Paul Krugman, “Learning to Speak Economese”, December 6, 2013.
ケーザイガク語を学ぶ
by ポール・クルーグマン
いまここにあるのは,コミュニケーションの問題だ.
実のところ,大半においてこれは事実じゃない.経済政策をめぐる議論の大半には,世の中の仕組みに関する現実の論争が関わっている.ときに,そうした論争は賢明なものだったりもする.たとえば,量的緩和の効力をめぐる議論なんかがそうだ.でも,ときにはバカな論争もある.たとえば,連銀は通貨を毀損しているのか,みたいなやつだ.でも,そういうバカ論争もやっぱり現実の何事かをめぐるものだ.
ただ,こういう議論には,経済学者どもの言葉の使い方から生じる混乱っていう,追加のレイヤーを加えなくちゃいけない.実に多くの場合に,経済学の専門論議に深く埋め込まれている用語は部外者にとってヘンテコに聞こえるか,間違った解釈を引き寄せてしまうことがある.
前者の例は,「セキュラー・スタグネーション,長期停滞」(secular stagnation) だ.ここの読者には,これがきらいだって人がたくさんいるよね.この用語の「セキュラー」は,マリアムウェブスター英語辞典の定義 3(c) に基づいている:「期限の不明確な継続の,またはそれに関わる」――大半の人にとって,この単語を聞いてすぐに思い浮かぶ意味じゃあないよね.ざんねんながら,アルヴィン・ハンセンが1930年代から40年代にかけて広めて以来,経済学者のあいだではこの概念には「セキュラー」って言葉を使うことになっている.これを変えるのはすごくむずかしい.
これに変わる言葉を人口に膾炙させようという試みならできるんじゃないかと思う.実際,「信任の妖精さん」って言葉はそうした.Sustained NEgative Equilibrim Rates of interests(持続的なマイナス均衡金利)で,SNEER なんてのもいいかも? さて,どんなもんだか.――いったん確立してしまったこの手のことを変えるのはすごく難しいんだよね.[*]
もう1つの例は,「構造的」(structural) って用語の使い方だ.たとえば「構造的失業」の「構造的」.
さて,この言葉には「変えにくい」って意味が含まれている.でも,かなり多くの人は「ほら見ろ!」って箇所を見つけてる:ぼくはこれまで,アメリカには構造的失業に関わる大きな問題はないと否定してきた.そしていま,ぼくはこの国に経済的な停滞の持続的問題があるかもしれないと言っている.「さあ矛盾だ!」ってわけだ.
えっと,ちがいますけど.
構造的失業は,それよりもっと限定された意味がある.この用語が意味するのは,たんに総需要が増加するだけでは解消できない失業のことだ.これは,フィリップス曲線と密接なつながりがある.失業とインフレにはトレードオフがあって,長期的には下記のような感じになる.
これは NAIRU(インフレ非加速的失業率)とほぼ同じだけどまったく同じってわけじゃあない――なぜかって言うと,長期的なフィリップス曲線はインフレ率が低いときには平坦になってくるからだ.すると,これは(かなり)低率の安定したインフレと整合する最低失業率みたいなものに似てくる.
ただ,決定的に大事な点は,これは供給側の概念だってこと.総需要の増加によって達成できることの限界に関わる概念なんだ.長期停滞とはなんの関わりもない.長期停滞は,「そもそも総需要の増加が困難かもしれない理由」に関わる.
この話の教訓の1つは「注意せよ」だ:ケーザイガク語は英語(日本語)っぽく聞こえることがあるけれど,ときに大変なちがいがあったりする.そして,もっと大きな教訓はこうだ:「つきつめると,これは単語の問題じゃない――モデルの問題だ」
(*簡潔な逸話を1つ:歴史的な理由から,国際マクロ経済学に関わる経済学者は,ふつう,外国通貨の価値をはかるのに自国通貨建ての為替レートを使う――たとえば,メキシコなら「1ドル何ペソ」と言い表す.その結果,図を描くと,通貨が下がったときに為替レートは上昇することになる.他の経済学者もふくめて,国際マクロ学者以外はこの慣習を嫌ってる.ただ,何千人っていうコース担当の講師たちを怒らせずに教科書でこの箇所を変えるのはほぼ不可能だ.)
© The New York Times News Service