サイモン・レン=ルイス「マクロ経済安定化には政策金利か財政政策か」

[Simon Wren-Lewis, “Interest rate vs fiscal policy stabilisation,” Mainly Macro, August 15, 2018]

主流経済学者と現代貨幣理論 (Mondern Monetary Theory; MMT) 経済学者をわかつのは、「マクロ経済の安定化に金融政策と財政政策のどちらを用いるべきか(需要を制御してインフレ率と産出に影響を及ぼす方法として)」という論点だ。この文脈では、よい手段になるのはどういうものだろう? 前にも論じたように、主流と MMT の大きなちがいは、この問いにそれぞれちがう答えを出すところに関わる。次の論点が決定的に重要だ。

  1. 手段に変更を加えると(e.g. 金利を引き上げたりすると)需要にどれくらいすばやく影響がでるか。
  2. 手段に変更を加えるのをどれくらいすばやくすませられるか。変更の幅に制限はあるか。
  3. その手段が需要に及ぼす影響はどれくらい信頼できるか。言い換えると、手段に加えた変更が需要に及ぼす影響がどれくらい不確実か。
  4. その手段を動かす権力をもつ人物が誰であろうと必要なときには使用するとどれくらい確信できるか。
  5. その手段に変更を加えるとのぞましくない「副作用」が生じるか。

金利を使うかそれとも財政政策のなんらかの要素を使うかという選択にこうした問いを当てはめてみると、どんな答えがえられるだろうか?

その前に、ひとつ留意しておきたい。この議論はひとえに需要に影響を及ぼすのにいちばんすばやくいちばん信頼できる方法の問題だ。需要がどうインフレに影響するかという問題は、これとかなり異なる(基調インフレの話をしているかぎり)。

1つ目の問いが大事なのは、手段に変更を加える時点とそれが需要に影響するまでに大きな時間差があるとよい政策決定をするのが困難になるからだ。ひとつ想像してみてほしい。エアコンをつけて、室内が涼しくなったり暖かくなったりするまでに1日の時間差があったとしたらそのエアコンはどれくらいよいと思うだろうか? そしておそらく、マクロ経済学者にとってもこれはなにより関心を引く問いでもある。これを論じ切るには教科書まるまる1冊を費やすことになるだろうから、ここでは主流派が財政の安定化よりも金融の安定化を優先する理由に対して、この問いへの答えはべつに決定的に重要ではないと提案だけしておくとしよう。

2つ目の問いが1つ目におとらず大事な理由も、ごくわかりきった話だ。手段に変更を加えられるのが年1回にかぎられていたとしたら、その手段がなんらかの効果をうむまでにとても長い時間差があるのと似たことになる。この問いに関しては、現状の制度環境では金融政策の方に明らかな利点があるように思える。このちがいには変えにくい部分がある: 官僚が動くには時間がかかるという点だ。危機後に中国が実施した財政拡張について前に述べたように、1年以内に実施にうつされたプロジェクトはおよそ半数だった。それ以外の時間差の方は、原理上はまだしも変えやすい: たとえば、イギリスで税制の変更が予算案のときにしかなされないのは別にそうせざるをえないからではない。

2つ目の問いの後半部分〔「変更の幅に制限はあるか」〕は、明らかに金利にとってマイナス面がある。金利には下限があるからだ。財政政策の手段には、これは当てはまらない: たとえば、減税したければいつでもさらに減税できる。金利政策にとってこれは致命的な欠点なので、事実上ここでの議論はもっぱら、「金利が下限にないときにはなにが起こるか」に限定したものになる。そうだとしても、状況しだいで2つ別々の手段があるのは金融政策にとって減点となる余地がある。

3つ目の問い〔「その手段が需要に及ぼす影響はどれくらい信頼できるか」〕が問われることはそう多くないけれども、絶対に重要だ。想像してほしい。エアコンの設定温度を上げたいのに、温度調節の表示がないばかりか日によって、あるいは1時間ごとにエアコンの挙動が変わったとしたらどうだろうか。国債直接購入 (OMT) はそういう不十分な手段の好例だ。なぜなら、金利の変更にくらべて債券購入はその効果のほどに関して中央銀行の見通しがはるかにわるいからだ。見通しが立ちにくい理由として、ひとつには金利の場合にくらべてデータが少ないという理由もあるが、非線形な挙動が起こりやすいという理由もある。

