ビル・ミッチェル「銀行融資は―準備預金ではなく―自己資本によって制約されている」(2010年4月5日)

Bill Mitchell, “Lending is capital- not reserve-constrained“, Bill Mitchell – billy blog, April 5, 2010.

 

今日、バーゼル委員会の「自己資本比率規制を強化し、銀行規制体制強化のための新しい流動性ルールを導入するべきだ」という新しい提案文書をずっと読んでいる、全てを読み切るにはあまりにも膨大な文書だ。さて、私はこの新しい提案に関する二つの異なる見解に遭遇した。一部の評論家は「自己資本比率規制は銀行の信用創造能力を阻害するものであり、したがって規制が経済成長に歯止めをかけるだろう」と論じている。もし自己資本比率規制が強化されれば、そうしなかったときよりも成長率は低くなるだろう、というわけだ。一方で、著名な”進歩的”経済学者は、そうした見解に異議を唱えたが、同時に主流派マクロ経済学の迷宮の中で混乱状態に陥っていた。そうした混乱は、自己資本比率規制と法定準備制度がたびたび混同されてしまうという事実を明確にさらけ出すものだった。

はじめに、こうしたタイプの論争で良く見られる混乱をきちんと回避しておこう。規制体制における銀行の「自己資本比率規制」と「法定準備制度」の間には根本的な相違があるが、金融システムを知らない人々はこれらをしばしば混同している。

拙記事Bond markets require larger budget deficitsにおいて私は、BISが発展させた「自己資本比率規制に基づく銀行監督システム」について概説した。

当該記事では、バーゼルⅠに始まり現在バーゼルⅢまで移行しているBISの規制システムを検討している。私は、この銀行規制システムが、どのような方法で銀行(および他の預金機関)の資本運用についての透明性の高いフレームワークの確立を狙ったかを描出した。

バーゼルの規制枠組みのおおまかなアプローチは、リスクと関連付けた銀行資本の表記だ。銀行資本は、Tier1資本(払込資本+内部留保)とTier2資本(優先株と一部の劣後債)に分類される。

銀行のリスクは、リスクアセットの観点から表記される。リスクアセットには、現金や政府債券(これらはリスクゼロ)から、リスク100%の貸付金etcまで幅がある。

自己資本比率規制は、銀行が可能なレバレッジ比率に制限を課し、リスクテイクの制限を試みている。資本にはコストがかかるため、自己資本比率規制は銀行のサイズの制約にもなる。最終的には、金融危機時に政府が金融機関を救済する際の公的部門から私的部門への出資比率を引き下げることになる。資産に対する資本の比率を高めれば、(訳注:政府介入の水準が下がるので)株主はよりいっそう銀行破綻の影響を受けやすくなる。

銀行資本の見積もりは、それぞれの国で異なった方法で行われている。例えば、アメリカは従来バーゼルⅠを施行してきたが、2004年にバーゼルⅡに移行し、(リスク計算方法が変更された)ルールの強制を行ったところ、銀行がその対応に失敗してしまった。これは有名な規制の失敗である。

バーゼルⅢでは、世界金融危機への対応として流動性カバレッジ比率(LCR)が導入されるだろう。そしてBISは、全ての国際銀行が30日間以内に満期になる全ての負債と同額の的確流動資産の保有を提案している。(訳注:参考リンク)こうしたバッファーは、あらゆる銀行経営を補完し、全体の流動性を保全して、政府による救済の必要性を弱めるようにデザインされている。

バーゼルⅢにおけるそれ以外の主要な変更点としては、銀行が“安定調達比率”(NSFR)を100%に維持しなくてはならないというものがある。これは銀行が12か月間の資金需要(簿外契約や証券化予想を含む)と同量の長期借入ないし長期預金を保有していなくてはならないということを意味している。(訳注:参考リンク

自己資本比率規制の主目的は、銀行の融資創出能力に制限を課し、銀行に自己資本を蓄積するインセンティブを与えることである。そうしたアプローチの欠点は、リスク加重比は資本追加(分子)でも運用資産削減(分母)でも改善することが出来るというところである。後半はバランスシート再構成で達成可能であり、それはまさしく銀行が行ったことである。

