もしかしたら,これは本ブログを1年通して読んでえられるいちばん有益なことの1つかもしれない.Maria Konnikova の新著 Confidence Game(『瞞し瞞され:詐欺の心理,毎度まんまと引っかかる理由』)の一節から:
2010年に,ベン=グリオン大学のニコラス・エプリーとタル・エヤルが一連の実験結果を公表した.実験の目的は,対人・知覚知覚スキルを改善することだ.論文の題名は:「テレパスらしく振る舞う方法」(How to Seem Telepathic).エプリーとエヤルの発見によれば,私たちがみずからを分析する方法と他人を分析する方法に基本的なくいちがいがあることから,我々がおかす錯誤の多くが生じているという.自己分析するとき,わたしたちは精細かつ文脈をとりこんで細部まで考える.ところが他人について考えるとき,私たちはもっと一般的で抽象的な水準で思考する.たとえば,「どれくらい魅力的か?」という質問でも,自分じしんについて問うときと,他人について問うときには,利用する手がかりがおおきく異なる.じぶんの外見について考えるとき,「朝おきて鏡をみたときの髪の様子がどうだったか」「じゅうぶんに睡眠はとれているか」 「今日の肌つやにシャツがどれくらい合っているか」といったことを考慮に入れる.他人の外見について考えるときには,全体的な印象に基づいて判断する.つまり,ここには2つの食い違いがある:1つは他人がじぶんをどう見ているかについてよくわかっていないということ,もう1つは他人がその人じしんについてどう思っているか私たちは正確に判断していないということだ.
だが,分析の水準を調整してやれば,もっとずっと直観がするどくて正確なようにみせかけられる.ある研究では,他人が自分をどう認識するかの判断精度がある要因で高まった.判断する当日ではなくて,数ヶ月後にじぶんの写真が評価されると被験者に考えてもらったのだ.また,自己紹介の録音を数ヶ月後に聞いてもらうと考えてもらったときにも,同様の精度の変化が生じた[TC: ロビン・ハンソンのいう近距離モードと遠距離モードを想起].数ヶ月後に判断されると想像するだけで,他人がなにげなく使いがちなのと同じ抽象的レンズに突如きりかわったわけだ.(…)
この一節を読んだとき,長年ずっとこういう観点でじぶんが考えてきたのに気づいた.ただ,ここまではっきりと言葉にして自覚したことはなかった.
ここから1つの含意がでてくる:朝起きて気分がよくなかったときには,そのまま落ち込んで自信をしぼませないこと.他人は,きっとこちらの問題には気づかないはずだ.
含意はまだある:その日の調子について自分がその瞬間に抱いている印象から距離をとっているフリをしてみると気持ちが上向くのも〔上記の研究から〕わかる.あたかも一週間放置していた原稿のように我が身を眺めるんだ.一週間たって見返してみると,原稿も我が身も新鮮に見える.
3つ目の含意:他人の気分をうまく読み取るには,相手から受ける全体の印象を一部無視して,じぶんの状況・外見・ストレスレベルのちょっとした変化だと相手が知覚していそうなところに注意を向けるといい.
もとの研究はこちら,一読の価値はある (pdf).Konnikova の新著にはいろんな書評がでている.