ポール・クルーグマン:機能的ファイナンスのどこが問題か:「MMT はアバ・ラーナーの「機能的ファイナンス」[pdf] とだいたい同じものに思える(…).そこで,このメモでやりたいのは,ラーナーの機能的ファイナンスをぼくが全面的には信じていないワケを説明することだ.この批判は MMT にも当てはまると思う.ただ,これまでのいろんな論争の経験から何事かが示唆されるとすれば,きっとすぐさまこんな風に言われることだろう,「クルーグマンはわかってない」「あいつは寡頭政治の腐った手先だ」とかなんとか.(…)
(…)さて,ラーナーの話:彼が主張したのはこういうことだ――(a) みずからが制御する不換紙幣に頼っていて,しかも (b) ヨソの通貨で借り入れていない国々は,債務制約に直面しない,なぜって,そういう国々はいつでもお金を刷って債務返済に充てられるからだ.かわりにそういう国々が直面するのは,インフレ制約だ:あまりに財政刺激策をやりすぎると,経済が熱しすぎてしまう(…).これはすっきりした議論だ(…).それに,今日の世界ではかなりいい話なようにも見える.つまり,ゼロ金利にもかかわらず長いこと需要が低迷していてかなり脆弱っぽく見える世界にとって,うまい話に見える〔財政刺激で多少インフレが進んでも困らないので〕.というか,2010年代にかなり長く政策論議を支配した「オイオイオイ,これじゃギリシャの二の舞だわ俺ら」式のパニックよりはるかによさそうに見える.
じゃあなにが問題なの? 第一に,ラーナーは金融政策と財政政策のトレードオフをてんで無視している.第二に,ラーナーは雪だるま式に債務が膨らみかねない問題には言及しているけれど,増税および/または支出削減にかかる技術的・政治的な制限のどちらにもラーナーの対策は満足に対応していない.
ラーナーによれば,金利は「投資のもっとものぞましい水準」を達成する水準に設定すべきであって,財政政策はその金利を前提に完全雇用を達成するべく選ばれるべきだという(…).でも,ここがすごく重要なんだけど,金利のゼロ下限にある場合をのぞいて,実際に起こるのは政治的なトレードオフが税と支出を決定し,インフレを起こさず完全雇用を達成するように金融政策が金利を調整するという事態だ.こういう状況では,財政赤字は民間支出を押しのけてしまう[クラウドアウト].なぜなら,減税や支出増加は金利を高めるからだ.ということはつまり,赤字支出の正しい水準は一意に定まらないということだ.どれくらいの水準が正しいのかは,トレードオフをみんながどう評価するかに左右される選択問題なんだ.
債務はどうだろう? 経済の持続的な成長率を金利が上回るか下回るかに左右される部分が多い(…).さて,ラーナーは基本的にこの点を認めている.ただ,政府は必要とされる財政黒字をいつでもやれるし必ずやるものだとラーナーは想定している(…).また,必要とされる黒字を達成する政治的な難しさについても,ラーナーはなにも述べていない.でも,債務がすごく高い水準にいたった場合には,そういう政治的な難しさが問題のかなめになりやすそうに思える.
要点をまとめれば,機能的ファイナンスにはよい部分もたくさんある一方で,ラーナーや現代の MMT 論者たちが想像しているような公理のように正しい議論とはちがう(…).そのうえで言うと,近い将来に進歩派が直面する財政問題にとって,こういう批判はべつに中心を占めるものになるだろうとは思わない.〔オバマケアの拡大版みたいな〕ほんとに大規模な進歩的プログラムを実施するには新たに大きな財源が必要になると思ったからって,べつに赤字ダメぜったい派や債務心配性になるにはおよばない.でも,その点は次回のポストで説明しよう.