資本裁定取引(例:証券化)を頼みの綱にするというのが、銀行が自己資本比率を達成するための主要な手法の一つだった。証券化とは、銀行が担保付き融資を行い、それを集めて債権プールを作り、第三者(いわゆるSPV(特別目的事業体))に売りつけることでバランスシートから除去するというプロセスのことである。証券化の後、SPVは市場で当該資産を確定利付証券として投資家に売却し、現預金を(手数料を差し引いて)銀行に返還する。

バランスシートから貸付債権を除去する(SPVに押し付ける)ことで、銀行は資本比率を改善することが出来るが、金融システム全体のレバレッジは変化していない。その上、広域のリスクウェイトの中で、銀行は高質な運用資産(リスクウェイトの中のトップ 訳注:リスクが最も低い資産ということ)を売り、代わりに低湿な運用資産(100%リスクウェイト資産の底辺)を購入していた。単純な自己資本比率では銀行の資産状況が良く見えるだろうが、リスクの観点から言えば銀行の破綻リスクは上昇する。

バーゼルの新しい提案は、こうしたタイプの回避を抑止するようデザインされている。

最も先進的な国々では、銀行資本の乗数として銀行融資を制限するバーゼルⅠとバーゼルⅡを完全に施行してきた。したがって、基本原則としては、銀行融資は(ルールを回避する不正な手法や、いくつかの国におけるルール強制の緩みはともかくとして)こうした規制枠組みの下で自己資本に制約されているということになる。

幾度も説明してきた通り、法定準備制度にはこのような融資制限機能は無い。商業銀行は、中央銀行準備預金口座を、決済システム(手形交換)の円滑化のためだけに保有している。多くの国は法定準備制度を持たず、持続的に赤字になるのが禁じられているだけだ。アメリカでは現在、プラスの準備預金要求の廃止を検討しているところだ。

法定準備制度は、いにしえの金本位制の遺物であり、現在の金融システムとは無関係だ。法定準備制度は、銀行のリスクを減じることがないだけでなく、取り付け騒ぎにおける引出バッファーとなることもない。

法定準備制度が銀行融資の制約にならない理由を理解するには、銀行の運用方法を理解しなくてはならない。銀行は、信用に足る顧客を集めて資金を融資し、それによって利益を得る。信用度の構成要素は景気循環によって変動するので、好景気においては、銀行のシェア拡大のために貸出基準は緩和される。(Minsky’s driverの一つ)

こうした融資は、銀行の準備預金量とは独立に行われる。中央銀行による商業銀行準備預金の要求方式に従って、商業銀行は会計期間内の法定準備確保のための資金を希求するだろう。商業銀行はインターバンク市場でお互いに準備預金を融通することができるが、システム全体の準備預金が不足する場合、こうした水平取引 (邦訳) では法定準備を追加することはできない。

こうした場合、銀行は中央銀行に債権を売却するか、”割引窓口”と呼ばれる制度を通じて直接的に中央銀行から借り入れるだろう。こうした資金源の利用には、ペナルティがあるのが普通だ。個別の銀行のレベルでは、確かに”準備預金のコスト”が信用審査部の融資判断にいくらか影響するかもしれない。しかし、準備預金量それ自体は無関係だ。つまり、融資リターンと中央銀行の割引窓口融資の金利の間の利鞘が十分である限り、銀行は融資を行うだろう。

したがって、超過準備の増加を通じた銀行バランスシート拡張のために最初に準備預金を”調達”する必要があるという考えは不適当である。銀行のバランスシート拡張能力は保有している準備預金量にも、いかなる部分法定準備制度にも制約されていない。銀行は融資によって自己のバランスシートを拡張する。融資は銀行預金を創造し、事後的に法定準備で裏付けられる。新しい銀行負債を創造する融資(信用)拡張プロセスと準備預金は無関係だ。

要するに、バランスシート拡張によって法定準備が不足すると、中央銀行の割引窓口からの借入による”ペナルティ”の結果として、期待収益は影響を受けるかもしれない。しかし、バランスシート拡張それ自体は銀行の融資余力を妨げたりはしないのである。

