サイモン・レン=ルイス「イギリスで緊縮の過ちはどうやって起きたのか」

[Simon Wren-Lewis, “How did the UK austerity mistake happen,” Mainly Macro, August 14, 2017]

グローバル金融危機 (GFC) とその帰結としておきた不況が進行中だった当時,労働党政府は財政刺激を使ってその影響をやわらげることはできないかと検討した.財政刺激を打てば,すでに不況の結果として増加しつつあった財政赤字をいっそう増やすことになる――だが,金利引き下げだけではこの危機に対応するのに不十分なのも彼らはわかっていたし,景気後退期の赤字を人が気にかけないのも知っていた.これは「経済学101」つまり基礎的なマクロ経済学だ.そして,この中身は 100% 正しい.

オズボーンと彼の諮問たちはそこに政治的な好機をみた.景気後退がはじまる前は,財政政策といえば債務と赤字に関する政府の財政規律を満たすことがすべてだった.景気循環を均すお守り役は金融政策が引き受けていたからだ.ゴードン・ブラウンがこうした規律をどれくらいごまかしたかについてはずいぶん議論がなされてきた.そこで,オズボーンは増大する赤字をめぐって政治的資本をつくることができた.とくに,赤字が景気後退の結果ではなく財政の浪費を示しているのだと主張できるのが大きかった.

だが,経済学101で見るとどうだろうか? 彼に与えられた(と私がにらんでいる)助言は,2009年に彼がやったスピーチに反映していた.このスピーチでは,彼はマクロ経済思想の歴史を手短に語って,ニューケインジアン・モデルがじぶんのマクロ経済政策にどういう支持を与えたかを述べている.彼に言わせると,今日の世界では,景気の過熱や後退に対処するのは財政政策ではなく金融政策だというのが合意事項だという.だが,この話が語らずにいることがある.名目金利がゼロ下限に達しているときには,この考え方はもはや機能しなくなる,ということを言いそびれている.それに,非伝統的な金融政策がニューケインジアン・モデルでは無力だという点も述べていない.このスピーチが出たタイミングは,金利がゼロ下限に達した1ヶ月後のことだった.

また,このスピーチでは〔緊縮がむしろ拡張的にはたらくのだという〕拡張的緊縮についてもなにも語っていないし,〔緊縮推進派の言うように財政規律を正して〕市場をなだめる必要についても語っていない.そういう話が登場するのはもっとあとのことだ.ここからは,オズボーンが赤字に関心を集中していたのは,単純にして破滅的なまでのマクロ経済的な誤りであって,ちゃんと宿題のお勉強をしなかっただけだったらしいことがうかがえる.金融報道ではあちこちで金利がゼロ下限に達した話をしていたのだから,これは信じられないほどの誤りだ.もしもメディアが学術的な経済学に触れていたなら,ブラックホールに吸い寄せられるがごとくに,スピーチのこの箇所に猛然と飛びかかっていただろう.(もしかしたら,完全な偶然の一致かもしれないけれど,彼の主な経済諮問役はかつて IFS(財政研究所)で働いていた人物だ.前にも言ったことがあるけれど,あそこはマクロをやらない [1])

経済的な選択肢として,彼の政策は決定的に時代遅れだった.だが,政治的な選択肢としてはほぼ見事と言っていいくらいだった.財政赤字方面で彼が押し出した路線はメディアのかたる物語を支配した.この物語を,のちに私は「メディアマクロ」として語ることになる.この物語は2010年の総選挙を完勝に導くにはいたらなかったものの,2015年には勝利をもたらすこととなった.いま「ほぼ見事と言っていいくらい」と言ったのはなぜかと言うと,これが彼の後継者の破滅の元になったからだ.金融政策がその影響を相殺できない唯一の条件下で政府支出を削減することで生じた経済的打撃はとてつもなかった.私の経済学者人生で目にしたイギリスのマクロ経済政策の失敗のなかで,これがもっとも打撃の大きいものだったと言っても誇張にはならないだろう.

これが打撃をもたらした理由には,オズボーンが2010年に財務大臣になったあとの政策に政治の事情で2つの追加特徴が加えられたという部分もある.第一に,連立政権5年間の後半まで大半の施策が先送りされていれば,緊縮政策のもたらした経済的影響はあれほど大きくならなかっただろう.だが,そうするとなると,次の選挙のまえに大幅な削減をすることになる.それが政治的な打撃になるのがオズボーンにはわかっていた.第二に,財政規律が求めていたことではなかったのに,連立政権がはじまって数年のうちに公共投資は急激に削減された.なぜなら,いちばん削減しやすいのはおうおうにして公共投資だったからだ.2015年のポストで書いているように,こうした公共投資の削減だけで,GDP を 3% も減らしてしまったかもしれない.

こうした失策に一役買った人物として2010年までに登場させねばならない役者は,あと2人いる.いかんながらも財務省がよくやることを財務省はやった.そして,公共支出の管理を国のマクロ経済的な健全性に優先させた.イングランド銀行総裁は,主要な手段を失っても平気なふりをした.聞くところでは,非伝統的な金融政策がどういう影響を及ぼすか,金融政策委員会 (MPC) はほとんどわかっていなかったそうだ.どちらかの組織がもっとうまく動いていれば,緊縮政策がもたらした打撃は穏やかなものになっていたかもしれないけれど,誰にも知るよしはない.

ただ,主な打撃が生じたのは,保守党がまだ野党にいたときのことだ.財政刺激に反対する政策は,当初,赤字削減を隠れ蓑にして国家規模を小さくする政策としてはじまったのだろうか? 私のいう「赤字の欺瞞」だったのだろうか? それとも,労働党を打倒するための手にすぎなかったのだろうか?――つまり,相手の足場を崩すのをねらって長らく次々に繰り出されることになった誤った経済的判断の第一手にすぎなかったのだろうか? 関与した役者たちの証言がなくては,どちらとも言い様がない.ただ,いまはっきりと言えることは2つあると思う.

第一に,欺瞞ではなく無知からはじまったことだとしても,2015年総選挙のまえに減税と平行してオズボーンがそっくりこの政策を繰り返すべく準備をしていた段階では,無知が欺瞞に変わっていた.第二に,無知からはじまったことだったとしても,これを失敗と呼ぶのはあまりにやさしすぎる.車の運転を一度も習ったことのない人間がいきなり高速道路に乗り込んで騒動を起こしたのを失敗と呼ぶようなものだ.ここに反映しているのは,経済学の専門知識をかろんじる尊大な態度だ.前にも言ったように,この態度の起源は,サッチャリズムの初期にまでさかのぼる.

原註 [1] この助言は,他の観点では彼の役に立った.たとえば,彼による財政規律のかたちを確立したり(これが2011年以後に緊縮の影響を制限する助けになる),予算責任局 (OBR) を創設したりする際には役だった)

Total
5
Shares

コメントを残す

Related Posts