●Mark Thoma, “‘The Counter-Factual & the Fed’s QE’”(Economist’s View, March 21, 2014)
つい最近のコラム [1] … Continue readingで私が言わんとしていたことをバリー・リソルツ(Barry Ritholtz)がもっと巧みかつ簡潔にズバリと表現しているようだ(私は財政政策をテーマにしていて、リソルツは金融政策をテーマにしているという違いはあるが、言わんとしていることは同じだ) [2]訳注;王一川(Yichuan Wang)が2013年11月に Quartz に寄稿している記事(“Stop the taper talk—the Fed has actually done too … Continue reading。
“Understanding Why You Think QE Didn’t Work” by Barry Ritholtz:
おそらく次のようなコメント(発言)を耳にしたことがあるだろう。「FRBが資産購入プログラム――別名「量的緩和」――に乗り出したにもかかわらず、景気回復の足取りは遅々としている。量的緩和が効果を上げていない何よりの証拠だ」。
この種のコメントを口にする人は、「反実仮想」というものを理解していないのだ。
・・・(中略)・・・
このような欠陥含みの「ものの見方」は、投資家の世界だけにとどまらず、あちこちの方面でお目にかかる。その背後には、次のようなロジックが控えている。
「Xを試してみたが、これといった変化は確認されなかった。結論:Xは無効である」
「『何も起こらなかった』⇒Xは無効だ」式の発想が抱えている問題は、「Xが試されていなかったとしたら、どうなっていたか」という観点が抜け落ちていることだ。「何の変化も無い」(「何も起こらなかった」)という結果は、「Xが試されていなかった場合の結果」と比べたらマシという可能性もあるんじゃなかろうか? 「何の変化も無い」方が「フリーフォール」(急降下する/景気が急速に悪化する)よりマシ・・・だよね?
何らかの腫瘍を減らす目的で開発された新薬の効果を調べるつもりなら、その薬が投与されなかった患者グループ(「コントロール・グループ」)にどんな変化が起きたかも確かめたいと思うことだろう。「コントロール・グループ」に属する患者たちの間では、腫瘍の数が急速な勢いで増えたとしよう。その一方で、新薬を投与された患者たちの間では(新薬が投与される前と比べて)腫瘍の数にこれといって変化がなかった(腫瘍の数が増えなかった)としたら、その薬はかなりの効果があると受け止められることだろう。
量的緩和の効果を測る場合も同じだ。・・・(略)・・・「コントロール・グループ」が欠けているようでは [3] 訳注;「量的緩和が試みられていなかったとしたら、どうなっていたか」という「反実仮想」と比較してみないことには、という意味。、量的緩和にいかほどの効果があるのか判断できないのだ。 ・・・(略)・・・
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●Mark Thoma, “‘The Euro Counterfactual’”(Economist’s View, September 06, 2013)
ユーロという名の共通通貨の実験は、失敗に終わった。ユーロなんか導入していなければ、ユーロ圏で暮らしている人たちの生活は今よりもずっと快適だったろうに・・・。
「そう簡単に結論付けていいものだろうか?」とアントニオ・ファタス(Antonio Fatas)が訝(いぶか)っている。
“The Euro counterfactual” by Antonio Fatas:
金融危機が勃発してからというもの、ユーロ圏について次のようなコメントを何度も目にしたものだ。「だからはじめから言ってたじゃないか。ユーロ(という共通通貨)を導入するなんていうのは、悪手も悪手だって」。ユーロ圏は、(経済学の専門用語を使うと)「最適通貨圏」を形成しておらず、それゆえに、共通通貨の導入に伴って生じるコストは(共通通貨の導入に伴って生じる)便益を上回るというわけだ。
