Matthew Weinzierl,”Popular acceptance of inequality due to brute luck and support for classical benefit-based taxation” (VOX, 24 September 2016)
格差是正をめざす課税政策は、純然たる運に由来する有利に対しては何人も権限を持たないものと想定している。しかし世間は、『自然の運 [brute luck]』 に由来する格差の完全な平等化に対しては概してこれを拒絶する態度を見せる。本稿では、これに代わる、利益基準の [benefit-based] 課税理論に対してはほぼ満場一致に近い世間的支持が存在することを主張する。最適租税政策を一種の経験的問題として処理するのならば、理論と現実のあいだのギャップを縮小する手助けになるかもしれない。
いまや世界中で、学者や政策画定者が経済格差をめぐる懸念に対する政策対応の画策に奔走している。そこで必要となるのは、広く受容されておりかつ柔軟性をもった政策分析枠組みであり、それは優先事項を設定したうえ、鍵となるトレードオフを取扱うものでなければならない。租税政策にはそうした枠組みが有る。半世紀近くもの間、最適租税の理論家はJames Mirrlees (1971) の労作を発展させ、潜在的な格差の原因なども含む、租税政策問題の多様な側面を取扱うための – またそれに応じた政策提言を為すための – 強力な理論装置を構築してきた。
しかし近年の研究により、こうした枠組みの中核的要素 – 即ち、同枠組みが想定している租税政策の目的 – が世間一般の見解、さらにはこれまでに確立されてきた政策的前例とも食い違っていることが明らかにされたのである。こうした研究は、既に大きいがいまだ拡大を止めない格差に対処するための受容可能な租税政策の特定を急ぐ経済学者に、彼らのアプローチに含まれているまさにこの側面を根源的に再考する必要が有ることを示唆している。幸いなことに、研究は経済学者が如何にしてこれを行うべきかについて、1つの道筋を示唆してもいる。
租税政策の現実性を点検する
理論的文献においては、租税政策の評価はそこから行き着く結果のみによって行われるが、近年の研究によって、その結果に至る過程についても人々は関心をもっていることが明らかにされた。こうした違いが格差への政策対応に対してもつ含みは極めて大きい。
標準的な最適課税モデルはJohn Harsanyi (1953, 1955) によって提起された議論、即ち、租税政策は個人の効用水準の総計 (或いは個人の効用水準に関するより複雑な関数) を最大化しなくてはならず、それはまた個人の税引後アウトカムに依拠しているのだという議論を踏襲している。そのため、個人が支払う税額と、その個人が得ている税引前の所得との関係は、租税政策の画策にあたって関連性をもたないことになる。つまりおよそ重要な事柄は、税引後の資源配分に尽きるという訳だ。
こうした場合、最適租税政策は意欲的に格差の相殺を試みることになる。格差存続の容認を正当化するのは、労働インセンティブ維持の必要と、余剰的労務 [extra effort] に対する報奨の要望のみである。
しかしながら、経済学者や政治学者また哲学者による近年の研究によって、こうした標準的モデルが人々の政策に対する判断の在り方を不十分にしか反映していないことが明らかにされた。人々は、税引前所得に対する一定の請求権を、個人に認めているようなのだ。以前私の研究 (Weinzierl 2014) では、世間に見られるJohn Stuart Mill’s (1871) の平等負担原則 [principle of equal sacrifice] への親近感を明らかにしたが、この原則は租税の評価は税引前所得と照らし合わせつつ行うべきであるとの旨を言うものだった。こうした親近感ならば既存政策に頑健に見られる特徴が説明できる。
関連した実証成果を得ている経済学者は他にもいる。Saez and Stancheva (2015) では分配に関わる選好について調査を行ったうえで次の様に結論した。即ち: 「可処分所得と支払われた租税額の双方が問題であって、したがって被験者は (可処分所得のみを問題とする) 純然たる功利主義者でもなければ、(支払租税額のみを問題とする) 純然たるリバタリアンでもないことを、実証データは明らかにしている」と。
