デイヴィッド・グレーバーの愉快な新著のタイトルは『クソ仕事』だ.きっと,すでに小耳に挟んだ人もいるだろう.短い要約はこちら.〔訳者の追記:2020年7月に日本語版が刊行されました〕
大学で仕事をしているおかげで,「誰もが生産的なわけじゃないし,誰もが生産的な仕事についてるわけでもない」という見解には共感を覚える.それに,進行中のシリーズ「サービス部門の新しい仕事」でも,あれほどいろんなよくわからないサービスを市場が提供することへの驚嘆をこめている部分もあるし,同時に,そうした謎の仕事が実際には価値がある場合がいかに多いかについて掛け値無しに道徳的な探求を行ってもいる.きっと,「いたるところに市場あり」シリーズと同じく,読者もああいうエントリを読んでいて複雑な気分になってるんじゃないだろうか.
とはいえ,グレーバーは「マイナス・サムまたはゼロ・サムのゲームにおけるきつい仕事」を「クソ仕事」と混同しすぎているように思う.この2つは,かなりはっきり異なったカテゴリだ.全体として,グレーバーは5タイプのクソ仕事を提示している:おべっか使い,〔ヨゴレ仕事を請け負う〕ヤクザ,〔問題を一時的に解決する〕ケツふき,仕事してるフリ係,タスク奉行――この5つだ.その一方で,グレーバーはこうした仕事の地位を低めることにばかり執心して,そうした仕事が消え去ったときにどんなことが起きるか検討するのに時間を十分かけていない.
グレーバーは,いったいオックスフォード大学に「10人あまりの」PR専門家が必要なのかと疑問を述べている.そんな少人数で仕事が回せるのだとしたら,ぼくならびっくりする.PR担当がこなしている業務を考えてもみよう.いくつもの夏期プログラム,入学案内の広告,メディアや大学格付けサービスとの折衝,中国との関係,大学が直面する学生との裁判沙汰,政治的な単位としてのオックスフォードとの関係調整,オックスフォード内部にいくつもある独立の学校などなど.これはほんの一端でしかない.全体として,もしかしてグレーバーの組織管理面の知性は標準以下なんじゃないかとぼくは思っているし,最低限の話としても,毎日こうした問題に対処している人たちと比べて彼に卓越した組織の理解があると思わされることはめったにない.
単純な実験をしてみれば,この本は大幅に改善されるだろうし,きっと見事な事例研究の章が書けるはずだ:グレーバーに1年ほど中規模の組織を管理させてみればいい.従業員 60~80人くらいのところがいいだろう.ただし,人事部の人員がしっかりそろっていない組織か,そもそも人事部のない組織にかぎる.それから,彼にあらためて執筆してもらおう.
そうすれば,本当にクソ仕事をやってるのが誰かわかるはずだ.