ラルス・クリステンセン 「『1937年の過ち』に関する3つの説明」(2012年3月22日)

●Lars Christensen, “Remember the mistakes of 1937? A lesson for today’s policy makers”(The Market Monetarist, March 22, 2012)


昨年(2011年)の12月8日にECB(欧州中央銀行)が3年物長期リファイナンス・オペ(LTRO)に踏み切ってからというもの、世界経済が危機から抜け出しつつある兆候が日増しに強まってきている。株価も大きく反発し、米国の長期金利はじわじわと上昇を始め、コモディティ価格(一次産品の価格)も上昇傾向にある。いずれも、世界的に見て金融緩和が進んでいる証拠だと言える。

景気回復が始まってから早数カ月が経過しようとしており、この間にコモディティ価格も上昇傾向にあるわけだが、コモディティ価格の高騰が今後も続くようであれば、ヘッドライン・インフレ [1] … Continue readingも徐々に上昇を始めることだろう。世界各国のセントラルバンカーが口々にインフレを話題にする日も近そうだ。

そのような現状を横目で睨みながら、私の脳裏には1937年のいわゆる「大恐慌の最中に発生した景気後退」(“recession in the depression”)のエピソードが思い出されている。1933年にルーズベルト大統領が金本位制からの離脱を決定してからというもの、世界経済は景気回復に向けて歩み始め、アメリカの鉱工業生産は1937年までに1929年の水準にまで回復を遂げることになった。世界各国における金融緩和に向けた政策転換とその後に続いた景気回復は、コモディティ価格の高騰をもたらし、アメリカの政策当局者らは「将来的にインフレが加速するのではないか?」と懸念を抱き始めるようになる。しかしながら、アメリカでは1937年の下半期に入って実体経済も株式市場もフリーフォール(急降下)と呼ぶにふさわしい状況に見舞われ、インフレを懸念する声もパタリと聞こえなくなったのであった。

「1937年の景気後退を引き起こした原因は何か?」という問題をめぐっては、これまでに数々の説明が持ち出されてきている。その中でも「貨幣的な要因」に着目した3つの説明をこれから取り上げるとしよう。

1) ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)&アンナ・シュワルツ(Anna Schwartz)の二人は、かの有名な『A Monetary History of the United States』(『合衆国貨幣史』)の中で、1936年8月にはじまる「預金準備率の引き上げ」に着目している。Fedによる預金準備率の引き上げが、1937年の景気後退を引き起こした原因というわけである。

2) 1937年の景気後退を引き起こしたのは、Fedではなく財務省だ。そう語るのは、ダグラス・アーウィン(Douglas Irwin)(pdf) [2]訳注;この論文の概要は、本サイトで訳出されている次の論説で知れる。 ●ダグラス・アーウィン … Continue reading。アーウィンによると、財務省が金の流入を徹底的に不胎化する方向に動き、それが原因でマネーサプライの伸びに急ブレーキがかかることになったという。

3) 上記のどちらの説明でも貨幣量を左右する直接的な行動に目が向けられているが、アメリカの政策当局者が発信するコミュニケーションに生じた変化を重視する説明もある。ガウティ・エガートソン(Gauti B. Eggertsson)&ベンジャミン・パグスレー(Benjamin Pugsley)の共著論文(pdf) [3] 訳注;この論文の概要は、次の論説で知ることができる。 ●Gauti Eggertsson 「コモディティー価格と「1937年の過ち」」(道草、2011年6月3日)がまさにそれであり、1937年の景気後退を引き起こした原因は、金融政策と為替政策の将来の方向性を指し示すシグナルに変化が生じたことに求められるというのが彼らの主張だ。「金融政策は、時間的なラグ(遅れ)を伴って効果を表すのではなく、実際の行動に先行して効果を表すのだ」とはスコット・サムナー(Scott Sumner)の常套句だが、エガートソン&パグスレーの二人もそれとまったく同じことを語っているわけだ。

