●Alex Tabarrok, “Evolution and Moral Community”(Marginal Revolution, May 10, 2007)
ポール・ルビン(Paul Rubin)によると、進化の名残としての「ゼロサム思考」がモラルコミュニティーの拡大(同類意識の拡張)に歯止めをかけているという。
我々の遠い祖先が生きていたのは、その本質において変化の乏しい静的な世界だった。旧世代から新世代へと世代が交代しても、社会的な面でも技術的な面でもこれといってほとんど変化のない静的な世界。言い換えると、我々の遠い祖先は、ゼロサムの世界に生きていたのである。誰かの分け前が増えると、それと引き換えに他の誰かの分け前が減らざるを得なかったのである。
我々の精神は、そのような変化のない世界を理解しようとして進化を遂げてきた。誰かが得(とく)をするのを目にすると、それと引き換えに他の誰かが損を被(こうむ)っているに違いないと思い込んでしまいがちなのは、その名残なのだ。
経済学者たちは、自発的な交換――国内における同胞同士の交換であれ、国境を越えた交換(貿易)であれ――がポジティブサムの結果をもたらすことを2世紀(200年)以上にわたって説き続けている。どちらも得(とく)するからこそ交換しようとするのであって、得にならないようなら交換しようとしない、というわけだ。経済学者たちは、移民の受け入れについても同じようにポジティブサムの結果がもたらされると説き続けている。アメリカにやってきた移民は、自らの労働を売る見返りにお金(給料)を手に入れる。そして、そのお金で他の誰かが作った商品を買う。つまりは、移民だけでなく、移民に商品を売った誰かも得をする、というわけだ。しかしながら、進化の名残をとどめる我々の直感は、そのようには判断しない。海外の労働者がアメリカとの貿易を通じて得をしているとしたら、あるいは、アメリカにやって来た移民が職を見つけて得をしているとしたら、それと引き換えに同胞であるアメリカ人労働者が損を被っているに違いないと判断してしまうのだ。
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