Charité et al. (2015) は自らの調査結果を次の様な事態を示唆するものだと解釈している。即ち: 「個人は、社会計画者の立場に置かれるならば、他者の判断基準をちゃんと尊重するのである」 と。Lockwood and Weinzierl (2016) は前述の標準的モデルを利用して、政策が税引前資源に与えている暗黙の優先を定量化している。政治学者らによるScheve and Stasavage (2016) では、租税政策に関し、前世紀を通して諸般の発展国で、平等負担原則が傑出した役割を果たしてきたことを示す数々の実証データが提示されている。
これらの発見は全て、哲学者両人によるMurphy and Nagel (2002) で観察された合衆国大衆に散見される 『通俗的リバタリアニズム [everyday libertarianism]』 を裏付けるものだった。こうした判断は税引前所得に対し道義的重要性を置いている。
もし人々が、部分的にであっても、税引前所得への権限を認められているのであれば、最適租税理論はもはや以前ほど意欲的に格差を相殺しようとはしないだろう。代わって租税は、飽くまでもこうした権限の尊重に努める形で、政府活動の資金を集める方向に専念するようになるだろう。
自然の運と経済格差
税引前所得に関する学問的および世間的見解の間に在るギャップは、何によれば説明できるだろうか? その手掛かりは、運に対する我々の態度に在るかもしれない。
個人は自分の税引前所得に対して何ら道義的請求権をもたないという見解は、自らの支配下にない外在的要因に由来する有利に対しては何人たりとも権限をもたないのだという倫理的想定に依拠している。Cohen (2011) などの哲学者はこの様な外在的要因を指して 『自然の運 [brute luck]』 と呼ぶ。(例えば生まれつきの能力・幼少期の家庭環境・早期教育など) 自然の運が個人の経済ステータスとの関連でもつ重要性に鑑みれば、こうした想定は税引前所得に対する道義的請求権の拒絶に直接帰結するものである。
しかし大半の人が、個人は自らの税引前所得に対し一定の権利をもっているのだと考えているのであれば、これは自然の運に関する今挙げた様な理屈を同じく大半の人が拒絶するということになるのだろうか? 単刀直入に言えば、イエスだ。新たな論文で私は、この自然の運に関する理屈に対し世間が見せる態度を、合衆国の調査回答者数百名に対し、図1で挙げた状況を一考してもらうことで引き出す試みをしている (Weinzierl 2016b)。
図 1. 適正なコインを用いたコイントス
[訳註: 次の様なシチュエーションを想像して下さい。2人の人物が次の様な申出をされました。
先ず、適正なコインを使いコイン投げを行い、2人の内のどちらかを人物A、どちらかを人物Bとします。但し、このコイン投げの結果は、両人物が本申出を拒否するか承諾するかを意思決定するまでは秘密にされます。
両人物が本申出を拒否した場合は、コイン投げの結果を明かしたうえで、人物Aは$600を、人物Bは$300をそれぞれ受領します。
両人物が本申出を承諾した場合は、コイン投げの結果を明かしたうえで、人物Aは$60,000を、人物Bは$30,000をそれぞれ受領します。その代わりに、人物Aと人物Bは、総計$18,000分の費用を支払わなくてはなりません。人物Aと人物Bのそれぞれが本費用の一部を支払うこともできます; 両人物の内どちらか一方が全費用を支払い、もう一方は何も支払わないことも在り得ます; さらに両人物の内どちらか一方が$18,000を超える額を支払うことも可能で、この場合、超過分の金額はもう一方の人物に与えられることになるでしょう。
さて、両当事者が本申出を承諾した場合、どういった結果が最も望ましいとあなたは考えますか? 初めのテキストボックスに、人物Aが支払うべきだとあなたが考える数値を入力して下さい (-12000から60000までの数値を入力し、$やコンマは使用しないで下さい)。残る3つのテキストボックスは自動で入力され、人物Bが幾ら支払わなくてはなるのか、また人物Aおよび人物Bが最終的に手にする額を表示します。初めのテキストボックスへ試しに幾つか数字を入力し、結果がどの様に変わるかを確認してみると、流れが理解しやすくなるでしょう。]
この様な仮想的シチュエーションでは標準的な最適租税政策は結果の完全平等化をハッキリと推奨する。人物Aは$24,000を支払うべきである、何故ならコイン投げにおける自然の運は、幸運なる同人物が大きな額を保持することを許容すべき如何なる理由も提供しないからである。
ところがである。回答者の平等主義度はそういった水準をかなり下回るものだったのだ。図2に回答状況を示す:
図 2. 人物Aは幾ら支払うべきか?