上記3つの説明のいずれも妥当なものであることは否定しないが、フリードマン&シュワルツの説明だけで1937年の景気後退をすべて説明できるかというと、疑問が無くはない。私が、フリードマン&シュワルツの説明に若干の疑いを抱く理由は3つある。まず一つ目の理由は、預金準備率の引き上げに対するマーケットの反応の鈍さである。預金準備率は計3回にわたって引き上げられたが、一番最初の引き上げ時(1936年8月)に株価は何らの反応も見せなかったのである。二つ目の理由は、当時のメディアで預金準備率の引き上げがそれほど話題に上っていないことである。景気が急速な勢いで落ち込んだ1937年の下半期――預金準備率の1回目の引き上げが実施されてから1年後――におけるメディアの報道を調べてみるとわかるが、預金準備率の引き上げにほとんど言及されていないのだ。そして三つ目の理由は、民間の銀行が大量の超過準備を抱えていたことである。カロミリス&メイソン&ウィーロック論文(pdf)でも詳しく論じられているように、当時、民間の銀行は大量の超過準備を抱えていた。預金準備率が引き上げられても、所要準備(法定準備)を満たすために準備預金を積み増す必要に迫られた銀行はごく少数に限られていたのである。とは言え、預金準備率の引き上げは、Fedがインフレを警戒していることを示す明白なシグナルを送ることになり、そういう意味では無視できない影響を持った可能性がある。この点については、もう少し後のところで詳しく論じることにしよう。

個人的には、アーウィンの説明――1937年の景気後退が引き起こされたのは、Fedが預金準備率を引き上げたためではなく、財務省が金の流入を不胎化したため――はかなり説得的に思える。「金の不胎化と1937年~38年の景気後退」(“Gold sterilization and the recession of 1937–1938(pdf)”)と題された彼の論文――できるだけ多くの人に是非とも目を通してもらいたい論文の一つ――では、財務省による金の不胎化政策が1937年中にマネーサプライを急落させた原因であることが強力な証拠の裏付けとともに論証されている。とは言え、あえて難癖をつけると、金の不胎化だけで株価やコモディティ価格に生じた変化を余すところなく説明できるわけではないようだ。

おそらくは、財務省かFedのどちらか一方の行動だけが問題だったわけではなく、両者をひっくるめた行動に目を向ける必要があるのだろう。もう一歩踏む込むと、その両者をひっくるめた行動(+ルーズベルト大統領の発言)が人々の予想を大きく転換させて、かなり強固なデフレ予想を生み出すに至った点に目を向ける必要があるのだろう。これは私だけの意見というわけではなく、エガートソン&パグスレーの二人が「1937年の過ち:DSGEモデルに基づく一解釈」(“The Mistake of 1937: A General Equilibrium Analysis(pdf)”)と題された共著論文で強く押し出している主張でもある(ただし、金融政策の波及メカニズムについては、彼らと意見を異にするところがある)。ルーズベルト政権(米政府)もFedもともに揃ってインフレをかなり警戒しており、その警戒心が金融引き締めが間近に迫っているとの強いシグナルをマーケットに向けて送る格好となったと考えて間違いないと私には思われるのだ。

言い換えると、1937年の景気後退は、「チャック・ノリス効果[4] … Continue readingの力をまざまざと知らしめる実例の一つなのだ(1937年の景気後退は、チャック・ノリス効果が悪い――景気を悪化させる――方向に働いた例であり、そういう意味で何とも気の滅入る例でもある)。金融引き締めが間近に迫っていると信じ込んだ投資家や消費者たちは、貨幣の退蔵に向かい、その結果として(貨幣需要が急増した結果として)「受動的な」金融引き締めが生じる格好となったのである。それだけにとどまらず、Fedと財務省が「意図的な」金融引き締めに乗り出したとあっては、1937年の下半期に景気が急降下を余儀なくされたのも当然の話だ [5]訳注;交換方程式(MV=PY)を使って表現すると、「受動的な」金融引き締めは、V(貨幣の流通速度)の低下を指しており、 … Continue reading

「1937年の過ち」が繰り返されるおそれは?