この点についてのより詳しい議論については、Money multiplier and other myths邦訳)、Building bank reserves will not expand credit邦訳)、およびOh no … Bernanke is loose and those greenbacks are everywhere をお読みいただきたい。

しかし、自己資本規制はいかなる時でも商業銀行バランスシート拡張に制限を課す。この記事(訳注:リンク切れ)は、書いてあることすべてに同意することは出来ないが、自己資本規制については良い入門記事だ。

そうしたバランスシート拡張制限は、(バーゼルⅠ、バーゼルⅡ、および直近のバーゼルⅢといった)バーゼル委員会の規制枠組みの目的だった。その規制枠組みは、実際に銀行業のリスクを減らし、金融システムをより一層安定化させるだろう。(生産的な資本への)より安定した投資環境は、より高い経済成長率に繋がり得るだろう。

銀行のメルトダウンが現在生じている危機を引き起こし、急速に実体経済に波及して所得創出や福祉に重大な影響を齎したことは明らかだ。実体経済は、不況が引き起こしたダメージから回復するのに長い年月を必要とするだろう。

いくつかの国、例を挙げれば、ラトビアでは、GDPが20%近く縮小し、2010年の予測では、回復の兆候が表れる前で4-5%の成長低下が続くだろうとされている。銀行システムにおける過剰金融投資の結果として、実体経済の5分の1が棄損してしまったのである。

したがって、将来的な金融メルトダウンのリスクを減らす改革が大きな経済利益を齎さない、と論じるのは難しいと思う。

しかし、Andrew Ross Sorkinは先週の(2010年3月29日)ニューヨークタイムズのコラムでThe Issue of Liquidity Bubbles Upと題し、アメリカにおける自己資本比率を引き上げるあらゆる動きは経済繁栄を抑圧するだろうと論じている。

彼は、自己資本比率引き上げとそれがアメリカの銀行に与え得る影響に関するガイトナー米財務長官との先週の会話について詳しく書いている。

ガイトナー氏の疑問に対する回答は、ウォール街に多大な影響を齎すだろう。――特に、銀行が彼らの準備預金口座にどれだけのお金を保持しておかなくてはならないかという点においてだ。銀行が資金をため込もうとすればするほど、成長事業への融資ができなくなっていくという問題が生ずる……もちろん、不定期的な危機に対してさえも防御するなら、彼らの”賭け”が悪い方向に転がるのに備えて、銀行に大量の資金を手元に保持するようを強制することになるだろう。しかしそうすると銀行融資が減り、経済成長を犠牲にすることになる。

ガイトナー氏は、リーマン・ブラザーズの命を奪ったハイリスクな銀行運用から銀行システムを守るのに必要な変化は、自己資本比率の引き上げしかないと固執している。

Sorkinは自己資本比率の引き上げが銀行の融資能力を変化させると主張している点では正しい。とにかく我々は、銀行融資が準備預金ではなく自己資本に制約されているということを理解しなくてはならない。

しかし、自己資本比率規制が経済成長を引き下げるだろうという彼の考えは間違っていると私は考えている。BISの提案文書では、こうした疑問についてイントロダクションからたくさんの文字を費やして検討しようとしている。この文書からもはっきりとした結論は浮かび上がってこないが、その理由の一つとして、これまで銀行は資本裁定取引を通じてルールを回避することができていたことがあるだろう。。

(訳注:文書には)限られた決定的でない証拠はあって、銀行がポートフォリオ全体のリスクを引き上げるようなより資産の入れ替え(よりハイリスクな運用資産への)をしていたのは確かだ。

尤もらしい根拠があるのは、“銀行は自己資本比率の圧力に対して”、景気循環に応じて”最もコストパフォーマンスが良いと信ずる方法で対応するだろう”ということと、”不景気においては融資の削減が最もコストパフォーマンスに優れるものの、好景気においては新しい資本の追加や内部留保の拡張の方が容易である”ということだ。(ソース:BIS