この筋書では、75%を超える回答者がアウトカムの完全平等化をしようとしなかった。設定の詳細を変化させると、この割合は50%から95%の間で変化する。回答者の大きな割合、或いは幾つかの場合ではその殆どが、こうした自然の運から生じた格差の平等化を拒絶している。この結果は諸般の人口動態的集団・政治的見解を通して保持された。これは、なぜ社会が個人に対し税引前所得への一定の道義的請求権を認めているのかという疑問に、単純明快な説明を与えてくれる。
2016年の大統領選キャンペーンが見せる格差に対する関心はこれら発見によく当て嵌まる。一部候補者は 『不公平システム』 や、相応の 『フェアなシェア』 を支払わない富裕な個人ならびに企業を非難している。しかし決定的に重要な点だが、不公平システム或いは租税回避に由来する利得は不正な行為に由るものであって、自然の運に由るものではない。そうした利得は謂わば、適正コインでなく、不正コインを使ったコイン投げに由来するものなのである。
課税に関する利益基準的見解
大半の人が標準モデルの挙げる税引前所得や自然の運に関する見解には与しないというのならば、彼らはどの様に租税政策を評価しているのだろうか? 1つの答えは、近代的な最適租税理論が発展するかなり以前の段階に見られた租税関連の学問的蓄積にいまひとたび我々を連れ戻す。
以前の論文で私は、古典的利益基準課税 (CBBT) と呼ばれる原理の再考察を試みた Weinzierl (2016a)。CBBTとは、Musgrave (1959) がアダム・スミスによる課税の第一原理に与えた名称だが、課税についての政治的修辞法において長い歴史をもっており、例えばバラク・オバマもこれを用いたのだった。CBBTの下では租税は、個人が政府の活動から、経済機会の向上を通して得る利益にしたがって割当てられる。
ここでの文脈と関連させて言えば、CBBTがもつ重要な特徴は次の2つである。第一に、CBBTは税引後アウトカムを無視し、最適性を税引前所得と租税との間の関係から定義する。第二に、CBBTの下では、運の良い個人ほど支払う租税も増えるだろうが、そうした運の一部を保持することが許されると考えられる。CBBTは前述の諸発見を説明する原理となるかもしれない。
私は調査回答者に図1で示した仮想的シチュエーションにおける自らの選択の説明を1つ選んでもらうことで、CBBTの可能性を探った。第一の選択肢は伝統的なアプローチにおける再配分の理屈を、第二の選択肢はCBBTの理屈を、それぞれ捉えたものである。
図3. 回答者が自らの選択を説明する
[訳註: 一部の人は、ちょうどあなたがした様に、人物Aは人物Bよりも多くを支払わなくてはならないというアウトカムを選択するようです。ここではそうした人の選択の背後に在る理由を2つ紹介します。以下に挙げる2つの理由を注意深く読み、少し考えて見てから、どちらの理由のほうにより強く同意できるかを選択して下さい。人物Aは、人物Bより多くの額を最終的に手にするだけの事を何もしていない、そしてドルを沢山持っている者にとっては1ドルの価値は低下する、したがって人物Aは人物Bより多くの額を支払うべきだ。
人物Aのほうに人物Bよりも多くの利得が有るのは、両人物が本申出を承諾した場合のことである、そして支払い額は各人物が受けた利益の多寡と連動しているべきである、したがって人物Aは人物Bよりも多くの額を支払うべきだ。]
本質問への回答では、71%の回答者がCBBTの理屈のほうを選好し、この傾向は諸般の人口動態的また政治的グループを通して一貫していた。追加質問では90%超がCBBT支持を表明している。CBBTへの支持はほぼ満場一致に近いようだ。運に由来する格差の平等化に抵抗を見せる傾向が強い回答者ほど、CBBTを支持する傾向が強い。こうした結果は、アメリカ人の多く、恐らくはその大半が、標準的理論の想定とは根本的に異なるやり方で租税政策を判断していることを示唆している。
より一般的な教訓
こうした事柄は、『実証的最適課税 [positive optimal taxation]』 と私が名付けている租税理論への新たなアプローチ、これを発展させてゆく為の初めの一歩である。このアプローチは標準的最適租税分析を、課税の目標を経験的問題として処理することによって修正し、さらに様々なソース – 意見調査・政治的修辞法・頑健な政策的特徴分析を含む – を利用しつつ、租税理論に関しての標準理論と圧倒的現実との間のギャップに光を当て、また、政策に関する世間的見解をより上手く描き出すような、新たな租税目的 – そしてその背後に在る哲学的原理 – を特定し、これを租税理論でも取扱うようにする。この補完的アプローチが、租税政策に関する理論と現実とのギャップを縮める手助けとなって、経済格差に対する世間的支持に裏付けられた強力な政策対応を生み出すこととなれば幸いである。
参考文献