金利変更は財政の変更よりも多かれ少なかれ信頼できるのだろうか? 政府支出に変更を加えるのには大きな利点がある。それは、需要におよぼす影響がすでに知られているという点だ。ただ、すでに述べたように、こうした〔財政の拡張・縮小の〕施作は実施まで時間がかかる。それに比べると税の変更はもっとすばやく行える。だが、多くの主流経済学者たちは、税の変更がおよぼす影響は金利の変更より信頼できるわけではないと主張するだろう。これと対照的に、異端派の経済学者たちは(とくに MMT論者たちは)、金利変更はその影響のきざしすらはっきりしないくらい信頼しにくいと主張するだろう。

4つ目の問い〔「その手段を動かす権力をもつ人物が誰であれ必要なときには使用するとどれくらい確信できるか」〕が有意義なのは、金利を変える権限が中央銀行に委ねられている場合だけだ。イギリス型の状況を想定してみよう。中央銀行は金利を操作する権限こそ持ち合わせているものの、政府が設定した義務〔e.g. 雇用や物価の安定〕にしたがわなくてはいけない。その義務を達成する任務を独立の機関に委任すると、外生的な要因によって政策は影響されにくくなる(外生的な要因とは、たとえば党大会/選挙がおわるまで金利引き上げはもっての他である、といったこと)。したがって、政策はもっと信用できるものになる。この論証は強固だ。(同様の考えを含む研究文献は大量にある。)

金融政策のこの利点は、たんに委任しやすいという事実から生じているわけではない。とはいえ、金融政策が〔中央銀行に〕委任されていない場合であっても、財政政策にはその変更が国民受けがよかったり(e.g. 減税)国民受けがわるかったり(e.g. 増税)という短所がある。これと対照的に、金利変更は誰かの利得になって他の誰かの損失になる。このため、政治家はデフレにつながる財政行動をとるのには後ろ向きになる一方でインフレにつながる財政行動には熱心になる。このため、委任がなかったとしても、財政の変更にくらべて金利変更の方が適切に需要の管理に使われやすい。

最後となる5つ目の問い〔「その手段に変更を加えるとのぞましくない「副作用」が生じるか」〕には、いくつもの事柄が関わりうる。基本的なニューケインジアン・モデルでは、実質金利とは需要がある一定のインフレ水準になることを確実にする価格とされる。したがって、一目瞭然に名目金利こそ使用すべき手段となる。他方で、財政政策は公共/民間の財の最適な比率や課税平準化に歪みをつくりだす。

このため、金利が下限にないときに財政政策を安定化の主要手段にすることへの反論は次のようになる: 財政政策は変化が遅く、しかも委任できない。金融政策が委任されていない場合であっても、政治家たちは効果的な財政安定化の問題に国民受けのよしあしをもちこみかねない。政府支出の変化は一定の直接的な効果をおよぼす一方で、同時に、そうした変化はすぐに実施するのが非常に困難でもある。

金融政策に反対する論として強力になりうるのが、金利下限の問題だ。こういう主張ができる――「金融政策を専用の安定化手段にすると、政府は財政安定化の営みに関わらなくなるので、金利が下限に達して財政の安定化が不可欠なときになってもそれが起こらなくなってしまう。」 近年の経験はまさにこの懸念を裏付けている。個人的には、主流のマクロ経済学者たちはこの問題を十分に語っていないと思う。

ジョナサン・ポーツと私で発展させた財政ルール(労働党の財政信認ルールはこの1バージョン)では、まさにこの問題に対処しようと試みている。金利が下限にあるときに金融政策から財政政策に切り替えるというのが、このルールの勘所だ。また、もうひとつ強調すべき点として、このルールでは、金利が下限にないとき景気の悪化に対応するのに財政政策を一時的に変化させることが妨げられない(この逆を言う人は、このルールを理解していない)。たとえば、金利が〔下限には達していないとはいえ〕すでに低くなっているとき、5年未満の期間で行う計画の財政拡張は予防策として理にかなっている。(このルールが扱う範囲外にあたる公共投資も同様に使用できるだろう。) このため、労働党の財政ルールでは金融政策に仕事をさせる一方で、必要となればいつでも財政政策が支援に動ける態勢になっている。

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