ユーロ圏は2008年まではうまくやっているように見えたが、(2008年に)金融危機が勃発するや、正真正銘のテストに晒された。その結果は、「不合格」。どうしてテストに合格できなかったのか? マクロ経済学の標準的な教科書を開けば、その理由が書いてある。共通通貨が導入されると、(共通通貨を導入した国の間で)為替レートが固定されるので、マクロ経済の安定化のために頼れる手段が一つ失われることになる。同じ通貨圏に属する国々にそれぞれ性質の異なるショックを及ぼすような危機が発生したらどうなるか? 為替レートの減価(自国通貨安)に頼れない以上は、国内の物価や(名目)賃金の下落――いわゆる「内的減価」――という痛みを伴う調整に身を委ねるしかない。その先に待っているのは、長引く危機だ。
ポール・クルーグマンの最近のコラムでも、同じような理屈が持ち出されている。クルーグマンのコラムでは、「危機の渦中にあるアイルランド&ギリシャ」と「(1997年の)アジア通貨危機に巻き込まれたタイ&インドネシア」が比較されている。アジアのその二カ国は、為替レートの減価に頼ることができたおかげで、危機の影響から瞬く間に立ち直ることができた。その一方で、為替レートの減価に頼れないこともあって、アイルランドは危機の影響からなかなか立ち直れないでいる(ギリシャに関しては、景気回復が始まってさえいない)という。ケヴィン・オルーク(Kevin O’Rourke)も同様の論陣を張っており、「アイルランドは『バーツの無いタイ』みたいなものだ」と形容している。
理屈もしっかりしているし、強力な証拠も揃っているように思える。しかしながら、「ユーロという名の共通通貨の実験は、失敗に終わった。ユーロなんて導入していなければ、ユーロ圏で暮らしている人たちの生活は今よりもずっと快適だったろうに・・・」――私が深読みし過ぎているだけで、クルーグマンやオルークはそこまで言うつもりはないかもしれないが――と早々と結論付けてしまっていいものだろうか?
「反実仮想」が欲しいところだ。ギリシャ/スペイン/アイルランドがユーロを導入していなかったとしたら、どうなっていたろうか? ギリシャ/スペイン/アイルランドが自国通貨を手放さずにいたとしたら、2008年に危機が起こる前後でどういう違いがあったろうか? そういう「反実仮想」を用意して確認してみたいところだが、残念ながらそれは不可能だ。できることといえば、似たような実例(アジア通貨危機に巻き込まれたタイとか)に目を向けるくらいしかない。そこで、以下では、比較対象になりそうな実例やエピソードに目を向けていくが、実例やエピソードの範囲を広げると、「ユーロという名の共通通貨の実験は失敗」とは言い切れないような証拠も見つかるというのが私の言い分だ。・・・(以下続く)・・・
References
↑1 | 訳注;ソーマのコラムの一部を訳しておこう。
「・・・(略)・・・景気回復の足取りを加速させるために金融政策だけでは不十分だとしたら、完全雇用の達成に必要な刺激を加えるために財政政策にも頼ればいいのではないだろうか? 理論的には、その答えは「イエス」だ。現代マクロ経済学のモデル(理論)によると、財政政策は通常の状況では大して効果がないものの、名目金利がゼロ%に達している「ゼロ下限制約」下では大いに効果があるという結論が得られるのだ。 ところが、「現実の証拠はそうなっていない」と異を唱える声が数多く上がっている。標準的なケインズ経済学のモデルに照らすと、政府支出(歳出)の削減を強いる措置(sequester)は景気の足を引っ張るはず。しかしながら、政府支出が強制的に削減された後も、景気はまずまず好調だ。財政政策が景気に大して効果を持たない何よりの証拠じゃないか、というのである。 しかしながら、そのような理屈では、財政政策の有効性をめぐる疑問に最終的な結論を下すことはできない。なぜか? 経済史の世界から例を引いて、その理由を説明するとしよう。 「クリオメトリックス(数量経済史)」(cliometrics)と呼ばれる経済史の研究分野がある。クリオメトリックスの専門家たちは、精緻な経済理論と高度な統計手法(計量経済学的なテクニック)の助けを借りて、歴史上の疑問に答えを見出そうと試みる。クリオメトリックスが生んだ成果の中でも有名なのが、鉄道がアメリカ経済の発展にどれだけ貢献したかを計測しようと試みたロバート・フォーゲル(Robert Fogel)の先駆的な業績だ。鉄道が発明されていなかったとしたら、アメリカ国民の生活水準はどうなっていたろうか? 鉄道の発達こそが1800年代においてアメリカ経済の成長を支えた原動力だというのが通説になっていたが、その通説は厳密な実証分析にどこまで耐えられるだろうか? フォーゲルは、経済理論の助けを借りて、「鉄道が発明されていなかったと仮定した場合にアメリカ経済が辿ったと思われるシナリオ」を導き出した。