Charité, J., R. Fisman, and I. Kuziemko (2015), “Reference Points and Redistributive Preferences: Experimental Evidence,” NBER Working Paper 21009.
Cohen, G. A. (2011), On the Currency of Egalitarian Justice, and Other Essays in Political Philosophy, Princeton University Press.
Harsanyi, J. C. (1953), “Cardinal Utility in Welfare Economics and in the Theory of Risk-Taking,” Journal of Political Economy 61(5): 434-435.
Harsanyi, J. C. (1955), “Cardinal Welfare, Individualistic Ethics, and Interpersonal Comparisons of Utility,” Journal of Political Economy 63(4): 309-321.
Lockwood, B B. and M. Weinzierl (2016), “Positive and normative judgments implicit in US tax policy, and the costs of unequal growth and recessions.” Journal of Monetary Economics 77: 30-47.
Mankiw, N. G., and M. Weinzierl (2010), “The optimal taxation of height: A case study of utilitarian income redistribution,” American Economic Journal: Economic Policy 2(1): 155-176.
Mill, J. S. (1871), Principles of Political Economy, Oxford University Press.
Mirrlees, J. A. (1971), “An Exploration in the Theory of Optimal Income Taxation,” Review of Economic Studies 38: 175-208.
Murphy, L. and T. Nagel (2002), The Myth of Ownership, Oxford University Press.
Musgrave, R. A. (1959), The Theory of Public Finance, McGraw-Hill.
Saez, E., and S. Stantcheva (2016), “Generalized social marginal welfare weights for optimal tax theory.” The American Economic Review 106(1): 24-45.
Scheve, K. and D. Stasavage (2016), Taxing the Rich: A History of Fiscal Fairness in the United States and Europe, Princeton University Press.
Smith, A. (1776), An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations.
Weinzierl, M. (2014), “The Promise of Positive Optimal Taxation: Normative Diversity and a role for Equal Sacrifice,” Journal of Public Economics, 118.
Weinzierl, M. (2016a), “Revisiting the Classical View of Benefit Based Taxation,” Economic Journal, forthcoming.
Weinzierl, M. (2016b), “Popular Acceptance of Inequality due to Brute Luck and Support for Classical Benefit-Based Taxation,” NBER Working Paper 22462.