯電話というテクノロジーに支えられたフリーバンキング制度がアフリカ全土を覆う可能性もひょっとしたらあるかもしれないのだ。
アフリカ大陸では、自国の政府を信頼している人はほとんどいないし、中央銀行をはじめとした公的な機関の質もかなり低い。その一方で、コカ・コーラのようなグローバル企業や世界を股にかける通信事業者は、公的な機関よりもずっと信頼されている。そのことを踏まえると、世界を股にかける通信事業者――あるいは、コカ・コーラのようなグローバル企業――が発行した通貨(あるいは、通貨もどき)がアフリカ人の間で信頼に足る通貨として受け入れられる時代が(おそらく、そう遠くはないうちに)やってくる可能性だって大いにあるのだ。
ビットコインとMペサが結び付く可能性――準商品本位制(quasi-commodity standard)が誕生する可能性――だってあるかもしれない。自国の政府に通貨の発行を委ねた結果として苦い経験を味わったこともあり、アフリカ人の大半は、準商品本位制(ビットコインに裏付けられたMペサ)を躊躇せずに受け入れるだろうというのが私の考えだ。
References
↑1 | 訳注;ジンバブエを襲ったハイパーインフレの実状については、本サイトで訳出されている次のエントリーも参照されたい。 ●アレックス・タバロック 「ジンバブエのハイパーインフレ」/タイラー・コーエン 「ファインマンの言葉」(2014年4月15日) |
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↑2 | 訳注;この件については、本サイトで訳出されている次のエントリーも参照されたい。 ●アレックス・タバロック 「硬貨の起源 ~産業革命黎明期のイギリスにおける硬貨不足はいかにして解消されたか?~」(2015年4月14日) |
↑3 | 訳注;例えば、買い物の総額が75セントで、会計時に1ドル紙幣を差し出すと、お釣りとして25セント硬貨が支払われるのではなく、25セント分のアメが渡されることになる。25セント分のアメを無理矢理(買いたくもないのに)買わされているとも、お釣りとしてアメが支払われているとも言える。 |
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