鉄道が発明されていなかったとしたら、その代わりに道路の整備が進んでいたかもしれない。鉄道が発明されていなかったとしたら、道路の整備はどのくらい進んでいたろうか? 道路は鉄道の代わりをどこまで有効に務められたろうか? 鉄道が発明されていなかったとしたら、道路だけでなく、運河網(重くてかさばる荷物を輸送するための別の手段)も発達していたかもしれない。鉄道が発明されていなかったとしたら、運河網はどのくらい発達していたろうか? フォ-ゲルが見出した答えは、驚くべきものだった。鉄道は、それまで多くの人たちが信じていたほど(1800年代にアメリカ経済の発展を支えた要因として)重要じゃないというのが彼が得た結論だった。フォーゲルの推計結果によると、鉄道が発明されていなかったとしたら、1890年時点のアメリカ経済のGNP(国民総生産)は現実の値をほんの2.7%程度下回っていたに過ぎなかっただろうというのだ。 フォーゲルの研究が物語っているのは、ベースライン(比較対象)の重要性である。「特定の政策が試みられていなかったとしたら――あるいは、特定のテクノロジーが開発されていなかったとしたら――、経済全体のパフォーマンスはどうなっていたか」というベースラインの重要性である。政府支出が強制的に削減された後のパフォーマンスを調べるだけでは十分ではない。政府支出が強制的に削減された後のパフォーマンスだけを見て、「何だ。景気は好調じゃないか。政府支出の強制的な削減なんて大した問題じゃなかったんだ」と結論付けるのは早計なのだ。政府支出が強制的に削減されていなかったとしたら、アメリカ経済のパフォーマンスはどうなっていたろうか? 現状と変わらなかったろうか? それとも、現状よりもよくなっていたろうか? 悪くなっていたろうか? ・・・(中略)・・・ 経済理論の助けを借りて、「特定の政策が試みられていなかったとしたら、どうなっていたか」というベースラインを拵(こしら)える。そして、そのベースラインと現実(特定の政策が試みられた後の状況)とを比較する。政策の有効性を測るためには、そうするしかないのだ。・・・(略)・・・」。 |
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↑2 | 訳注;王一川(Yichuan Wang)が2013年11月に Quartz に寄稿している記事(“Stop the taper talk—the Fed has actually done too little”)もあわせて参照するといいかもしれない。導入の部分を少しだけ訳しておくとしよう。
「つい最近公表された議事録に照らすと、FRBはテーパリング(量的緩和の規模縮小)の準備を進めているようだ。しかしながら、景気回復を後押しする上でFRBがこれまでに果たしてきた絶大な役割を考えると、今の段階でテーパリングに踏み切るのは間違いだと言い切れるだろう。失業率が下落傾向にあるのは確かだが、長期失業者(失業期間が長期に及ぶ求職者)の数は依然としてかなり多いままだ。労働参加率も低いままだ。景気は着実に回復しているが、今後もこの調子が続くと保証されているわけではない。景気の回復がもたらす果実が広く行き渡るようにするためには、FRBが金融緩和を通じて側面支援を続けることが決定的に重要だ。 どうしてそう言えるのかを納得してもらうためには、経済分析の中核に位置している概念を理解してもらう必要がある。その概念とは、「反実仮想」である。「反実仮想」というのは、「起こり得た歴史」のことを指している。軍事史の世界から例を引くと、「ナポレオンがワーテルローの戦いで勝利を収めていたとしたら、その後の展開はどうなっていたろうか?」という問いへの答えが「反実仮想」ということになる。今回のケースでいうと、「FRBが量的緩和に乗り出していなかったとしたら、景気はどうなっていたろうか?」という問いへの答えが「反実仮想」にあたる。今回の景気回復局面では、連邦政府はベルトをきつく引き締める(財政緊縮に熱を上げる)一方だった。・・・(略)・・・FRBが量的緩和に乗り出していなかったとしたら、歳出(政府支出)の大幅な削減のせいでアメリカ経済はほぼ間違いなく不況に逆戻りしていたことだろう」。 |
↑3 | 訳注;「量的緩和が試みられていなかったとしたら、どうなっていたか」という「反実仮想」と比較してみないことには、という意味。 |