どうして1937年のエピソードを重視しないといけないのだろうか? その理由は、「1937年の過ち」をいつかまた繰り返さないとも限らないからだ。1937年にアメリカの政策当局者たちは、コモディティ価格の上昇と将来的なインフレの加速を懸念して、金融引き締めに乗り出した。そればかりではない。金融政策の将来の方向性について曖昧なメッセージを送ることにもなったのだ。Fedは、一体何を目標にしているのかを明らかにせず、そのために貨幣需要の急増を招くことになったのである。

今現在はどのような状況に置かれているのだろうか? FedやECBが遂に金融緩和の必要性を認め、そのおかげで危機からの脱出が約束されたも同然となったという見方もできるだろう。その一方で、コモディティ価格の上昇を危ぶむ声をちらほら耳にもする。「コモディティ価格の高騰を放置しておけば、やがてインフレの加速につながる恐れがある。今すぐにでも金融引き締めに乗り出すべきだ」というわけだ。さらには、FedもECBもはっきりとした政策目標を明らかにしておらず、いつ・どんな状況になれば金融引き締めに転じるつもりなのかが曖昧なままにされている。2011年の時もそうだった。FedがQE2(量的緩和第2弾)に乗り出したのに伴ってコモディティ価格が上昇すると、ECBは時期尚早にも金融引き締めに動いたのである。さらに不味いことには、ECBが金融政策の将来の方向性についてはっきりした態度を示さないでいたために、マーケットは「ECBは金融緩和から手を引くつもりなのではないか」と絶えず疑心暗鬼になってもいたのだ。

今回こそは、世の政策当局者たちが「1937年の過ち」に学び、時期尚早な金融引き締めに乗り出さないことを祈るばかりだ。それと同時に、世のセントラルバンカーが一体何を政策目標にするつもりなのかをもっとはっきりさせてくれたらありがたいところだ。どうしたらよいかわからないというセントラルバンカーは、マーケット・マネタリストの誰かをつかまえてアドバイスを求めればいいだろう。そしたら、次のような答えが返ってくるはずだ。政策目標をきっちり定めさえすれば(望むらくは、名目GDP水準目標を採用してもらいたいところだが)、金融緩和が行き過ぎる可能性を心配する必要などない。政策目標をきっちり定めさえすれば、政策転換(金融緩和から金融引き締めへの転換)は自ずと遅滞なく――遅過ぎるということもなければ、早過ぎるということもなく――進行するのだから、と。

(追記)1936年9月に、アメリカ、イギリス、フランスの三国間で結ばれたいわゆる「三国通貨協定」では、それぞれの通貨(ドル、ポンド、フラン)の価値を安定させることが意図されていたが、この協定は人々の予想を変化させる効果を持ったのではないかという(何とも曖昧な!)アイデアをふと思い付いた。この協定は、「通貨戦争」ないしは平価切り下げ競争に参加する意思がないことを宣言したものだと見なせる。つまりは、三国の中央銀行が(どこよりもマネーサプライの伸びを高めようとする)金融緩和競争から手を引くつもりであることを示すシグナルをマーケットに送ることになったのではなかろうか? これはあくまでも一つの仮説であり、今のところ具体的な調査にはまったく手を付けていない。どこかの若い学究が代わりに調査に乗り出してくれないものだろうか?

References

References
1 訳注;エネルギーや食料品の価格も含んだ消費者物価指数。ヘッドライン・インフレからエネルギーや食料品の価格を除いたものがコア・インフレ。
2 訳注;この論文の概要は、本サイトで訳出されている次の論説で知れる。 ●ダグラス・アーウィン 「1937-38年の景気停滞をもたらした原因は何か?
3 訳注;この論文の概要は、次の論説で知ることができる。 ●Gauti Eggertsson 「コモディティー価格と「1937年の過ち」」(道草、2011年6月3日)
4 訳注;金融政策においては、中央銀行が「実際に何をするか」だけではなく(あるいはそれ以上に)、「将来的に何をしそうか」が重要な意味を持つということ。金融政策の将来の方向性に関する人々の予想に働きかけることの重要性を説いているとも言える。文中で「金融政策は、時間的なラグ(遅れ)を伴って効果を表すのではなく、実際の行動に先行して効果を表すのだ」とのスコット・サムナーの言葉が紹介されているが、この言葉も同じことを意味している。チャック・ノリスは、実際に手を下さなくても、脅す(「将来的に(脅しを無視した場合に)何をしそうか」)だけで相手を意のままに操れるという点にヒントを得て、「チャック・ノリス効果」という名称が付けられている。
5 訳注;交換方程式(MV=PY)を使って表現すると、「受動的な」金融引き締めは、V(貨幣の流通速度)の低下を指しており、 「意図的な」金融引き締めは、M(貨幣量;マネーサプライ)の低下を指している。
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