タイラー・コーエン 「気が付いたら西暦1000年にタイムスリップ。どうしたら生き抜いていける?」(2008年6月6日、6月11日)

●Tyler Cowen, “Time travel back to 1000 A.D.: Survival tips”(Marginal Revolution, June 6, 2008)/ “Chris Scoggins, marginalist”(Marginal Revolution, June 11, 2008)


本ブログの熱心な読者である Londenio から次のような質問を頂戴した。

気が付いたら西暦1000年(200年ほど前後しても可。つまりは、西暦800年~1200年)のヨーロッパのどこか(例えば、今で言うと、フランス、ベネルクス三国、ドイツがあるあたり)にタイムスリップしてしまっていたとしたら、生き抜いていくためにどうしたらいいと思われますか? あちらに持っていけるのは、タイムスリップの瞬間に着ていた服。それと、脳に記憶されている情報(知識)だけってことにしてください。何かアドバイスしていただけたら幸いです。

高価な金(ゴールド)の結婚指輪でも嵌(は)めてたらもっけの幸いだが、何はともあれ口をつぐんで余計なことは喋らない方がいい。真っ先にやるべきことは、数日か数週間くらい家に泊めてくれる親切な人を見つけることだ。家に泊めてもらっている間に、そこらにある教会で働き口を探すといい。とは言え、現地の言葉を覚えたとしても、限界生産力がかなり低い役立たずだろうから、働き口はそう簡単には見つからないかもしれない。経済学だとか量子力学だとかの知識を持ち合わせていたらいくらか助けになると思うかもしれないが、「冗談」(経済学や量子力学の話)を口にしても誰も面白がってはくれないだろう。記憶を頼りにオイラーの定理を証明できたとしても、数式中の記号の意味を誰も理解できないだろう。服と知識の他にも、(泥棒に入られないように、家の扉を閉じるために使う)閂(かんぬき)と(天然痘から身を守るために)最新の天然痘ワクチンも持っていけたらいいんだけれど。

読者の皆さんの考えはどうだろうか? Londenioが「現代の知識」の助けを借りて――ちなみに、Londenio はマーケティングが専門の学者だ――、タイムスリップした先で社会的に有用な何かを生み出せる可能性はあるだろうか? 公衆衛生や伝染病についてありったけの知識を喋り散らすのは、身を助ける一助になるだろうか?

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先日のエントリーとの絡みで、Chris Scoggins から次のようなメールを頂戴した。

現代に生きる普通の人間が西暦1000年にタイムスリップしたとしたら、うまく生き抜いていけないだろうとのことですが(おそらくそうだろうなと私も思います)、現代人でも努力次第でうまくやっていけそうな時代というのはいつ頃でしょうか? 西暦1000年とまでは言わないまでも、どのあたりまで遡れるでしょうか?

個人的には、1932年にタイムスリップして、LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)で開かれている(経済学の)セミナーに参加できたらいいなと思っている。興味を引いてもらえそうな意見をちらほら述べるのだ [1] … Continue reading

過去に遡っていくとして、西暦1700年なら西暦1000年よりもずっと簡単に生き抜いていけそうかというと、そうとは思わない。私が西暦1700年のロンドンにタイムスリップしたとしても、パトロンになってくれそうな人物を見つけるのは難しいだろうし、どうにかギリギリ生きていけるだけの収入しか得られないだろうと思う。悲しいかな、西暦1700年の世界で役立ちそうな知識は大して持ち合わせていないのだ。ブログが産声を上げるのは、2001年頃なのだ。過去のどの時代にタイムスリップするにしても、私が得られる収入はギリギリ生きていける程度というケースがほとんどだろう。1800年代(19世紀)の後半以降であれば、大学で教えたり何か書いたりして生活できるようになるかもしれない。そうなったら、それなりに快適な労働環境で働けて、それなりの収入も得られるかもしれない。同じく19世紀の後半以降であれば、(未来の人間にしか知り得ない情報を活用した)「インサイダー取引」で儲けられるようにもなるかもしれない。しかしながら、そのためには元手が必要だ。1815年あたりにタイムスリップして、できるだけ少ない元手で空売りして大儲けできそうな一攫千金のチャンスを誰かご存知ないだろうか?

過去のどの時代にタイムスリップするにしても、何らかの詐欺師として生きるのが大抵は(現代人が何とかうまくやっていくための)最善の道というのが私の考えだ。

ところで、現代人が西暦1000年にタイムスリップしたとしても、すぐに死んでしまうとは思わない――伝染病をはじめとした不治の病にかかってしまったら別だけれど――。困っている人を見つけたら一時的であれ援助の手を差し伸べるというのは、人間に備わる生来の傾向だからだ(貧しい人であってもそうだ)。魔法使いだと疑われて殺されるようなことも、おそらくないだろう。最終的には、周りの人たち(西暦1000年に生きる普通の人たち)と同じように、過酷な肉体労働をして糊口(のりぐち)を凌(しの)がなくちゃいけなくなるだろう。教訓っぽくまとめると、「補完性は大事」ってことだ [2] … Continue reading

References

References
1 訳注;1932年のLSEで開かれていたセミナーというのは、ライオネル・ロビンズを中心とするいわゆる「ロビンズ・サークル」の勉強会を指しているものと思われる。
2 訳注;一人ひとりが持ち合わせている才能やスキルの価値(有用性)は、周囲の環境(周囲の人間、テクノロジー、道具をはじめとした資本ストック、法律/社会規範/慣習といった種々の制度etc)次第で大きく変わり得るということがおそらく言いたいのだろう。森本 哲郎(著)『生き方の研究』(PHP文庫、2004年)でそのことが巧みに述べられているので、引用しておこう(「才能について/ブラームス」)。「才能に恵まれるということは、なんとすばらしいことだろう。私はどんな人にも才能は与えられていると思う。ただ、その才能を自分で掘りだすことができるかどうか、それでその人の生涯はきまるのである。むろん、そのためにはいくつかの条件がある。まず、環境だ。どんなに才能に恵まれていても、それを伸ばすことのできる環境になければ、才は埋もれてしまうだろう。環境とはたんに空間的な境遇だけを意味しない。時間的な環境、すなわち、いかなる時代に生れあわせたか、という歴史的な状況も大いにものをいう。この意味で才能とは、運命という鉢の上に花開く植物、といってもよかろう。いい鉢に植えられても、水を与えられなければ枯れてしまう。与えられすぎれば根を腐らせてしまう。適切な世話を受けても、ひ弱だったら、やはり花は開かない。人がそれぞれの才能を伸ばすということは、なんとむずかしいことか。それは、おのれの意志と、自分がそのなかに置かれたさまざまな条件の複雑な組合せによるからである。」(pp. 150~151)/「・・・(略)・・・私がいいたいのは、人間の才能を花開かせるのは、個人の意志、性格、育った家庭から、師弟を始めとするさまざまな人間関係、さらには社会、時代の風潮といった全環境の力なのだ、ということである。そして、ブラ-ムスは、まさしく時を得ていた。この意味で彼の生涯は主観的にはともあれ、客観的にみれば幸福な一生だったといえるだろう。なぜなら、ブラームスは、存分に自分の才能を伸ばし、発揮することができる世界に生れ合わせたのであるから。」(pp. 157)
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  1. 漫画の「仁」は、どうも真実らしいですね。見ている限りかなり慎重に自分の考えを伝えているようなので、やはり難しいのでしょうね。全く未知の国から得た知識でも伝えるのは困難でしょう。ケインズと出会ったカレツキ―も全く同じだったのではないでしょうか。この出会いを書いてくれれば面白いと個人的には思うのですが、

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