このことは自己資本比率規制が通常、経済がとにかく不調で信用需要が小さい時にあまりうまくいかないという見方とも整合的だ。したがって、信用が自己資本規制に制約されていると論ずるのは難しいだろう。信用も、自己資本規制も、総需要の不安定性に影響を受けているからだ。

上記で引用したBISのペーパーでも”固定的最小自己資本比率規制が、実体経済に悪影響を与える信用収縮を起こす”かどうかについて考察している。

検討した後の結論として:

ある国のある時期において、銀行が固定的最小自己資本比率規制を満たし続けるのが困難と判断し、融資の削減を強いられることはあり得るだろう。自己資本に比したリスク量を制限するために銀行に課すのが固定最小自己資本比率規制の目的なのだから、その時期にこの規制が発動しなかったらむしろおかしな話だ …

この疑問を検討する上での困難なポイントの一つは、銀行が深刻な自己資本制約にあるときは大抵銀行が大規模な債務償却やspecific provision(自己資本削減)を行っている時であり、そうしたときは借入需要も弱い可能性もあるということである、銀行の融資削減の理由が、自己資本制約ではなく、特定のリスキーな部門への融資の懸念であった可能性もあるのである。

ところで、固定的最小自己資本比率規制を生産の減少と関連付けて考えるとき、あなた方は“銀行融資の不足は、他の資金仲介業や証券市場へのアクセスによる資金調達では完全にはカバーできない”ということを押さえておく必要がある。実際の証拠となると混合しておりはっきりしないが、小さい会社は典型的には銀行融資により依存しているために困難に陥りやすい。

BISはまた、”銀行の最小自己資本比率規制と金融安定(及びそれに基づく生産)の関係”について論じている。これは私が先の方に論じたポイントだ。

BISが言うには:

銀行の自己資本比率規制は、資本に比した過剰なリスクテイクを抑制するという狙いがあり、それによって破綻可能性を減じている。もしそれが成功すれば、トータルで見て、自己資本規制は生産に正の効果をもたらすだろう。

したがって、よりタイトな自己資本比率規制は信用拡張をいくらか制限するかもしれないが、投機バブルの回避を通じてより安定した成長を提供するだろう。

その上、現代金融理論(MMT)の見地からすると、全体の成長と民間信用の制限との間には何の関係もないのである。もし自己資本比率規制の強化が民間信用を抑圧するなら、そのとき政府の財生産やインフラ供給の余地があることになる。

繰り返しておこう。銀行融資は自己資本に制約されているのであり、準備預金には制約されていない。どのように金融システムが動いているかの理解から導かれる基本的なポイントだ。

その次の日(2010年3月30日)、アメリカのいわゆる”進歩的”評論家のディーン・ベーカーがSorkinをSorkin is Wrong: There Is No Tradeoff Between Growth and Bank Capital Requirementsで攻撃したのを読んで驚いた。

うーむ、私が上述したような進歩的な主張、つまり、自己資本比率規制はシステムをより安定化することを通じて、甚大かつ有害なブームとバーストなしに持続可能な経済成長を可能にするという主張を読むことになるという風に予想していた。(そうした場合、長い目で見た自己資本比率規制の影響はポジティブなものになる)

私はがっかりすることとなった。

以下がSorkinに対するベーカーの言及である。

NYTコラムニストのAndrew Ross Sorkinは読者に対し、自己資本比率規制を安全確保のために強化すれば、”銀行が貸出を控えてしまい、経済成長が犠牲になるだろう”と警告している。これは事実ではない。

FRBは、経済活動の水準に合わせて金融システムに注入する準備預金の量を決定する。もし経済活動が減速しすぎているなら、システム内により多くの準備預金を投入して、銀行が融資量を追加できるようにさせる。Sorkinの主張とは裏腹に、事業のためのより多くの融資のために同じ量の準備預金からのレバレッジを拡大する必要はないのだ。

おやおや、ディーンは私たちの週末クイズ(訳注:ミッチェルのブログで週末に行っているクイズ)を見に来た方が良いと思わないかい? きっとひどい成績を残すと思う!

最初のパラグラフでSorkinが言及しているのは自己資本比率規制なのに、ディーンが後段で論じているのは法定準備制度だ。初歩的な論法ミスだろう。

しかしさらに悪いのは、中央銀行がシステムへの準備預金追加を通じて銀行の信用拡大能力に影響を与えることが出来るという彼の考えだ。これは初歩的な誤解だ。

この点についてのより詳しい議論のためには、Building bank reserves will not expand credit邦訳)とBuilding bank reserves is not inflationary邦訳)を読んでほしい。

もし”経済活動が減速し過ぎている”なら、中央銀行は利下げ以外で民間信用拡張のためにできることはほとんどない。準備預金の利用可能量は銀行融資を引き上げない。ディーンの見解は「”マネーサプライ”が、(中央銀行の提供する)マネタリーベースからの乗数倍で決まる」という、銀行業に関する古びた貨幣乗数理論の見解だ。

主流派経済学が主張するようなこうした”乗数”の(誤った)計算によれば、中央銀行はマネーサプライをコントロールすることができることになっている。これは完全なる間違いだ。なので、”進歩的”といわれているベーカー博士がこのような出鱈目をいまだに信じていることに私は大変驚いた。こうしたナンセンスな議論が進歩的なコメントだとされているアメリカはそれだけひどい状況なのだと言う事ができるだろう。

自己資本比率規制に従う銀行が融資能力を拡張する明確な方法は、自己資本を追加することだ、――それこそが、規制枠組みが導入したデザインだろう。

少しだけSorkinの主張に立ち戻ろう。記事の後半で彼は、銀行と規制当局との緊張関係を論じている。彼の先の主張は、銀行のレバレッジ比率に対するいかなる制限も、銀行の収益性を減じてしまうというものだ。確かにそうだが、何か問題があるだろうか?

彼は、現在では完全に信用を失ったアラン・グリーンスパンを以下のように引用している:

銀行、あるいはあらゆる金融仲介機関は、競争的であるために多大なレバレッジを必要としている……十分なレバレッジがなくては、市場は金融資産運用に資本を引き付けるだけの十分に高い収益率を実現しない。但し、大きすぎるレバレッジは、銀行決済をリスキーにする。

これが正しい間はそれが良い公的銀行システムということになるだろう。しかし、我々はどれだけの期間の収益率を計算するだろう? その計算に我々はどんな要素を含めるだろう?

もし収益計算にあたって、全世界の金融システムの崩壊を防止するために必要な莫大な損失や政府救済のコストなども含めるなら、長期的なリターンは負になるだろう。公的銀行システムは金融安定を齎し、安定した収益(社会的)を全体的なリスクの大幅削減と共に実現することができるだろう。

しかし、バランスシートの資産面を通じた民間銀行規制、および自己資本比率規制の枠組みに対して採用される戦略について配慮する必要がある。自己資本比率規制の強化と、”簿外”取引へのさらなる注意が現在必要とされていることも明らかだ。

自己資本比率規制の水準が低すぎるシステムでは、公に晒される銀行破綻の危険度は非常に高くなり、モラルハザードが高度に生ずる。最高の方法は、銀行システムを国家化し、100%公共目的に集中することなのだが、より現実的な方法は、パニック時にシステムから一時退避するのが可能なだけの十分なバッファーを民間銀行に確保させることである。

それは(狭義の)収益性を損なうが、社会的収益を強化する。

違う角度から言えば、民間の投資家は、よりタイトな自己資本比率規制が施行されるなら、(リスクに晒される危険度が低下する分だけ)低い収益を受け入れることになるのである。つまり、自己資本比率が強化されるとき、民間投資家に課される総コストは上昇する。

 

驚くべきことに、著名な進歩的評論家でさえ未だに伝統的なフレームワークにとらわれており、金融システムに関する初歩的な誤解を抱え続けている。このことは、一連の議論における我々の主張を蔑ろにするように機能している。

だからディーン――分かっていないなら、何も書かないでくれ、頼む! もしあなたが自分の話している話題について理解しているつもりなら――基本に立ち返って、あなた自身が専門であると宣言している金融実務のシステムについてきちんと理解していただきたい。

 

今日はここまで!

 

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